【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-16 あの記憶に続くもの

エピソードの総文字数=6,479文字

あの……この住所なんですけど、分かります?

グランメールっていうマンションなんです。1階に『パティシエペンギン』っていうケーキ屋さんが入ってるらしいんですけど……。

 駅前でタクシーを拾った。

 メモを見せたが、ドライバーはそのメモを見るより先に「ああ」と大きく頷いた。

『パティシエペンギン』のマンションね、分かりますよ。あそこのマンションの人、よく送るんだ。

歩いても10分とかからないけど……やっぱり夜はね。少し寂しい道通るし、危ないからさ。タクシー使ったほうがいいよ。

そうなんですか。

私、行くの初めてで、道もよくわからないから……。

あのケーキ屋ね、美味しいらしいよ。

お客さんが自慢してた。……って、この時間じゃもう閉まってるか。

そうですよね。

もう10時ですものね……。

 腕時計にふと目をやって、百合は小さくため息を吐いた。

(茂くんに『山岸さんのところへは、私が行くわ』なぁんて張り切ったけど、よくよく考えてみれば得体の知れない記者の自宅なんかノンキに訪ねるような時間じゃなかったかも……)

 今さらのように不安がこみ上げてくる。


 山岸は雑誌の記者だ――と茂は言っていた。

 百合がそんな記者を訪ねて行くことに賛成はできないでいる様子だった。

 山岸は社会派の記者を志して、大間の事故に鼻を突っ込んだらしい。現在は社会派とは無縁の――オカルト雑誌の編集などで生計を立てているらしいが、依然として大間の事故には興味津々なのだろう。

『長年、英司くんを自宅に出入りさせていたのも、大間の事故に興味を失っていない証拠でしょう。百合さんがあの事故の生き残りだと知ったら、不愉快な詮索をされることになるかもしれません。そうでなくてもひとり暮らしの男の自宅を女性ひとりで訪ねるというのは、ちょっと……』
 茂の心配はもっともだと思うし、百合だって警戒する気持ちが皆無だったわけではない。


 あの事故の後、インタビューをさせてくれという申し出は何度もあった。

 百合のこと、果歩のこと……大間の事故に対して詮索されたことは1度や2度ではない。果歩がまだ入院していた頃、写真を撮るために病室にまで入りこんでくる非常識な記者もいたのを、百合はまだ覚えている。

 特に1号棟の住人で生き残ったのはごくわずかだったし、その大半が幼い子供だった。奇跡の生還とか、事故によって両親を奪われた悲劇の子供たちとか……マスコミはいいようにその人生を脚色していたのだ。


 〈山岸〉と印字されたラベルメーカーの青いテープを貼り付けたドア。その文字を見つめながら、百合は少しばかり怖気づいていた。

 そして玄関の扉が開き、この家の主が顔を出した瞬間……。

 百合の薄ぼんやりした気持ちは明確な形を持った。

(今すぐ回れ右して帰りたい!)
ああ。

どうぞ、入って。

 山岸は来客応対用の笑顔を浮かべたが、正直怪しさが倍増になっただけで、ちっともフレンドリーな印象はない。

 ラベルメーカーで『怪しい男』とか『下衆な記者』などと打ち出して貼りつけてやりたくなるような笑顔だ。
お……お邪魔しますぅ……。

 百合はぎくしゃくと奇妙な動きになりつつ室内へと足を踏み入れた。

 やっぱりコイツを訪ねれる役は茂に任せておくべきだったかもしれない……と、激しい後悔が押し寄せてくる。

ええと……あの……。
 一応手土産と思って持ってきたクッキーの包みをもじもじと差し出しながら、百合は案内されるままにダイニングへ進んだ。
私、飯野って言います。あの……。
さんきゅ。気を使ってくれなくて良かったのにな。

その辺、適当に座ってくれよ。

英司――怪我したダチんところだって?

あいつがいないと部屋ん中が散らかって参るんだよね。そのオトモダチに『お大事に、一刻も早く完治して下さい』って伝えといて。

あー、コーヒーも緑茶も切れてるんだけど、紅茶でいいかな? 英司が置いていったハーブなんとかってのがあるから……。

 クッキーの包みを受け取ると、山岸はほとんど使っていないらしいキッチンセットに向かい、マグカップを用意し始めた。

 ハーブティーのティーバッグを放りこんで湯を注ぎ、そのまま百合の前に置いた。

で、あんた英司の彼女?

それとも電話くれた福島とかって……。

どうも……。

その、別に誰かの彼女とか……そういうことではなくてですね。ええと、知り合い? 友達? その程度にお考えいたければ……。

(っていうか、これ……ちょっとあんまりじゃない?)
 百合はティーバッグが投げ込まれたままのマグカップをじっと見下ろした。

 おそらくオカルト雑誌の販促グッズか読者プレゼントの品だろう。マグカップの側面にはおどろおどろしく髪を振り乱した血まみれの女のイラストと、雑誌のロゴマークらしい『月刊トワイライト』の文字。

 中を覗くとカップは茶渋で段染めの状態だった、なぜかティーバッグの糸の先についた持ち手部分の紙までが湯の底に沈んでいる。

 ローズヒップティーと書かれた持ち手の乙女チックデザインがとんでもなく場違いに見える。……が、その持ち手がなければ、ティーバッグからじわりと湯に染み出したローズヒップ成分は、おそらく毒々しい血の色にしか見えなかっただろう。

 いや、持ち手があっても鮮血感はちっとも拭いきれていないけれど……。


 ――どう頑張っても、口をつける気にはなれないシロモノだ。

あ、そうなの? てっきり……。

ま、英司にゃもったいない女か。

あいつ顔の出来はそこそこいいのに、オタク丸出しの上、女の前に出るとめっちゃ挙動不審になるしなあ……。

 そう言って山岸は無遠慮な視線を百合に投げた。

 いきなりの馴れ馴れしい世間話モード。百合がドン引きしていることにはまったく気付いてはいないようだ。女の前に出ると挙動不審になるのは英司だけではない。ほとんど自己紹介をしたも同然だ。

コホン。

ええと……あのですね。

突然訪ねてきて用件を急かすのも申し訳ないですけど、英司くんが預けたっていう資料、見せて頂けますか?

ああ、大間のファイルね。

用意してあるよ。

 山岸は立ちあがった。

 ダイニングから続き間のようになった部屋は書斎か仕事場として使われているらしい。デスクがひとつとガラスのテーブルがひとつ。その周囲に雑誌やファイルが乱雑に積み重ねられ、読みかけの新聞と擦り切れた座布団がいくつか投げ出されままになっている。

 分厚く膨れ上がったクリアファイルをその机の上から取ると、山岸は床の雑誌を蹴リ飛ばすようにして戻ってきた。

英司、そういう資料の整理が上手くてさ。

高校の頃からよく俺も仕事手伝わせてたんだ。案外、よく調べてあるよ。

あの……立ち入ったこと聞くのも何ですけど……。

英司くん、どうして山岸さんのところに?

ん? ああ……。

煙草、いいかい?

 百合の向かい側に腰を下ろし、タバコのパッケージを掴むと山岸は灰皿を引き寄せて百合に目をやった。
どうぞ。
これね、俺がやってる仕事。

 そう言って山岸は名刺を一枚、百合の前に投げた。

 『月刊トワイライト編集部 山岸辰則』と書かれている。

――そこの社員ってわけじゃなく、フリーライターっての? 他の仕事もぽつぽつね。

で、そのトワイライトって雑誌が……何ての? ちょいマニア向けの心霊写真とか載せてるような、そういう雑誌なワケ。

そこで大間の特集やったことあったんだよ。5年くらい前かな?

大間のって……心霊写真の雑誌が事故のことを……?
事故?

――ああ、あの10年前の?

違うんですか?
んー、無関係とは言えないかなぁ。でもウチってそういう雑誌じゃないんだよね。

あのさ、インターネットで流行ってる怪談知ってる?

大間団地跡に出る――って。

出るって、その……妖怪がですか?

雑誌で特集組むほど有名な話なんですか?

妖怪って……。

あんたノンケそうな顔して案外マニア?

 山岸は持ち手の紙まで沈んだ鮮血のようなお茶を、ごく当然そうに飲みながら笑った。
ち……違うんですか。
幽霊だよ、幽霊。

ヒトダマ見たとかさ、事故で死んだ被害者の霊がどうのとか怨霊とか……。

ま、そんな話?

――10年前に事故が起こった時は俺もカケダシでね。いろいろ大間のこと調べてたんだけど世に出す機会には恵まれなかった。まあ、その時の知識が別の場所では役に立ったってわけで……。

怨霊……ですか。

 百合はため息をもらした。

 確かにあの事故では多くの死者も出たわけだし、回収できなかった遺体も多かった。だが百合にとっては被害者が身近すぎて怨霊などという言葉とは結びつかない。

で、その特集を雑誌でやった時に英司が俺を編集部まで訪ねてきたんだよ。雑誌の写真に自分と知り合いの女の子か誰だかが映ってたとか言って……。
英司くんの幽霊が映ってたんですか?!

生きてるのに?!

 そう言って百合は、動揺を押さえるようにごくんと唾を飲みこんだ。
あ? 英司の幽霊?

 煙草を口に運びながら、山岸は眉を寄せた。

 会話がなかなかスムーズに進まないのに苛立ちを感じ始めている。その原因は……多分この世間知らずそうな女が、いちいちワケの分からない方向へ話を捻じ曲げていくせいだ。

(もうちょっと……言葉の裏にある流れを読んでくれたって良さそうなもんじゃないか。なんで英司が幽霊になってんの。それとも幽霊とツーショットか。ないだろ、ないない。ありえない)
あー、1から順に説明するとね。

英司が映ってたのは事故当時の写真だよ。

……ホラなんての? 心霊写真ったってさ。はっきり幽霊が映ってるわけじゃないだろ? 幽霊がそれらしい、絵に描いたような不気味なポーズキメて映っててくれりゃあ苦労もないんだけどさ。たいていはなんかぼやーっと光ってるだけのヤツとか、人の顔みたいのが背景に映りこんでるように見えるとか……そんな程度のもんなんだよ。

そんなん並べただけじゃ雰囲気出ないでしょ? 出ないんだよ、雑誌ってのは。

インパクトないっていうの?

どっかのバカ面した若いのがバイクの前でドヤ顔して「ぴぃぃすv」とか「大間来たったw幽霊いるかなw」とかやってる写真の後ろにちょこっとなんか映ってますってだけじゃさ。まとまりに欠けるっていうか、ゲンナリするっていうか。売り上げ伸びないでしょ?

だから雰囲気盛り上げるために『ここで悲惨な事故が起こって人が山ほど死にました』って分かる写真が欲しいわけよ。いかにも幽霊出ますねここならって感じの補足説明兼味付けとしてね……んで、事故当時の団地の写真とかガキを救出してる時の写真使ったの! 俺の秘蔵のコレクションから厳選した写真を!!


……分かる?

……はあ。
そういう救助光景の写真の中にガキのころの英司が小っさい女の子と一緒に救急隊員に連れていかれる場面があったんだよ。
小さい女の子……?
身元がわからなかった子だよ。まだ3歳くらいで、自分の名前も言えなかったらしい。

英司も名前は知らなかったらしいけど、その子を探したいって言ってたな。


――そんときの写真、中に入ってるよ。

 山岸にそう言われ、百合はクリアファイルを手にとった。

 新聞記事などのコピーが大半を占めている。一緒に写真画像のプリントアウトが数枚挟み込まれていて、その中に山岸の言った通り事故当時の救出光景を映した写真も紛れていた。

 その1枚を手にとって見る。

 英司の言っていたという写真はたぶんこれのことだろう。

 救急隊員の服を掴み、毛布を引きずって歩く10歳くらいの男の子と、同じベージュの毛布にくるまれて救急隊員に抱き上げられた果歩が映っている。男の子のほうはいかにも英司の子供のころを思わせる顔立ちだった。髪を染めてこそいないが、不貞腐れたように見える表情は変わっていない。

いいデキだろ?

いつかあの事故の特集ができる時の為にって、秘蔵してた写真だったんだけどね。まあ夢破れっての? しがないオカルト雑誌なんかの特集で使うことになるとは思ってもみなかったけど……。

さあ、ごめんなさい。写真のことはよく分からないの。

 百合はそう言って、写真をクリアファイルに戻した。

あれ……?

ああ、そうか。

 そのうつむいた百合の表情を見て、山岸は小さく声を上げた。
あんたの写真も、あるよ。
……え?
あんたは大間の住人じゃなかったけど、あの事故に巻き込まれたろ。

よく覚えてるよ。

1号棟の生き残りは少なかったし、下世話な週刊誌なんかのネタになりそうな、はかなげな美少女は他にいなくてさ。取材させてくれって何度も申し込んだんだけど、親父さんにどやされて、すごすご引き下がった。

あのあと、引越ししちゃったろ。

 山岸は立ちあがってもう一度仕事部屋の方へ戻ると、本棚にぎっしり詰め込まれたファイルから一冊を抜きとってきた。

ほらこれ……。

 そう言って、山岸は開いたファイルを百合の前に差し出した。

 やはり救出の時の写真だった。救急車に乗りこもうとする10年前の百合の姿が何十枚も並んでいる。

(うわ、何これ……こわっ)
 いかにも大事そうにきれいに並べられているところが、ありえないほど気持ち悪い。

 家族のアルバムだってなかなかここまで念入りには作り込まないだろう。

警戒しないでいいよ。今更、下衆な商売っ気出す気はないからさ。

これはまあ、青春の思い出っていうか……老後の回顧の材料?

俺も若い頃は社会派目指しててさ~みたいな、そんな程度のもんだから。

俺なりにあの事故に関しては真摯な思いがあるんだよ。

だから、騒ぎ立てるつもりはない。あんたや英司がどういうつもりで今、あの事故のことを探っているとしてもね。


……真摯な、ての、俺には似合わないけど。

ありがたい限りです。

 百合はさらにファイルをめくった。

 百合の写真の他にも、救出時の様子を収めたものがずらすらと並んでいる。

 それに混じって、ほんの数枚だが事故の前のものだと思える写真もまぎれていた。

ああ、それは英司にもらったんだよ。

英司の今の両親のところに何枚か残っててね。

惨劇の起きる前……平和だった頃の大間って感じ?

〈ここには平凡な家族が住んでいた。しかしあの惨劇によって……すべてが変わった。子供は両親を失い、この土地での思い出は永遠に過去のものとなった〉

 悦に入った口調で山岸は言った。

 百合も記憶にある芝生広場で遊ぶ英司の写真。それに1号棟のエントランスにランドセルを背負った子供たちが並んでいる写真もあった。

英司くん、可愛いわ。

あ、あれ? この子……。

 半ズボン姿の英司に目をやった時、百合はそのすぐ後ろに立っている男の子の姿に目を奪われた。

 英司よりひとつ、ふたつ年上のように見える。

 そしてその瞬間……さまざまな符号がぴったりと重なり合ったのを百合は感じた。

山岸さん!
え……?
あなた、記者さんなら得意でしょう?

ええと……その、いろいろ調べたりとか。

……?

そりゃまあ、それが商売だからね。

 突然勢いづいた百合の言葉に、多少気圧されそうになりながら、山岸は頷いた。 
誰かの過去を調べたいと思ったら、どうすればいいの?

その人が全然別の誰かの名前を名乗って、全然別の場所でまったくの他人みたいに生活してるとしたら……それって調べられる?

調べられるよ。
 山岸はたった今まで百合が見ていた写真に目を落とした。

 何の変哲もない写真――に見える。登校前の子供たちの姿を映した日常のスナップに過ぎない。

この写真が、どうかしたのか?
英司くんのすぐ後ろに立っている男の子――。

私、この人を知っているの。

その人は静岡で育ったって言ってた。……でも彼、やっぱり大間にいたのよ。

 百合はそれを確信していた。

 写真のなかで英司のすぐ後ろに立っている男の子――それは紛れもなく篤志だった。

(同じことなのかもしれない。私が果歩についての記憶を封じられていたように、篤志くんが過去の記憶を封じられ、別の誰かと入れ替わってしまっていたのだとすれば……)

 その影にはきっと、あの男の存在があるのだと思えたのだ。

(篤志くんの記憶を封じたのも、お義兄さんなのかも)
 茂がドクターと呼んでいた……義兄・谷口雄二の存在が。

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