レイルモデラーズ

第11話 KATO パワーパックスタンダードSX 22-018をお求めのお客様

エピソードの総文字数=9,535文字

 海から流れてくる独特の匂いがする、非電化路線の駅。
 吸い込まれそうな、冬晴れの残酷なほど青く広い空。
 架線柱と架線がない駅は空が広いというが、本当に広い。
 そして遠くに海鳥の声が聞こえる。

 この私の命、もう神様に返してしまいたい。
 私がしたことは、つまりはそういうことだ。
 私にそんな値打ちはない。
 私は、どうしようもない。

 メイは、冬の大洗駅にいた。
 古びた地下通路の楽しいはずのガルパンキャラクターの等身大ポップすら、メイの気持ちを察しているかのように見える。
 西住隊長、秋山殿、沙織さん、麻子さん、華さん、会長……。
 みんな、アニメのキャラは、あんなヒドいこと言わないよね。
 だから、みんなに愛されてるのよね。
 でも、私は、それを言ってしまった。

 もう、何もかもがダメだった。
 メイは、あの天の川鉄道模型社のマスターと、喧嘩して飛び出してきたのだった。

 深い溜息をつくメイ。
 飲み物を飲む気にもなれない。
 ベンチに座っているけど、ケータイを見るでもなく、列車を見るでもなく。
 ただ、心が虚ろで、見たものが見えていても眼に入らない。

 この鹿島臨海鉄道の気動車が、エンジン音を上げて入換作業をしている。
 その屋根の排気管から陽炎が立っている。
 海鳥の声の混じる、のどかなローカル線の風景。
 大洗には車両基地と鹿島臨海鉄道の本社があるのだ。
 普段だったらメイもその姿に興味深く気を向けるのに、今は何も頭に入らない。

 ここまでなにが天の川鉄道模型社で起きたのか。
 それは、こんな話であった。

  *

「え、代々木署の刑事さんだったんですか!」
 メイはクラフトロボでカットしたペーパーのパーツを使って、オリジナルのストラクチャー(鉄道模型用の建物)を組み立てながら言う。
「そうそう。ここでシン・ゴジラごっこしたときの隣のイタリアンのお店の2人のお客さん」
「そんな……。確かにノリは良かったけど、それじゃ話が出来すぎです!」
「でも、お陰で話が早いよ。捜査してくれてるってさ。ハイテク犯罪センターも動いているらしい」
 メイは工作しながら、いまいち集中が上がらない。
「でも、いい感じに出来てきたな。この代々木上原駅セクション。10両編成対応でメチャメチャデカいけど、メイの作った周りの建物のお陰だね。特にこの『東京ジャーミイ』は力作だ。これで代々木上原駅以外には見えなくなった」
 代々木上原には日本最大のイスラム教寺院、モスクであるその『東京ジャーミイ』があって、この地域では知らない者はいない。それをメイはNゲージサイズで再現してしまったのだ。
「ジオラマで大きいもの、目立つものから作る、ってのは定石です」
「そりゃそうだけど、あれの造形メチャメチャ難しいよね。ドームとか尖塔とか。ほんとよく作ったな」
「何度も取材行きましたもん。どうしても作りたいから」
「そのメイの熱意は立派だよな。これで垂直水平が厳しければ、って思ってたけど、最近がんばってるもんな」
「それはいいんですけど、うちの作る3Dプリント信号機の販売、レイルクラブの彼との取引条件、あまりにもヒドくありません?」
「まあ、ね。正直強くでられないんだよな。現金とか積まれちゃうと、とくに店や零細企業は強くでられなくなる」
「それにしてもですよ、っと!」
「え、どうしたの?」
「手元狂っちゃったじゃないですか!」
 メイは怒った。失敗したのだ。
「それは俺のせいじゃないよ。気をつけてないメイ、君が良くない」
「もー!!」
 メイは一旦ペーパーの接着を丁寧に剥がし、爪楊枝でまたボンドを付けてやり直すことにした。
 そんなとき、またネコのテツローが騒ぎ出した。
「もう、テツローまで! 私を邪魔しないで!」
 メイが苛立ったそのとき、マスターが呆然としていた。
 え?
 そこに、あのレイルクラブの彼がいた。
「邪魔するよ」
 彼の表情に、小さな嫌みが乗っていたのをメイは見逃さなかった。
 また、無理難題を持ち込んできたんだろう。
 でも……なぜマスターはこんなに我慢しているんだろう。

「ええっ、その納品日は守れない! 無茶すぎる!」
 その直後、マスターも声を上げた。我慢の限界なのだ。
「その日はこの街の商工祭りがあるんだ。今、こうやってそれに出展するためにやってるのに」
 マスターはバックヤードの制作中の代々木上原セクションを見せる。
「でも、その日は品川で鉄道模型即売イベントがある。どっちが大事か、わかるだろ? 他に販路ないんだろ? メーカーもやらないなかで、オレたちのルート使わないといけないのはわかっているはずだ」
 彼はそういうと、「ふーん、東京ジャーミイね」と言って、鼻を鳴らした。
「じゃあ、出展は? この日は無理だって、前もって言ってあったはずじゃないか」
「どっちが大事か、考えるまでもないよな」
「出展の日は告げてあったよな」
 お互いに引かない。
「どっちが大事か」
 彼は詰める。
「まあ、それがなければこの商談は見直さざるを得ない。オレたちもこの件に責任があるからな」
 メイはなにか言いたかったが、言えない。
 マスターを超えて出過ぎたマネは出来ない。
 それがバイトというものだから、と思ったのだ。
「まあ、君を『信頼』しているよ」
 信頼、の言葉がこんなにも憎たらしく聞こえることがあるのか、とメイは憤った。
 言葉に罪がなくても、言う人間によってこんなに酷い言葉になるとは。
「納品、待ってるからな。入金はその後だ」
 マスターは答えない。
「じゃあ、これで。模型メーカーの担当者に別のプロジェクトで打ち合わせがあるんで、失礼するよ。また来る」
 マスターはうつろな目でそれを見送った。
 メイはそれを見ていて、とても悲しくなった。

「マスター、なんで怒んないんですか! 今すぐ塩撒きましょうよ!」
 メイは沸騰していた。
「まあ、あいつ、もともとそういう奴だもんな。今、模型メーカーと組んで何か新製品出すって言ってたな」
「なんて嫌みな奴! 今度来たら思いっきりグーでぶん殴りますよ、あの男。いいですよね!? 徹底的にやりますよ、私!」
「それはこまる。メイ、あんがいバイオレンスだよなあ。そんなことしたら傷害事件になる。犯罪者を作るわけにはいかないよ」
「とはいえ、あれはヒドすぎます!」
「ま、俺なんてその程度なのさ。あいつからの入金なければ、3Dプリントのソフトの払いが飛んでしまう。すこしもちこたえても、うちの店はかなり厳しくなる。サイアク、潰れかねない」
「だったら私をクビにしてください! お金なくなっても、マスターがそんなことさせられてるの、私、もう見たくない!」
「そんな。クビには出来ないよ」
「じゃあ、私、自己都合退職します! それならいいんですよね!」
「だめだ。メイ、冷静になろう」
「これのどこに冷静になれる要素があるんですか!」
 マスターは溜息をついた。
「でも、メイの設計した3Dプリント信号機を死蔵するわけにも行かないし。かといってこの東京ジャーミイのある代々木上原セクションも死蔵出来ないしなあ。うーん」
「なに言ってるんですか!」
「かといって、メイに食べさせるハーゲンダッツももうないしなあ。苛立ってる女には甘いものって言われてるけど」
「そういう問題じゃないです! こんなときにハーゲンダッツ食べても、きっとちっとも美味しくない!」
「でもなあ。まあ、たしかに、ここまで作った代々木上原駅モジュール、もったいないよな。俺も担当したこのフレキシブルレールの敷き方、今回なかなか会心の出来だし」
「……そうですよね。いい曲線ですよね」
「ここまで、ありがとうな。二人でここまでこの短期間で、こんないいの、出来るとは思わなかったよ」
「いえ、それは良いんですけど……。これ、出品しなかったらどうなるんですか」
「まず、楽しみにしてる子どもたちがガッカリする。そして出展するって期待させた商工会のみんなに土下座するしかないよな」
「土下座って、ドラマ『半沢直樹』ですか!」
「あ、あれちょっと古いから知らないかと思ってたけど」
「そういうことじゃなくて!」
「まあ、俺は土下座する分にはかまわないけどな。ジャンピング土下座、焼き土下座、ローリングハリケーン土下座といろいろできるし。前の仕事で慣れっこ」
「なんですかそれ。それに、それどころじゃないですよ!」
 マスターはそうのらりくらりしながら、手は止まらずに次々と工作をしている。
「だいたい、この程度のことで工作ミスるのは技量が足りないの」
「でも!」
「メイも、手を動かすの。考えても仕方がない。こういうときは手先に集中。これが貧乏カスタム模型店の現実だよ。でもそれに負けるわけにはいかないの」
「そんな!」
「結局、何度も言ってるけどさ、金で才能は買えるんだよ。才能は金にならないけど。そのことを何度も思い知らされてきた」
「そんな夢のないことを」
「世の中に夢なんかないよ」
「……くっそー、また失敗した!」
 メイはそれでまた手元が狂ってしまった。
「修行が足りないよ。手元の狂いを感情のせいにしちゃいけない」
「マスター!」
 メイはキレた。
「マスターがいつもヘラヘラとそうやって優柔不断で、しっかり嫌なものを嫌だって言わないから、こうなったんじゃないんですか!」
 マスターは黙った。
「あんな男、一発思いっきりぶん殴って『二度と汚いツラ見せんな!』って言えば良いんですよ!」
 メイは怒鳴った。
「でなきゃあんな厭味で慇懃無礼なやつ、どうにもならない。それに情けかけてるようでいて、マスターは本当はあの男が怖いんですよ! 怖いから、その周りの雑魚からも見放されると怖いから、きっぱりと切ることもできない。だからヒドい目に遭う。それでもヘラヘラして、同じヒドい目に遭うのを何度も繰り返す!」
 メイは一気にまくし立てた。
「一体何なんですか。そんなの、ちっとも優しいって言わないんです。女の私が言うのもなんですけど、正直、女の腐ったようなもんですよ! そんなの、優しさじゃない!」
「……そうかもしれんなあ」
 マスターはそう言う。
「いい加減にしてください!」
 メイは、興奮して言ってしまった。
「このことも、15年前のことも、結局、マスターにもそういう原因があるんじゃないんですか!」
 メイの言葉に、マスターは言葉を失った。

 次の瞬間、メイは、自分の言った言葉のひどさに、その顔を真っ赤にした。
 そして、店の作業エプロンのまま、店の外に走り出してしまった。

 そして、いくつもの電車に乗った。
 どこをどう乗り換えたかもよく覚えていない。
 でも、気がつけば、常磐線で北に向かっていた。
 それで、いつか、ずっと昔に遊びにきた茨城県大洗まで来てしまった。

  *

 日が傾いていく。
 あたりは独特の茨城の寂しい夕方の風景になってきた。
 私、なんて事言っちゃったんだろう。
 マスター、15年間、そのことで苦しんできたんだろうと思っていたのに。
 私の、バカ。本当にバカ。
 もう、こんな命、神様に返してしまいたい。
 私には、こんなの、もったいない。
 私という人間に、そんな値打ち、ない!

 でも、どうにもならなかった。
 そして、また気付けば、水戸駅に戻っていた。
 食事もする気にならなかった。
 胃は冷たく、身体も心も、すっかり凍えていた。

 それで、メイがまるで死に場を失った幽霊のように、水戸駅前のペデストリアンデッキをフラフラとしていたその時だった。
 空につき立つ茶色のエレベータータワーの下、薄暗い照明のなかを人々が行き来している。
 そのなかに、特徴的な包みが見える。
 メイは、そこで気付いた。
 あれは……ベーシックセット!
 家族連れが鉄道模型の包みを持って歩いているのだ。

 そういえばこの水戸駅のビルの中に、家電量販店があったんだっけ。
 でもあの店、鉄道模型の扱いあったかな……。
 だけど、私にはもう関係ない。
 鉄道模型見ても、辛いことしか今は思えない。
 そう思ったはずだった。

「おとーさん、なんでこのセット、ここら辺で走ってるE531系じゃないの? E233系なの?」
「タカシ、そういわないの。それしかベーシックセットにはないんだから」
 そうか、ベーシックセットSD、E233系上野東京ラインセットか……。
「それに3両って変だよー。上野東京ラインE233系はグリーン車も入って15両でしょ」
 若いお父さんらしき人が言う。
「少しずつ買い足していけば良いのさ。増結セットもあるし、レールも増やしていけば良い」
「でもそんなお金ない-」
「じゃあ、お小遣い貯めて、お年玉貯めて、そのうち働いて、買うんだ」
「そうよタカシ。クリスマスはこれで我慢するの」
「サンタさんはもっといいのくれるかなあ」
「我が家のサンタさんはどうかなあ」
 お父さんが微笑む。
「あたし、お兄ちゃんのE233系に乗りたいー」
 小さな妹があどけなく言う。
「いいよー。でも模型踏むのはダメだよ」
「わかってますー」
「でも、これ、このセットだけで運転出来るのかな。電池とか別にいるとかないよね。店員さんはコンセントにパワーパック?っていうのをつなげば走るって言ってたけど」
 お父さんが考え込んでいる。

 ああ、今日は、この見知らぬ一家の家に、初めて鉄道模型が来る夜なのか。
 ……私にも、そんな日があった。
 暖かな、幸せな家族の夜だった。
 そう、鉄道模型は、幸せの象徴。
 なくてもこまらないけれど、『ないと困るもの』しかない家がどんなに辛いか、.それを聞いたことがある。
 なくてもこまらないものって、すごく優れて文化的なのだ。
 そして、その文化的な生活があるから、人は働く気にもなる。
 基本的人権って、そういうことだ。
 でも、今の世の中は、それも潰しにかかる。
 ここにいる一家は、その荒波の中、小さな文化の灯火を、また一つ手にしたんだ。
 その通り、みんななんて嬉しそうな顔なんだろう。
 幼い兄弟も、お父さんもお母さんも。
 シアワセって、こういうことなんだろうな。

「そのベーシックセットSDはオールインワンなので、中に入っているものを説明書通りに組み立てて、コントローラーをコンセントにつなげば遊べますよ」
 メイは思わず、そのお父さんに声をかけていた。
「あ、ありがとうございます!」
「あ、お姉さん、模型店の人?」
 子供が言う。
「そうです。でもちょっと離れたところの模型店ですけどね」
「ありがとうございます!」
 一家がお辞儀する。
「模型って楽しいから、大事にしてね。鉄道模型は大人になってもずっと楽しめる、ほんとうに素敵なものですからね」
 メイは指を立てて、注意した。
「はーい」
 兄妹の声が揃った。
「お姉さん、ばいばーい」
 兄妹の振る小さな手が揺れている。
「はい、ばいばい」

 そして、見知らぬ一家は去って行った。

 でも、こんな素敵な鉄道模型が、どうしてああいう悲しい『争い』になってしまうんだろう。
 そのことが、メイの心にさらに鋭く刺さっていた。
 でも……マスターは、これを知った上で、黙っているのだろう。
 つらいだろうな。

 でも……。

 もしかすると、これは、結局はお客さんには何の関係もないことだから?

 だから、マスターは『にもかかわらず、鉄道模型はステキなものだ』って言ってたんだ!

 メイは、ハッとした。
 そういうことだったんだ!

 マスターに、謝ろう。
 あまりにもすまないことを言ってしまった。
 そこまで深く考えているマスターに、私はあまりにも浅はかなことを言ってしまった。
 許してくれなくても仕方がない。
 でも、謝らないわけにはいかない。

 電車を乗り継いで、代々木上原に向かう。
 水戸から代々木上原、北千住乗り換えで最短所要時間2時間13分。
 その間、メイは、湧き起こる感情にもまれ続けていた。

 そして、真夜中に代々木上原に着いた。
 終電間際の代々木上原駅、ホームに人はいなくなっていた。

 もうお店開いてないだろうな。マスター、SECOMかけて帰っちゃったかも。
 ところが。
 真っ暗な街のなか、その一角が、嵐の中の灯台のような心細さでもしっかり光っている。
 うちの店だ!
 店のシャッターが開いている。
 マスター、まだお店開けてたんだ!
 一瞬ためらったメイだが、店に向かう。
 そして、ドアを開けた。
 ところが、誰もいない。
「ええっ」
 メイは驚いた。
 まさか、マスターの身に悪いことが!
 なんてこと!
 メイは泣き出しそうになった。

「なんだ、メイ、遅かったな」
 そのとき、あの太くていい声が聞こえた。
「マスター!!!」
 メイは目の前のマスターの胸に飛びこんだ。
「ぐえっ!」
 マスターが不意を突かれて口から変な声がでた。
「おいおい、映画やドラマじゃないんだからさ。いきなり飛び込んできたらクルシイって!」
「マスター!!!」
 メイはそれでも抱きついた。
「ごめんなさい!!」
 マスターは一瞬何のことかわからない表情だったが、泣きじゃくっているメイにそれは見えない。
「なんのこと?」
 マスターはメイをようやく抱き留めた。
「まさか、あの口げんか?」
「ええ」
「まあ、気合い入れて模型作ってたら、軽い喧嘩ぐらいしちゃうよ。その程度のこと、いちいち気にしてたら、いいものも作れないさ」
「マスターを守ってくれ、って自転車の彼に言われたのに」
 メイはまだ泣いている。
「全然守れてない。それどころか、足引っ張ってる」
「そんなことないさ」
 マスターは微笑んだ。
「守ったり、守られたりって、べつにオレたち自衛隊でも警察でもないんだぜ。お互い、欠けたとこ、苦手なとこのカバーし合うことは出来ても、守るなんて無理は出来なくて当然。そんなこと望んでないよ。事実、こうして俺もメイを守れてないし」
 メイはまだ泣いている。
「泣くと心がすこし楽になる。でも、そろそろいいんじゃないかな」
 メイは泣いて赤くなった眼を向けた。
「でも、私、このままではいられない」
「え、なんのこと?」
「マスター、このお店で欲しいものがあります」
「え。まさか」
「ええと」
 メイがさがして、これ、と指差した。
「パワーパック?」
「売り上げ貢献です」
「そんなことしなくていいのに」
「でも、それでなくても欲しかったんです。家でも模型のメンテとか走行させたいし」
「貸しても良いんだよ。パワーパック、いっぱいあるから」
「でも、私の働いたお金で買いたいんです」
「じゃあ」
 マスターは考えていた。
 そして、パワーパックを選んだ。
「メイ、これ使ってみて。KATOの新製品だから、使った感じとか教えて欲しいんだ。俺も興味あるし。メイにはパワーパックの善し悪しをわかるセンスがもう身についてるはずだ」
 そしてマスターはレジを打った。
「これ、社員割引、社割にしてある。もともとそんな制度なかったんだけど、たった今作ったから」
「ありがとうございます!!」
「じゃあ、これは店のものじゃなくて私物だから。ごっちゃにしないでね」
 そういうとマスターは箱にシールを貼った。

 メイは、また、泣き出した。
「もう、メイは泣き虫だなあ」
 マスターは笑いながらコーヒーを入れている。
「まあ、飲みなよ。ちゃんと飯食ってた? 胃が冷たいとろくなことにならないよ」
 メイは泣いた。なんてマスター、優しいんだろう!
「メイがいない間、俺もちょっと頭冷やしに、でかけたんだよ。店一旦閉めて」
 メイが顔を上げる。
「で、実は、いろいろ行って、細ーい一筋だけど、この状態の逆転の道を見つけた」
「ええっ」
「なかなかシビアでね。なんで俺が気付かなかったのかなー、と思ったけど、今思えば当たり前だったんだよね。ただ、気付くのが遅すぎて、成功するかどうかはわかんないけどね。正直、すごくぎりぎりだ。それが成功するかは、展示の日にしかわからない」
「じゃあ」
「代々木商工まつり、予定通りに出展するよ。で、そこでその一筋が失敗して、納期守れないってなったら、うちの店はヘタすれば潰れかねない」
「そんな勝負を」
「まあ、俺、昔、この店やる前から、勝負運は強いからな。それはいいんだが」
「何かあるんですか」
「例の連中、うちが成功したら、むしろ腹いせにとんでもない報復をするかも知れない」
「報復って、まさか、模型を壊したり?」
「ああ。それをやりかねん。模型の世界で他人の模型を壊すのはタブー中のタブーだ。そんなことしたら模型の世界から完全永久追放だ。でも、連中のなかにはそれをやりかねない基地外もいる。とくにこの逆転の一手には、鮮やかだからこそ、その危険がある」
「でも、この店にはSECOMがあるし」
「まあな。でも、SECOMが来ないところにこれから行くだろ?」
「……商工まつりの展示!」
「そう。そこでやられる可能性はある」
「そんな!」
「でも、展示しないわけにはいかない。メイと俺で作ったせっかくのいい模型だし、それでこの地域の子どもたちも喜ばせたいし、それに、逃げたらこれは完全に負けだ」
 メイは、マスターの顔を見た。
「勝負は、その展示の日だ。悲惨な結果になるか、逆転になるか」
 マスターは笑った。
「なかなかスリリングだぜえー、って」
 メイは、マスターの胸にまた飛び込んだ。
「マスター!」
「うんうん。メイもいろいろ考えたんだよな。疲れちゃったよな」
「はい!」
 マスターは、メイを抱き留めた。
 そのとき、ぐうう、という音が鳴るのが聞こえた。
「いまの、メイだよな?」
 メイは、別の意味で泣きそうになった。
「おなか空いた……気付かなかったけど、すごく空いちゃってた」
「そりゃそうだろうよ。いったいどこまで行っちゃってたの? この前の夜のお詫びでお隣さんからパスタ貰ってあるよ、冷めちゃってるけど、温めて一緒に食べよう。俺も食うのワスレテタから」
「はい!」
「でも、これ、ちゃんと食べられるのかな。『シェフの気まぐれパスタ』って、どう気まぐれなんだろ。ちょっと怖いよな」
「それでも、見た目はいかにも美味しそうですよ。というか、今なら何食べても美味しいと思います!」
「そうだよな。『空腹は最高の調味料』っていうもんな」
「はい!」
 レンジでそれをチンする間に、テーブルクロスを敷いて食卓を整える。
「でもさ、こうしてるとさ」
 マスターが一緒にそうしながら、言う。
「夫婦みたい」
「マスター」
 メイが言った。
「それ、今更です」
 メイは笑った。涙のあとがまだ残った顔で。
「そりゃそうだよなあ」
 マスターは、がははと笑った。

 そしてその日、代々木上原・天の川鉄道模型社は、そこからちょっと遅くまで、明かりが消えなかった。

 そして、運命の代々木商工まつりの日が、やってくる。

 天の川鉄道模型社の最後の戦いが、始まる。

〈続く〉

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