変身ユリリック/エチカ

1 百合咲きの街

エピソードの総文字数=15,947文字

1

 唇を寄せ合う少女と少女。夕暮れ、制服姿の少女たちが行き交う駅の前の小広場で、人の目を憚ることもなく、ただパートナーだけに向けた恥らいだけ浮かべて。
 足早に、あるいはのんびりと傍らを行き交う人の目のほうも、そんな公然キスぐらいでいちいち眉をひそめたりはしない。昼夜を問わずよくある光景に過ぎない。道端で、コンビニの軒先で、カフェの行列の中で、どこでだって。
 だから、少女がふたり、鬼気迫るほどの駆け足で路地裏へ消えていっても、道行く者の目に留まることもなかった。
 女性向け店舗が並ぶ駅前通りのキラキラも一歩裏へ踏み込めば景色は一変、建物の壁と壁の間は空調機の唸りと熱風に満ちて淀み、薄暗く、埃が行き場に困って渦巻く。無言のまま息だけ切らして逃げる少女、その背中だけを見据えて追う少女はぐんぐん距離を詰め出す。
 そして、伸ばした腕が、まだ新しいセーラー服を着た肩を掴んだ。振り回されるカバンがその腕に激突して薙ぎ払い、少女は再び逃げようと踏み出した、が、そのままの姿勢で動きを止めた。
 前方、狭い路地を塞いで立ちはだかる人影が三つ。来たほうを振り向けば、追っ手のすぐ後ろにもさらに二人。計六人、黒のブレザーにグレーのスカート、同じ制服の少女たち。少女は後ずさり壁にぶつかって、セーラー服を煤に汚した。へたり込んで、見上げる、怯えた眼差しのその先ーーブレザーを脱ぎ捨てた追っ手の少女の姿が変貌した。
 制服はレザー質の黒い全身スーツへと変わり、緑がかった黒の甲殻がアーマーのように肩や胴を覆い、同質のロンググローブとブーツが細身なシルエットを歪に膨らませる。頭部も例外ではない。甲殻がフルフェイスマスクと化して頭を覆い、穿たれた四つの眼孔に四つの瞳が赤くギラつき、鋏型の牙が口を形作る。最後に、甲殻をチェーン状に連ねた長い尾が尻から垂れ、槍ほどに尖った先端が重たげに蠢いた。
 サソリの化け物。
 救いを求めてか、あるいは直視に耐えかねてか、周りを見れば、他の少女たちも今やブレザーを捨て、黒レザーのタイトなワンピース姿に変わっている。みなお揃いでスカートの裾に逆さ百合と剣の刻印、蔦模様の濃紺タイツとチェーンが巻かれたブーツ。
「ユリガイアの導き、光栄に思え」
 サソリ女のくぐもった声を合図に、ワンピースの少女たちが獲物に飛びかかった。


2


 聖哲ローザ学園高等学校、講堂。
 欠席者一名を除く全生徒五百名が集結したドーム状の講堂は今、サウナ寸前の熱気に満たされている。
 天井のど真ん中に吊るされたビッグサイズの垂れ幕には『聖哲ローザ学園高等学校初代生徒会長選挙』の筆文字。その直下に、骨組もアルミ色も丸出しな円形の仮設ステージが置かれ、二人の少女が仁王立ちと腕組み立ちで対峙している。その他の生徒たちは各々の支持者側でドームをきっちり二分して運命の時を待っていた。
 四月もとうに半ばの黄昏どき、暮れる空は晴れ渡って陽の色もまだ橙を抱かずにあるというのに。スカートを踊らせ生脚をくすぐる風も春先の冷たさをついに失って追い風に変わり、寄り道のアテもなくとも背中をぐいぐいと押して街へと誘い出し、ついでに胸を弾ませてくれるそんな陽気だというのに。
 金曜の放課後をエンジョイすることを振り切ってまで講堂に集結している生徒たちの熱気たるや。そして、立候補者のうちどちらを支持しているのかという点についても、その出で立ちのみで一目瞭然という光景の異様たるや。
 一方の背に立つは、一寸の乱れもなく整列して一切の私語もなくただ会長候補者の背だけを一心に見上げ続ける女生徒たち。身に纏った淡いグレーのブレザー制服に一点の乱れもなく、候補者の背に向かう眼差しに一点の曇りもない。皆が皆、いかにも高級そうな黒革の手袋をはめた両手を指先まできちんと伸ばして太ももに添えて直立不動。髪は黒一色、眼鏡は銀一色、スリムでタイトなネクタイは赤一色、スカートは膝上一分、靴下は紺一色、上履きの靴紐は白一色。その数、全校生徒のおよそ半数。
 そして。
 もう一方の候補者の背に立つ残り半数の生徒は、一口に言えば、正反対の様相である。雑然と立って座って散らばっては私語を慎まず、候補者の背を見つめる者もよそ見をしている者もあり、ステージ付近では、床からだとギリギリ覗き見えそうな立候補者のスカートの中を気にしている女生徒も少なくはない。制服の着こなし、ベストやパーカーの重ね着も十人十色、髪色も髪型も眼鏡色もカラコンの色も何から何まで好き勝手。大半はやはり女生徒であるが、ステージから最も離れたあたりには野郎の姿もぽつりぽつりと見つかる。ごくごく少数ながら、時計をチラチラ見やってはとっとと終わってくれないかと言外に主張している者も皆無ではなかった。
 全生徒が一堂に会して何をしているのかといえば他でもない、小一時間ほど前に終了した生徒会長選挙投票の結果が発表されるその時を今か今かと待っているのだった。
「キミが負けたときの約束、ちゃーんと憶えてるよね?」
 ステージの上、直立不動少女たちを背負い立っているほうの少女――上山田海果がそう言って口元だけ不敵に吊り上げた。五歳はサバを読んでも不審な点はない大きな目、深い緑の瞳は笑っていないのに自信たっぷりの笑いに満ちて澄んでいる。中肉中背、栗色の髪を眉上で一文字にぱっつんした由緒正しき三つ編みちゃんにもかかわらず野暮ったさをカケラも持ち合わせていないのは、御屋敷系御嬢様の証。
 対するもう一人の生徒会長立候補者、里見ともるは、
「もっちろんだよ! 私が落選したら、そのときはこの場で這いつくばって海果ちゃんの足を舐める! わんこみたいに、ね!」
 仁王立ちを崩さぬまま、いちいちハキハキ明るく元気よく声を上げる佇まいは、御嬢様の放つキラキラに引けをとらないほどのキラッキラに満ちて輝きを湛えている。背丈身の幅は海果よりほんのひとまわり大きいだけであるものの、こちらは高校三年生年相応の顔立ちとスポーティーな黒髪ポニテも相まって、最上級生のおねえさん感がとてつもない。ボタンを振るオープンにしたブレザー、そして規定のものより五倍は幅広な真紅のネクタイはもはやマフラーと見紛うほどで、海果とは別方向に突き抜けた自信満々っぷりを存分に纏っている。
「でもね海果ちゃん、私が当選したら――」
「無論、今年度の新入生及び編入生の野郎クンたちとも誠意をもって仲良くしてあげる」
「うん! 聖哲ローザ学園、女子校から共学校への記念すべき生まれ変わりの年だからね! 女の子も男の子も過ごしやすい学校を目指すのが今いちばんの生徒会の役目だよ」
 そう。
 そういう事情なのだ。
 従来ならば前年度のうちに次期生徒会長選挙は済んでいるが、今年度はいわばメモリアル・イヤー。男女共学化の節目にあたり、生徒会長は新年度が始まってから二週間を経た後に在校生全員の投票を以て決定しよう、という学校長の提案に従った結果がこの状況なのである。
 現在、予定の投票結果発表時刻まで残り一分。
 ステージの上、ともるはさすがに緊張の汗を額に光らせ始めている一方で、海果の調子は何も変わらない。
「あー、楽しみだなぁ、里見クンのわんこー……。もう靴下脱いでおこっかなぁ」
「……っ、私だって負けないよ、海果ちゃん! こんなにたくさんのみんなが応援してくれてるんだもの、負ける気がしないよ!!」
「あ、わかってるとは思うけどー、両脚、だからね? つま先から膝の下まで、舐め残しなくちゃーんと丁寧に、だからね?」
 海果が笑みなき笑みのまま念を押すと、ステージのすぐ傍ら、海果支持側の生徒たちの先頭で微動だにせず立ち続けていた少女が「ご褒美じゃない、そんなの……」と、切なげに悔しげにつぶやいた。唇を噛んで顔を上げ、眼鏡の奥の瞳をぎらつかせてともるを睨みつける。里見ともるめ、あなたごときが海果様に挑もうなど礼儀知らずと世間知らずを混ぜて身の程知らずを足すに等しい愚行、惨めに敗北するがいい、しかし、しかしっ、そうなると、こんなヤツが海果様に触れるどころか舐めるなどということに――乙女心がフクザツに、揺れる。彼女の名は北城深久美。いわば、海果の右腕的存在。皆一様に同じ姿な海果側の生徒の中で唯一、彼女のグローブにだけ、銀の平スタッズが指の関節部分に合わせて縫いつけられている。
 同様に、反対側に目を向けてみれば、そこには――ステージのすぐ傍らで膝立ちになってともるを見上げ、そのスカートの中を全力で気にしている少女の姿がある。ともるの大親友、その名を五条明日奈という。
「がんばれトモルー、みんなが見てるよ! 負けるなトモルー! あたしももうちょっとで見えそう、見えそうだよ、もうちょとだけ脚開いてよトモルー!!」
 鮮やかな金髪を振り乱し、ともるのパワフルな声とはまた別の方向に突き抜けているやかましさで絶叫しながら、もはやステージ脇にしゃがみ込んでモロに見上げ始めるのも時間の問題であろうテンション。彼女に至ってはもはや制服姿ですらなくチア部のユニフォームを着てはしゃぎまくっているので、ともるのチラリを狙って動きまくるその後ろでは、チラリどころか丸見えを期待する明日奈ファンの少女たちが鼻息を荒くしている。

 そして。
 海果が靴下を脱ぎ出すのを待たず、
 深久美がフクザツな乙女心の落としどころに辿りつくのを待たず、
 ともるの緊張の汗が引くのを待たず、
 明日奈がチラリの瞬間を目にするのを待たずに、
 やがて流れ出した夕方五時のチャイムが開票結果発表の時を告げた。最後の一音が校舎の果てまで響いて響いて薄れ果てる情緒をぶった切ってスピーカーにノイズが走り、
「お待たせいたしました。開票の結果をお知らせいたします」
 とアナウンスする運営委員の女子生徒の声が、どこか、戸惑いを隠せずにいる。ともる側の生徒たちもさすがに静まり返って息すら潜め、当のともるが深く、深く息を吸って鼻から抜いた音だけがひときわ大きく聞こえた。
「総投票数五百、有効票数五百。うち、上山田海果さんの獲得票数は二百五十。里見ともるさんの獲得票も同じく二百五十。同数となりましたので、会則に拠って、欠席者への電話確認を行います。なお本日の欠席者は一名、二年四組の真島紅子さんのみです」
 運営委員がそこで言葉を切り、ドアの開閉音、椅子を動かす音が続いたが、すぐに静かになってアナウンスが再開される。
「公正を期するため、真島紅子さんへの電話は、本学園学生食堂の栄養士兼料理長の孝子おばちゃんに担っていただきます。選出の理由は、生徒及び教員含め最も中立的立場にあると思われるのがおばちゃんである、との校長判断に依っています。この選出に異議がある者は速やかに挙手をお願いします」
 数秒間の、沈黙。手はひとつも上がらない。
「ありがとうございました。それではただ今より、真島紅子への発信を開始します。双方の音声は共にこのスピーカーを通して放送しますので、私語は慎んでご静聴ください」
 再びノイズが走り、すぐさまコール音が続く。三回……五回……と、一回ごとに静謐はますます深まり、十回目のコールが途切れる寸前で、ようやく。
「はい真し……」
「もしもし、コーちゃんかい?」
「……え、ぁ、孝子おばちゃん?」
「ごめんねお休みなのに、ちょっと学校の大事な用事でねぇ」
「え、なんでっ、あたしおばちゃんに番号とか……っていうか、ぇ、どうしたんですかいきなり?」
「具合は大丈夫かい? 体調不良でお休みだって聞いたから、電話なんかかけてもいいもんかと心配したんだけど、でも、まぁまぁ元気そうでホっとしたよ」
「……ぁ、はいっ、そうです、そうでしたっ、朝はちょこーっとダルいかなぁって感じでアレだったんですけど、さっきポテチも一袋空けましたし、今はもう、すっかり……」
「あなたまたこんな時間にそんなもの食べてるのかい? きちんとした時間にきちんとしたものきちんと食べなきゃ、お尻ばっかり大きくなっておっぱいは大きく――」
「ほ、ほっといてくださいよそこんとこは……!」
 講堂はなおも静まり返っており、さらには上山田側のごく一部の女子生徒から放たれる、中年女性と女子高生の生電話シチュという萌え場を聞き漏らすまいとする熱気が満ち溢れて、緊張感に拍車をかけていく。
「ああ、それでねコーちゃん、今あたし、学校から電話してるんだけどほら、今日、生徒会長の選挙の日でしょう。ミーちゃんとトモちゃん、今もステージに立ってるんだけど――」
「あー、そっか、そうでした、そういえばきょっ……ぇっ、ちょっ、待っ!?」
 悲鳴とも嬌声ともつかぬ、何とも歯痒い絶叫がスピーカーから放たれ、講堂にこだまする。立ち上がった勢いで椅子を後ろに蹴倒したとおぼしき騒音。そして、ものすごい勢いでティッシュを取りまくる音。
「ありゃ、ジュースでもこぼしたのかい?」
「コーラっ、コーラがパソコンに……すっ、すみませんっ、ちょっとだけ失礼しますっ!!」
 携帯電話を机上に叩き置いた衝撃がスピーカーを震わせ、後には、パソコンのキーボードをがちゃがちゃ拭きまくる音が粛々と続く。やがて、ひときわ大きな音――エンターキーを思い切り押し込んだのだろう一音が聞こえた、直後。
『――――ぱいっ、ユリコ先輩!? なんで鍵かけてるんですか、私たちアルコールランプを取りにきただけじゃなっ……』
『ユリちゃんとせっかくふたりっきりになれたんですもの、他に人が入ってきたりしたら困るでしょう?』
『……か、からかってるんです……よね……? だってユリコ先輩が私なんかと、そんなことって……やっ、待ってください、離っ……』
『ほら、暴れないの。棚でも蹴っ飛ばしたりしたら大変よ? じっとしてないと――――』
 芝居調のロリ声、アニメ声。携帯電話のマイクが拾い伝えるその音声が普通の会話漏れでないことは、誰の耳にも明らかだった。ましてや、生徒のほぼ半数が女の子を愛する女の子であるこの学校においてはそれがきわどい百合アニメであると察しのつかない者は皆無といってよく、きょとんとしているのは孝子おばちゃんただひとりである。
「お友達がお見舞いに来てくれてるのかい?」
「いえっ、なっ、何でもないです、何でもないですから今のは!! ごめんなさいおばちゃん、あたし大変なのでこれで失礼します!」
 あーもうサイアク、と泣き言を漏らす紅子の声が遠ざかり、電話は切れた。
 一間の沈黙が過ぎた後、コーちゃん元気そうで良かったねぇ、とほのぼのしている孝子おばちゃんのつぶやき、紙を必死にめくっている音が続いたがすぐにまた静けさを取り戻して、そして。
「それでは……真島紅子さんは棄権とみなし、再度会則に拠って、本年度の聖哲ローザ学園高等学校の生徒会長は、上山田海果さん、里見ともるさん、以上の二名に決定となります」

3


 拭き散らかしたティッシュとコーラのボトルをゴミ箱に放り、倒れた椅子を起こしてそっと腰を下ろし、脚を組み腕を組み、黒縁の眼鏡を外してようやく溜め息が込み上げる。一文字に結んでいた唇を緩めて、そのまま垂れ流して、机上の携帯電話をうらめしげに見つめる、と、少し色褪せたパールピンクの二つ折筺体がまたしても着信を告げてぶいぶい唸り出した。孝子おばちゃんからのかけ直しだろうと思って画面もろくに見ずに出てみれば、
『こんにちは紅子ちゃん! 里見ともるです!!』
 パワフルな声に脳天までガツンとヤられて、紅子は思わず電話を耳から遠ざけた。相手がともるだとわかっていたら最初から充分な距離を確保することもできたのだが、完全な不意打ちだったことも相まってノーガード、ダイレクトである。ちなみに、ともるとは去年度まで同じクラスだったので、親しくはないが顔見知り。授業をサボりがちな紅子の留年が確定したときも何かと気にかけてくれた、やかましいけど憎めないクラス委員長だった。
『突然ごめんね、何を隠そうさっきのアニメの件なんだけれども』
「アニメー?」
 頭のクラクラに苛まれつつ完全に反射で訊き返した紅子だが、冷たく確かな嫌な予感がひとすじ、背に走った。
『うん、さっき紅子ちゃんが電話中に事故って再生しちゃってた百合アニメ、私もすごく見てみたくて。良かったらタイトル教えてほしいの! それに私だけじゃなくってね、海果ちゃんもけっこう気になってるっていうから、ぜひとも!』
「……え、いや、いやいや、ちょっ、待って、え、なんで里見さんがそのこと知って……」
『? あ、そういえばさっきは伝え忘れてたみたいだね。あの電話は紅子ちゃんの投票の代わりになるもののはずだったから、講堂のスピーカーから全生徒に向けてちゃんと流れてて、みんなが聞いてたんだよ』
 瞬間、指先が迷うことはなかった。電源ボタンを長押ししてそのままベッドに放って枕を乗せて布団をかけた。
 頭を抱えてのたうちまわりたい衝動を振り切るために。
 今夜素敵な夢を見るために、そして、明日また生きていくために。
 そのために。
 今、できることは、やるべきことは、ただひとつ。

 とりあえず、出かけよう。
 夕映えの海と、女の子カップルを眺めに行こう。
 いざ、百合咲シーサイドストリートへ。
 女の子カップルのデートに特化した、全国屈指の百合スポットへ。

 そうと決まれば早速お出かけの準備に取り掛からなければならない。
 朝から着っ放しのパジャマをベッドに脱ぎ捨てて、まずは浴室へ。自室を出て廊下を進み階下へ行くその姿は、揺すりたくもない尻を微妙に揺すりつつ、揺すりたいが満足には揺れてくれない程度の胸をオマケ程度に揺らしつつ。ぬるめのシャワーをがっつり浴び、裸のまま自室まで戻ってマッパのまま鏡台の前に座る。度入りの水色カラコンを未だおっかなびっくりしながら装着したら、あとはツヤが自慢のミディアムストレートをブローすれば髪はいっそう黒くいっそうツヤッツヤになって、セットはおしまい。ヘアピンもワックスも要らない。風が吹けば風の向くままに髪が踊り、かわいい女の子のスカートがめくれることほどアツく素敵なことはないのだから。
 ともかくも下準備は終わり、後は服を選ぶのみ。
 紅子は鏡台に背を向けて立ち上がり、部屋を横切ってクローゼットを開いた。クリームホワイトのロンTに色褪せのジーンズ、紺のスリムなブレザージャケットを羽織って、完了。携帯電話は布団に埋もれさせたまま、財布だけポケットに突っ込んで部屋を出て、台所で牛乳をがぶ飲みしながらミルクドーナツを一個頬張って、腹ごしらえも完璧。
 改めて、いざ。百合咲シーサイドストリートへ。


4
 
 海沿い、汐風を浴びて建つ白木造りの教会風の建物が、私鉄百合咲駅。改札を出て陸側に向かって歩き出せば、レンガ敷のストリートに美味しいものとカワイイものとカッコカワイイものをリーズナブルに取り揃えるショップが軒を連ね、裏ストリートに入ればエスニック系を始めとしてゴスロリパンクミリタリーオカルトといった女の子のツボがひしめき合うめくるめく世界。それでいて雑多な印象がギリギリまで抑え込まれているのは、すべての店舗建物が二階建てで統一され、見上げる夕空も長く棚引く雲もデコボコに区切られていないおかげだ。
 紅子が目の保養と心の癒しを求めて駅舎から一歩踏み出せば、今日も道行く百合カップルたちは幸せそうにストリートに寄り添っていた。少し野暮ったいセーラー服姿の少女たちの初々しさが甘酸っぱく、遠慮なしに肩をくっつけて歩いている女子大生カップルの大胆さ、目のやり場に困り過ぎて困らない、三人や四人のグループで連れ立ち歩く少女たちの姿がちらちらと行き過ぎるたび、その輪の中に行き交っているのだろう赤い糸を勝手に妄想させてもらって幸せをわけてもらう。
 金曜日の夕方、人波はちょうどいい混み具合で、独り歩いていても特に目立たず、淋しさもつのらない……はず、だったのだが。
 なぜか。
 どういうわけか。
 ストリートを歩き出してから十分足らず、制服姿で独り歩く女の子の姿が今日はいやに多い。しかも皆、百合カップルにはろくに目もくれず、足早に通り過ぎていく。
 何か変わったイベントでもやっているのだろうかと妄想を膨らませつつ裏ストリートへの路地に一歩踏み入った、
 途端、
 路地の奥、裏ストリートとの交差点のところに、壁に身を寄せて佇む人影があった。紅子がさらに一歩を踏み出すなり、人影は身を潜めて見えなくなった……ものの、それでもただならぬ気配、ただごとならぬ視線がなおもくっきりと残っている。じっと見つめている、というのとは少し違う。ゆらゆらと定まらず、それでもどうにかして見つめていたくてあっちへ逸れては戻り、そっちへずれては戻り、揺れに揺れる眼差し。
 まさか、これこそは、自分をアツく見つめているシャイな女の子の片想いな眼差し--などと妄想が捗ったりもしてはみるが、あくまで、悪ノリ半分の妄想。紅子とてそこまで思い込みは激しくはない。その上、実のところ紅子自身もまたひどいシャイなのである。きょろきょろと辺りを見回すような真似もできなければ、近くにもし自分を見つめる女の子を発見できたところで、積極的に声をかけていく勇気はほぼゼロ。立ち止まりはせず、歩幅だけできるかぎり小さくして路地を進んでいくものの、出来ることはせいぜい目を遠慮がちにあちこちへ走らせるぐらいにとどまる。
 そうして結局、何事もないままに裏ストリートへ抜け出た。
 それでも、何者かに見られているような感覚が消えることはなかった。おまけに、視界の端のぎりぎりのところを何か小さな光が駆けた気がして顔を向けてみるが誰もいない--そんな不思議体験までが紅子に降りかかり始めていて、さすがの妄想力をもってしてもどうしても萌えられる方向へ膨らませていけずにいる。
 中古レコード屋の前を通りかかってはまたどこかで光がチラついた気がして、ガラス張りの店先に映った自分の姿を二度見して。古い喫茶店の前を通りがかっては、ドアベルの音でハッとなり。古本屋の軒先に積まれた格安本が風に煽られる密やかな動きにも注意を踊らされて、また、視界の隅っこを光が過ぎるのを感じて。そして、アクセサリーショップの前に来たところで、ついに立ち止まった。
 これまでより一層の眩しさで、ぎらりと煌めいた気がしたのだ--マネキン二体がやや窮屈そうに並んでいるショウウィンドウの中、二体ともがお揃いで腰に巻いているベルト、そのゴツく大きなバックルが。
 幅広のホワイトレザーベルト。レディースものにしては少しどっしりしすぎているふうに見えるのは、10cmに届こうかというその幅の広さゆえだけではない。正面部分に据えられた巨大なバックルプレートの鈍い銀光りが、実用性をまるで無視したようなズッシリ感に拍車をかけている。
 そしてまた、視線が飛び交った。
 紅子がそれとなく振り向いてみても、そこにはショウウィンドウの向こうのワニのぬいぐるみがいるだけ。視界の隅できらりきらりと瞬く光に踊らされ、あっちへ、こっちへと首を回して眼差しの在り処を窺っても、そこにあるのは電柱、ナンパに注意のポスター、道ばたに咲く百合の花、再び、ベルト。
 紅子の手のひらよりもうひとまわりも大きなそのバックルを改めて見つめる。プレートと呼ぶにはあまりに厚みがあり、身近なところでいえばちょうど黒板消しほどの厚み、形、大きさというのが一番ピッタリくる。表面には、線と三角形を基調とした幾何学模様の彫り込み。見つめるほどに、見つめ返されているような、錯覚、なのだろうか。
 飛び交う視線、行き交う光。
 目を奪われ、我を忘れ、さらに身を寄せ顔を寄せていこうとした、次の瞬間、
「ばんわーっ、なんかお探しっすかー?」
 ウィンドウ横のドアが開け放たれて、店主が顔を出してそのまま紅子の隣にぴたりと並んだ。トライブ感満々なポンチョ姿のお姉さん。背丈は紅子と変わらないものの、小顔な上に威勢良く甲高い声のせいか、並び立ってもなお幾分か小柄なように見える。
 やばい、何か買わなくては帰れなくなる流れだ--紅子は咄嗟に逃げ道を探す、が、時すでに遅し。腕を引かれ、気付けばもう店内に連れ込まれて、ほの甘いお香の匂いに包まれている。
「ついこないだ仕入れから帰ってきて、今も色々並べてたとこなんすよー」
「あ、いえ、あたしはそのっ、ベルトをちょっと見てただけで……」
 また、ショウウィンドウのほうで煌めきが弾けた。
「ああ、あのベルト、オススメですよ全力で! 試着いきます? いきましょう、ね?」
「いえ、大丈夫ですっ、ほんとっ、いいなーとは思ったんですが、あれだけ太いとあたしなんか使い方わかんないですし--」
「またまたぁ、ああいうのはビシッと巻いちゃえばそれでオッケーなんすよ……ちょーっと失礼しますねっ」
 店主は言うが早いが紅子の両腕を掴むと、そのままバンザイの格好をさせて、天井から垂れ下がっている枷付きの鎖に両手首を拘束してしまった。
「ちょっ、待っ、何ですかこれっ!?」
「何って、ベルトの試着っていったらこれが一番キマるじゃないですかぁ」
 すぐ持ってきますんでー、とショウウィンドウへ駆けていき、マネキンからベルトを外して戻ってくるまでの間、たっぷり十秒ほどはあったが、紅子はわけのわからなさに絶句したまま、唖然としたまま、結局、ブレザージャケットの上からそのままベルトを巻かれてしまうまで、されるがままに。
「ほらキマシた、キマってますよお姉さん、後ろに鏡ありますんでご対面してみちゃってください!」
 紅子が自分で振り向くまでもなく、店主に腋を抱かれて反転させられてみれば--鏡に映るのは、両腕を頭上で拘束され、店主に寄り添われ立ち尽くしている自分の姿だった。
 妄想が、膨らんでしまう。
 しかし、違うのだ。
 自分が拘束される側では、ダメなのだ。
 シャイなくせに、流されやすいくせに--このシチュならば客ではなく店主のポジションが紅子の理想の場所なのである。
 だから、今すぐに、一刻も早く、この窮地を脱出しなくてはならない。
 となれば、言うべき台詞は、ただひとつだ。


5

 同じ頃、百合咲駅のストリート側出口に騒がしい二人組が現れ、いらぬ注目を無自覚なままに寄せ集めていた。
「早く行こうよトモルー、みんなもそろそろ着き始めてトモルーのこと待ってるよ、あたしもいつだってトモルーのこと待ってるから今夜だって今すぐだって準備万端だよぉ」
「うん、行こう! 走って行こう! ほら、明日奈、おんぶしたげる!」
 ともるは腕をまくって力こぶを作ってみせると、わざとらしく恥じらう明日奈を遠慮なしに背負うなり全力で駆け出し、ストリートへと飛び込んでいくのだった。

 そして、駅舎とは正反対側のストリート入口では、ボンネットが異様に長いジープがその巨体を街灯に煌めかせて停車したところだった。後部ドアが開き、降り立つのはもちろん、海果と深久美である。彼女たちも同じく祝賀の晩餐のためにここへやって来たのだ。
 騒がずとも少女たちの視線を集めて止まない二人の後ろ姿は、静謐を保ったままストリートへと消えていくのだった。 


6

 再び裏ストリートを歩き出すと、すっかり蒼くなった空の下、海から寄せる潮の香が気持ち濃くなって吹き流れていた。
 別段欲しくもなかったベルトを即買いして店を飛び出し、今もその腰には存在感抜群のそれを巻いたまま道を行く紅子、だが、足取りは決して重くはない。むしろ、弾んですらいる。身体を張った上に財布も薄くしたとはいえ、結果的には、禁断な匂いのするシチュエーションに遭遇できそうな店を発見できたのだ。自分が吊るされるのは二度とゴメンだが、今後はあの店の前を通りがかるたびに店内を気にせずにはいられないだろう。
 吹き抜ける夕風、潮の香にまぎれて過ぎるどこかの店のクレープの匂いに導かれるがまま、裏ストリートを進んでいく。ふと思い出してみれば、絶えず感じていた視線もいつの間にかなくなり、視界の隅に飛び交っていた煌めきも今や……と気を緩めかけた、途端。
『呼んでくれてありがと、助かっちゃった』
 不意に足下から聞こえてきた、女の声。声色はハスキーでちょっと掠れ気味なのに語尾は気さくに弾んでいて幼ささえ漂わせる、不思議。いつもなら声を聞いただけで百合ビジュアルの妄想が膨らんでくるのだが、にわかにはイメージが固まらずーー紅子はぎくりと立ち止まるや慌てて一歩退いた。視線を落とすと、靴のつま先よりも先に、知らぬうちにベルトに生じていた変化に目が止まる。
 バックルの表面--浅く彫り込まれた模様の他には凹凸などなかったはずのその表面に、ピンポン球サイズの透明なストーンが嵌め込まれているのだ。
『ねぇ、とりあえずふたりっきりになれるとこ行かない? 助けてもらった以上、こっちのワケありは早いとこ伝えたいし』
 声はストーンから発されているようで、ということは喋っているのがこのストーンならば、姉貴っぽさ漂うこの声音の主の小さなお姉さんがストーンの中に--と、ここまでパニクったところで実力行使が先決であることを悟り、ベルトを外すべく両手をバックルに近づける。
 だが。
 バックルのみならずベルト全体がにわかに発光し、瞬く間に紅子の腹に吸い込まれるようにして消えた。やり場を失い途方に暮れる両手がだらりと落ちると、ベルトはまたすぐさま光と共に元通り現れて、まくしたてる。
『お願いコーコちゃん、話聞いてくれたらさ、ほら、私もコーコちゃんに力貸してあげるからさ、ね?』
 紅子はもう一度ベルトに触れようと手を近づけたが、結果は同じ。消えて、また現れての繰り返し。
『あなたあれなんでしょ、かわいい女の子といい感じになりたくてたまらないんだけど、勇気がなくて結局、ゴール直前で怖気づいちゃう的な。私と一緒にいれば、いくらでもゴールさせてあげちゃうよ?』
 まさに図星。
 紅子の名を知っていたというだけでもただ事でないのは明らかだったが、こうなるともはやただ事どころではない。思い出したくない苦い思い出。女の子と、そっちの意味でしっかり仲良くなっても、いつも、シャイな性格が枷となってゴールにしてスタートのキスの一歩をどうしても踏み出せずにいるうちに何もかもを逃してしまう。かわいい女の子の緊張に満ちた表情が次第に諦めの色に染まっていくのをただ見ているしかなくて結局は背を向けられてしまう、辛い恋の思い出。
 紅子は性懲りもなくベルトに触れようと構えていた両手をすんでのところで抑えた。
「……本当に?」
『私だってかわいい子大好きだもの、喜んで協力するわ。ま、とりあえず歩きながら話しましょ』
 何なんだろう、っていうか誰なんだろう、人なのだろうかストーンなのだろうかベルトなのだろうか--何一つハッキリしないまま、とりあえず歩き出しはするものの。“ふたりっきりになれるとこ”と言ったってどこへ向かえばいいのか、ひとまずは家に帰るしかないのか、足取りが自然と重くなっていく。
『あっ、ねぇコーコ、ちょーっとソコ、左に曲がってみてくんない?』
 言われるがままに店舗と店舗の間へ、エアコンの室外機と百合の鉢植えが並ぶ狭路地に足を踏み入れるなり、そこは大ピンチの真っ最中だった。
 壁際にうずくまるひとりの眼鏡っ娘と、それを取り囲み追い詰める四人の少女--さすがの紅子でもにわかには萌えられない、修羅場な光景。皆、このあたりの学校の制服姿だが、揃いの制服を着ている者はひとりとしていない。
「ねぇ、ソコにいるんでしょう?」
「大人しく戻ってくれば、悪いようにはしないからさぁ」
「ほら、おいで?」
「隠れてるの、ミエミエなのよ?」
 少女たちが放つ責めの言葉に、紅子は早くも冷や汗を浮かべ、すでに途方に暮れていた。もちろん、これが恐喝のたぐいの物騒な状況なのであれば、うずくまる眼鏡っ娘に加勢すべく飛び込んでいくにもやぶさかではない。女の子に対してシャイではあるが、こういう場での勇気ならば、少なくともキスを迫るよりはずっとたやすく発揮できる。しかし、カツアゲにしては脅し文句の内容がどうにも不可解で、突っ込んでいくタイミングがわからない。どんな言葉を振り翳して突っ込んでいくところなのかもいまいちわからない。また、夕方の電話の件に続く、本日二度目の恥ずかしい思いをするハメにならない可能性がなくもない。
 とはいえ。
 そうこうしているうちに、目が合ってしまった。眼鏡っ娘の透明なレンズの奥の今にも泣き出しそうな、いや、もう濡れかけている大きな瞳を、見てしまった。救いを乞う眼差しに他ならなかった。
 もうモタついている理由はない。
 踏ん切りをつけて声を張り上げようとした、そのとき--。
「ねぇキミたちー、ココはそういうことシていい場所じゃないでしょー?」
 路地の奥、紅子がいるのとは反対側から声が風に乗って流れ込み、てくてく歩み寄ってくる小柄な人影は--上山田海果。その後ろには、携帯電話を耳に当て「ディナーの予約、三十分ずらしで、はい」と早口に告げている北城深久美。
 そして続けざま、
「女の子独りに寄ってたかってだなんて、見過ごせないよ!!」
 今度は紅子の背後から轟いたその声は、振り向くまでもなく里見ともるに他ならない。やはりこちらでも、五条明日奈が二台の携帯電話を両耳にそれぞれ当てて「ごめんっ、トモルーちょっと遅れそうだから先始めててー…………あっ、うん、そうそうあたしー、あんね、トモルー今さぁ……」とせわしなく喋っている。
 通りがかりに修羅場を見かけ、見過ごせなくて飛び込んできた、といったところか。ならば、と紅子もここぞとばかりに何かかっこいい台詞を言おうと意気込んでみるが、海果とともるに張り合える程度のものすら咄嗟には浮かばず、そうこうしているうちにも事態は容赦なく進んでいく。
 四人の少女は動じた様子もなく海果を見やり、ともるを見やり、そして紅子をチラ見すると、いっせいに右腕を空に掲げた。制服の袖がわずか下がって露わになった細い手首に、お揃いの銀の太い腕輪が食い込んでいる。よく見れば、その腕輪には紅子のベルトのバックルと良く似た樹脂状のストーンが嵌め込まれているのが確認できもしたのだが--腕輪は間髪いれずに光の洪水を放ってその持ち主を包み込むと、次の瞬間には弾け消えて、そして、少女たちは変身していた。
 変身。
 不揃いの制服姿はもうそこになく、皆一様に黒光りするレザーのワンピース姿に変貌していた。それだけなら近くのゴスロリショップのお得意さんに見えなくもないが、彼女たちの肩、肘、胸元、膝は丸みを帯びながらも硬質な膨らみに覆われて体格を強固に印象づけており、もはや百合デートの聖地を歩けるような穏やかな格好ではない。
 海果が口を開けたまま固まり--深久美も咄嗟に海果の前に立ちはだかるべく片足だけ踏み出したものの、そのまま固まり--やかましさもさすがになりを潜めて、目をまん丸にして茫然としているともる--その後ろでは、激しくオロつきキョドりパニクっている明日奈。
 そんな状況の四人を尻目に、変身した少女たちのひとりが真っ先に動いて、眼鏡っ娘を肩に軽々と担ぎ上げて駆け出そうと踏み切った、が。
『この私を無視してそーんなメガネちゃんを攫うだなんて、大したワケありなんだろうねぇ』
 威勢と共に立ちはだかったのは、紅子だった。
 そして他の誰より驚いているのも、紅子自身だった。
 手足が勝手に動いて黒ワンピ少女の行くてを塞いだ、だけにとどまらず、ベルトが声を張り上げ啖呵を切り出したのだから、もはやどうしたらいいのかわからない。
『コーコ、もうちょっと抱かせてもらうわよ』
「は!? 抱くってあなたっ、なに--」
『大丈夫だいじょぶ、私に任せなさいって』
 ベルトが言い終えるより早く紅子の腕が、脚がまた勝手に動き出し、黒ワンピとの距離が一気に詰まった、と思った直後には担がれている眼鏡っ娘に腕をかけ、『暴れろ!』と叫ぶベルトの声を耳にしながら右手に幸せな感触を、乳のぬくもりを握り締めていた。おそるおそるながらも脚をばたつかせ始める眼鏡っ娘、その動きに合わせて右手の中のやわらかいものが揺すれている。シャイな紅子としてはここまでのラッキーは恥ずかしすぎて、手汗が大変なことになっている腕をすぐにでも引っ込めたいのだが--意思とは真逆に、手のひらはさらに強くギュっとそれを握り締め、眼鏡っ娘の身体を抱き寄せようと力を漲らせていく。
 そして決着は、一瞬だった。
 黒ワンピの脛を蹴り付け、相手がかかとを震わせた刹那の隙をついて眼鏡っ娘を引き寄せ、抱き寄せて、そのまま背後のともるたちのほうへと放って続けざまに一発、腹のど真ん中を目がけて右脚を突き出す。しかし空振り。咄嗟に後方へ飛び退いた黒ワンピは再び四人立ち並ぶ構えとなり、各々、どこから取り出したのか警棒状の武器を手にして紅子を一斉に見据えた。
 顔面も頭の中も蒼白、今すぐに全力疾走で逃げ出したいのだが、ベルトに“抱かれて”いるために身体の自由がまるできかない。黒ワンピたちと真っ正面から睨み合う位置に立ったまま、踵を返すことすら叶わない。
「ちょっと、ヤバいんじゃないのこれっ、早く逃げないとっ--」
『大丈夫ー、こっちにだって〝変身〟はあるんだからさー』
 と、ベルトが変わらずの物腰で言うが早いがバックルのストーンが発光し、みるみる熱を帯び始めて。
 変身、の叫びと共に両腕をベルトの上でクロスさせると、ストーンから溢れ出た光が紅子の全身を包み、直後に弾け散って、〝変身〟は遂げられた。
 今度ばかりは動揺を露わにしている黒ワンピ少女たち、そこに対峙する紅子の新たな姿は--白と青のレザー調ワンピース、ボディラインを所々で膨れ上がらせているプロテクター。腕は指先から肘の直前までが淡いモスブルーのグローブに覆われ、足下も膝のすぐ下までが同色のブーツに包まれて、レンガ敷の道をずしりと踏み締めて小揺るぎもしない。
『コーコ、しっかり抱かれといてね!!』
 もはや絶句するしかない紅子に代わり、ベルトのストーンが一段と声を張り上げ、そして地を蹴った。

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