ままならぬ日々

透明な友人

エピソードの総文字数=1,291文字

 自分のものではない服を畳んでいる。姉の服、だと思われるのだが。
(私に姉はいなかったはず……。それとも、記憶喪失に陥っているだけで、本当は姉がいるのだろうか?)
 玄関のチャイムが鳴った。
(姉、だろうか)
 応対に出ると、ドアの向こうに立っていたのは、
やあ

 姉ではなく、透明な友人だった。

 この友人は、見ての通り全身が透明だ。

 一つ、体は透明だが実体はある。

 一つ、男性。

 一つ、精神に異常を来たしてはいない。

 私が彼について知っていることは、以上の三点くらいのものだ。

遊びに行こうよ。天気もいいし
いいけど、姉の服を畳んでいる最中なの。もう少し待ってくれないかな
だったら、服を買いに行こう。服なんか畳まなくても、畳んである服を買えばいい
……それもそうだね。

 透明な友人の後について家を出た。


 何分か歩くと、道端に大量の文庫本が詰まれていた。

(トルストイの小説だ)
『イワンのばか』や『戦争と平和』など、ありとあらゆるトルストイの著書が山積みにされている。
ドストエフスキー、学生の頃はよく読んだなぁ
 透明な友人は山の中から一冊を手に取り、気怠そうに捲り始めた。
(ドストエフスキー? これらの作品の著者は、ドストエフスキーじゃなくてトルストイ……。確かに、二人とも十九世紀後半のロシアを代表する文豪だけど、仮にも文学を愛好している人間が、この二人を混同するなどということが起こり得るのだろうか? 私には、透明な友人はトルストイの『少年時代』を読んでいるように見えるのだけど、彼はドストエフスキーの『賭博者』でも読んでいるつもりなのだろうか?)
よく読んだなぁ、ドストエフスキー。いやぁ、懐かしい
 透明な友人はいきなり、手にしていた文庫本を投げ捨てた。地面に叩きつけられた文庫本は、しゅうしゅうと微かな音を立てながら見る見る縮んでいき、あっという間に消滅した。
よく読んだなぁ。懐かしいなぁ
 透明な友人は山から文庫本を掴み取っては足元に叩きつけ始めた。声に抑揚がないので、何を思ってそのような蛮行を働いているのかが全く読み取れない。
(彼は本来、このような馬鹿げた真似をする人間では決してないのに……)

 私はその場から逃げ出した。


 走ったので息が切れた。カフェにでも入って休憩したかったが、どこにも見当たらない。仕方なく児童公園に入る。


 ブランコの前の地面に五歳くらいの男児がしゃがみ、一人で穴を掘っている。道具は使わずに、素手で。

君、なにをしているの?
 呼吸が落ち着くのを待って声をかけた。
タイムカプセルを埋めているんだ
 男児は作業の手を止めずに、にこやかに答えた。

 しかし、タイムカプセルはどこにも見当たらない。服の内側に隠し持っている、というわけでもなさそうだ。

(なにかを埋めようとしているのではなくて、埋まっているものを掘り起こそうとしているのかもしれない。……いや、幼い子供は語彙が貧しいから、説明不足になってしまっただけだろうか)
お姉さんが手伝ってあげる
 私はその場に屈み、穴を掘るのを手伝い始めた。 男児と同じく、素手で。
……
 男児は歓迎の意を示すことも、拒絶の意を示すこともなかった。

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