【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

4-13 拱手傍観

エピソードの総文字数=2,951文字

俺が死ねば衣砂の封印も解ける。

その時がきっと……ゲームの最終章の始まりだ。

馬鹿なこと考えんなよ、葉凪。

もしもう一度……。

 その英司の言葉を、葉凪は最後まで聞くつもりなんかなかった。もう一度王牙と巨兵がその力をぶつけ合えばこの大間は今度こそ跡形もなく崩れ去るだろう。そんなことは――葉凪にだって分かっていた。

………………。

 自らの操る蔓が英司を取り巻いていくのを見つめる葉凪の口元が、震えるように笑みを浮かべている。

 その光景を目の当たりにして箭波は肌の粟立つような思いを味わっていた。

 すでに意識を保っていることさえ辛いはずなのに、どこにこんな力が残っていると言うのだろう。箭波には、ただ見つめるだけの生き方に葉凪が執念ともいえる強い思いを傾けている理由が分からなかった。

君も、行くかい。箭波?

まだそのくらいの力は残っているよ。

 英司の消えた空間を名残惜しそうに見つめていた葉凪の視線が、ゆっくりと傾くように動いて箭波をとらえる。視線がぶつかり合ったときに初めて箭波は安らいだ葉凪の表情に気づいた。
なんで……?

 身体の内側から、苦くて熱い感情が湧きあがってくるのを箭波は感じた。

 箭波も葉凪も王牙をめぐる戦いに同じように焦がれながら、等しく蚊帳の外の傍観者に過ぎない存在に甘んじている。葉凪だって自分と同じように子供のお遊びのようなこのゲームにさえ敗れたはずだった。それなのに……。

 例えば果歩王牙の媒体としてドクターの手によって生み出されたように。

 例えば英司が衣砂の夢と同調してあのお伽話の光景を垣間見たように。

 例えば篤志が、偶発的にゲームの場に存在しながら英司や果歩との出会いによって勝敗の鍵を握る駒に成長したように……。

 ……本当は箭波も、おそらくは葉凪だってそんな生き方を望んでいたはずだ。妖怪の本能のままに、その手応えを求めていた。

 そして激しい流れに逆らって、自らの力を最大限に発揮できる戦いとめぐり合う瞬間の手応えを……恋焦がれるように待ち続けていた。

 だがどれほど強く心惹かれ続けても、無駄なのだ。箭波も葉凪も、望まずしてゲームの奔流に組み込まれた大間の子供たちのような〈選ばれた存在〉ではあり得ないのだから……。

(それなのに、葉凪は満たされている……)

君は勝てるはずがないと分かりきっている強敵と戦って、砂を噛むような敗北を味わったことなんか、一度だってなかったろう?

 葉凪の言葉が、耳をくすぐるように響いた。

 次の瞬間、葉凪の操る蔓が彼女の手首を捕らえる。首筋を、胴を、足を……無数の蔓が触手のように這いまわりながら箭波を締め上げていく。

 なす術もなくその蔓に絡めとられて初めて、箭波は葉凪の力に畏怖を覚えた。

 もはや、身動きすらままならない。

でも本当の手応えってのはさ、その敗北から立ち上がったときに感じるものだよ。

無様にもがきながら、自分の無力さに耐えがたいほどの醜悪な感情を抱いて、自分の欲しいもののためなら世界なんて壊れてしまってもいいと感じたときに初めて……その手応えの味が身体の内側に染み込んでくるのを俺は体感したんだ。


衣砂がどんなに美しい女だったか、君は覚えているかい?

そして彼女が自分の美しさをどんなに愛していたか?

あの滑らかな肌が、美しい顔が炎に灼かれる匂いを嗅ぎながら、俺がどんなに満たされたか君に分かるかい?

今なら俺にも衣砂を支配できると感じたあのときの俺の充足が……。


……あの女を手に入れるためなら、俺は衣砂の美しさなんて簡単に忘却できた。

本当は自分の手であの肌を引き裂いて、腕をちぎり、はらわたを引きずり出したかったのかもしれないね。

でも……そんなことはもう問題じゃなかった。

俺は焼け焦げた皮膚のかけらにでも舌を這わせたいほどあの女が欲しかったんだよ。

あの身体が黒く腐りきって蛆の湧いた肉の塊になってもまだ舐め尽くし、貪り尽くしたいほど、今も……衣砂が欲しくて堪らないんだ。

 食い込むほどきつく締め上げる葉凪の蔓が、箭波の肌を容赦なく擦り剥いていた。

 蔓の表面を覆い尽くす細かな毛が、針のような鋭さで箭波の身体を刺し貫いていく。そのひとつひとつの痛みはほとんど感じ取ることさえもできないほど小さなものだ。だがその無数の小さな針から葉凪の狂気が毒液のように浸透してくるのを感じて箭波は声にならないほどの恐怖を覚えた。

 葉凪の意識が箭波を形作る細胞に入り込み、染み込んで、同じ狂気に彼女を引きずり込もうとしている。

放せ……っ!

 箭波の唇が震えた。

 だが、葉凪の表情は動かなかった。

 わずかに唇の端を上げてあざ笑うようにじっと箭波を見つめ、葉凪の顔は凍りついている。

 その葉凪の目の向こうに、ひとりの女の面影が鮮明な画像となって呼び覚まされた。

(葉凪じゃ……ない。この意識は……)
 まるでエメラルドのような透き通ったあんず型の目がじっとこちらを見つめている。いつも濡れているように艶やかに光った唇が、嫣然と歪められて箭波を嘲笑った。
 滑らかな陶器のように白い指先が首筋に触れるその感触さえ、箭波ははっきりと感じ取ったのだ。
(衣砂……)

 衣砂が求めた手応えなら理解できる――そう思っていた。

 たった今まで。

 だが今直面する狂気はまったく別の感情に箭波を突き落とそうとしている。


 王牙と同等の力を持つ魔の生物・巨兵。

 それを衣砂は自らの手で召還したいと望んだ。

 それは彼女がドクターに対してゲームを挑んだのと同じように、分を超えた野望だったはずだ。だからこそ葉凪の言うように衣砂は核としての限界を超え、その身を他ならぬ巨兵によって引き裂かれていった。

 箭波が自らの生命を賭す価値を持った狩りの獲物を求め続けてきたように、衣砂もまた巨兵の召還に、そしてドクターとの戦いに熱意を燃やしているのだと……今の今まで箭波はそう信じて疑わなかった。

 それは間違いではないだろう。

 だが真実のほんの一部でしかないのだ。


 衣砂は葉凪の手のうちで激痛にもがいて死の淵に存在し続けながら、今も酔っている。

 自らの狂気が見せるジャングルの光景に陶酔している。

 その痛みが世界を握る力の手応えなのだと頑なに思い込んで、濃い緑の葉陰に見え隠れするベルベットの光沢を持つ黒と黄色の獣の手触りを今も追い求めている。

 待ち焦がれているのがその美しい光沢に手を触れることなのか、それともその光沢に縁取られた凶暴な牙が己を貪ることなのか、その答えを自分自身でさえ見失いながら。


 ほんの一瞬だったが、箭波はその光景を垣間見た。


 視界が薄暗くぼやけてくるのに、もうひとつの赤く染まった視界だけが明度を増し、鮮やかな色彩に縁取られて遠い光景を映し出して行くのを空っぽの意識で眺めているひとりの女。赤い青、赤い緑、赤い黄色が煮えたぎる洪水のように押し寄せて衣砂を溺れさせ、沈めて行く。

 巨兵ではなく、

 王牙ではなく、

 ドクターでさえなく……。

 衣砂は目のくらむ鮮やかな色彩が自らを侵食していく光景に焦がれている。

俺に代わって、君がすべてを見届けてくれるかい、箭波?

 朦朧とする意識の中で箭波はその声を聞いた。

 まるでスローモーションの映像を見るようにくずおれていく葉凪の姿が、かすかに見えたような気がする。

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