パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

瓶白、金剛寺の女人禁制を堂々突破す

エピソードの総文字数=3,812文字

 瓶白は次に、俺に手を差し出してきた。いうまでもなく彼女の手は二本しかなく、その内の一本は姐さんの方に伸びている。

 この流れならば、俺も併せて彼女に手を差し延べるべきであろう事は、さすがに鈍感な俺でも理解はできるが、寺で育ったが故のシキタリは、肉食を除いては俺の立ち振る舞いからはなかなか抜けない。

 要は、俺は女性に触れることを――女犯(にょぼん)――と呼び、極端に避けている。避けているというよりは、避けるべく体が勝手に動いているという方が近いのかも知れない。

 そう、男子たるもの、DTフィールドは自然発生し、運良く三十歳までそれを維持すると、次は魔法が使えるようになると言う、まことしやかなる民間伝承は、今や一部日本人の中でよく知られた話である。

 とはいえ、三十歳で〝魔法使いTai〟という俺の願いを脇に置いたとしても、俺は出家前の俗人であるが故に、罪を犯したからと言って特に何らかの罰則があるわけでもなく、また、出家後だとしてもその処罰に関しても、時代の流れや、時の政府の取り締まり具合によって、全く一定しせず、このあたりはいわば適当な日和見的ルールであるとも言える。
 公式に、出家後に妻帯可能な宗派もあるし、またそうでなくても公然と妻帯し、ほぼ俗人のような生活を営む僧侶も存在する。織田信長が比叡山を焼き討ちした時に、僧兵・僧侶である男意外にも、その家族である女・子供も大量に被害にあったのは、彼らが妻帯していたというのは言うまでもない。

 特に、肉食と妻帯に関しては、日本仏教界では自律(自ら律するものであり、他人から処罰される対象ではない)なのである。また、1872年以降は僧職にあったとしても、肉食・妻帯は完全に合法(リーガル)となった。

「あー、このジョーキという男、そういうの避けてるみたいなんだよね――女犯だっけ? バカの一つ覚えみたいに。川端康成みたいに色々とコジらせてるみたいで、滑稽だよ、それ」

 瓶白の誘いに対し微動だにしようとしない俺を端から見かね、姐が嘲笑混じりに、瓶白に対して解説を始めた。
 ……だが、川端康成は色々とコジらせたからこそ、あの聖少女(アルマ)を求めまくるという高みに達せたのではないだろうか? 川端康成は結婚後、肉体のDTフィールドは失われたのは火を見るよりも明らかだが、魂のDTフィールドを失わなかったという偉人である。痺れと憧れを生む、神聖なるDTフィールド万歳!
 その魂のDTフィールドが紡ぐ物語は、ノーベル(プライズ)すら召還可能なのである。

 つまり、法的な問題はともかく、これは恐らく、純然たる〝心〟あるいは〝態度〟の問題なのだ。(コン)康成(ヤス)も。
 世の中は勘違いしているかもしれないが、DTフィールドは肉体ではなく、心を包む精神的(メンタル)な鎧。
 ――女の意思を(くじ)く――接近の意志を・触れる意志を・好意という意志を。
 〝君子危うきに近寄らず〟ともいうが、不要な問題は起こらない方が良い。嘲笑したけりゃすればいい。

「とりあえず、俺には寺がどうこう、ということもあるけど……俺たちの年齢で、男女が近くにいるだけで、何かと問題視されることも少なくない。なるべくなら〝問題〟は避けたほうが良いと思っている……」
 果たしてこんな意見で瓶白が納得してくれるかどうかは解らないが、とりあえず思うところを延べてみた。

「なるほど、金剛寺兄弟は一人アトス山なんですね」

「アトス山?
 ああ、あのエーゲ海・アトス半島の世界遺産にしてギリシャ国内の自治国家か……たしか、正教会(オーソドクス)における、女人禁制の場所だったな。なるほど」

 瓶白の言葉がきっかけで、俺も幾つかの知識を思い出した。しかし、正教会(オーソドクス)というからには……瓶白のカトリックとは似て、非なる物なのだろう。

「まったく、今の男女平等の時代に女人禁制だなんて時代錯誤も甚だしい!EUも批判をしているというのに」

 さすがはプロテスタント。姐はこういう古くさく、解釈が難しいであろう山に籠もるような良さを、即座にチェーンソーにて、バラバラに切り捨てなさる。だが、姐さんがお頼りにしているイエスなる救世主(キリスト)も、四十日四十夜、誘惑の山で断食と瞑想を行っていたはず。その間、女人は近くに居なかったように思うが……ルールとして男女不平等にすると、確かに角が立つ。ああ、面倒なもんだ。

「そういえば、姐さんの所の教会の坊さんは、妻帯可能だっけ? 福音商会に宣教に来る人も、妻の話をしていたと思うし」

「〝坊さん〟じゃ無くて〝牧師〟だから!ルーテルを初めとしたプロテスタントの牧師は、カトリックの神父と違って、妻帯可能。
 ルターは晩婚だったけど6人ぐらい子供がいたし。なんのためのアダムにイブがいたの? 神様は〝(アダム)が一人でいるのは良くない〟と思っているのに? ……行き過ぎたマリア信仰は、ミカリンには悪いけど、正直ちょっと怖い」

「え、女人禁制とマリア信仰と関係あり?」

 驚く俺に、瓶白が話を添えた。

「マリア様の終焉の地は、エフェスとも、またアトス山とも言われています。一説では、マリア様が旅の途中、嵐にあってアトス海岸に訪れたとき、その美しさに自らの土地とした、という伝説があります。そのため、アトス山の正教会(オーソドクス)修道僧は、マリア様だけを唯一の女性として、人生を捧げているのです」

 なるほど、マリア様だけが女性だから、それ以外の女性には近づかないっていうロジックか。仏教とはまた少し異なるアプローチだ。

「それって、ちょっとおかしくない? マリア様って、イエス様の母であることはいいとしても、ヨセフの妻でしょ? その人妻を唯一の女性として崇敬するって……ジョーキの奉じる異教でも、そんな奇妙なことしないよね?」

 姐の問いかけに、俺は答えた。
「確かに。釈迦の母は、ただの母、摩耶夫人(まやぶにん)であり、彼女はそれほど信仰の対象とはなっていない。少なくとも摩耶夫人を唯一の女性として想うという思想は、聞いたこともない……」

 俺が考えをまとめていると、瓶白が割って入ってきた。
「ところで金剛寺兄弟、その仏教開祖の釈迦牟尼(しゃかむに)なる方は、自らの母親に、触れることはなかったのでしょうか?」

「……瓶白、何が言いたい?」

「父や母、兄弟姉妹なら、自然と身体(からだ)に触れても問題ないのではありませんか?」

 瓶白は、長らく宙に浮いたままの腕を、もう一度俺の方に伸ばした。なるほど、彼女は俺を〝兄弟〟と呼んでいる。即ち、俺は彼女の家族である、と。家族と触れることは特に咎められないのであるならば、ここで俺が瓶白に触れたとしても、女犯にはならないという三段論法的解釈か。

 いやしかし、瓶白が俺のことを兄弟と呼んでいるのは彼女の勝手であって、俺は瓶白を姉妹だとは……そこまで考えて俺ははたと気づいた。俺は、今俺の左隣に座っている赤の他人を、長らく〝姐さん〟と呼んでいるではないか。俺が姐さんに触れたいかはともかくとして。

「……そう……だな、瓶白姐さん(・・・)
 俺は恐る恐る、瓶白の手を掴んでみた。意識的に、自ら、家族以外の女性に触れようとしたのは、これが初めてかも知れない。そもそも、何を持って、家族なのか、俺はそれを意図的に避けて考えていた。俺の家族は……いや、考えるのはヤメだ。

「例えば、私や牛王姉妹が命の危機に曝されたとき、金剛寺兄弟はこのように私の手を取って、助けて頂けるのでしょうか?」
「そりゃ、勿論」
 俺と瓶白の遣り取りを聞いて、なぜか姐の方が恐縮していた。

「それよりも金剛寺兄弟……瓶白姐さん(・・・)はあまりではありませんか? 私たちは同学年ですよね?」
「……瓶白の誕生日はいつ?」
「私は八月十五日です……あ、まさか金剛寺兄弟は、私よりも後にお生まれになったのですか?」
「俺は早生まれ、三月十九日が誕生日らしい……同じ学年の人物なら、大体は俺より年上となる計算だ。俺が年下にな確率は、約3.3%ぐらいか?」
「それで私を、姐と予測したわけですね……姐さんと呼ばれたことは若干心外な気がしますが……何はともあれこの茶会、主客一体の一座建立(いちざこんりゅう)、達成と言うことで」

 一座建立って、充実した茶会って意味じゃなかったか? 確かに、茶請けの質・量共に、充実していたのは事実だが。
 
 そう思っていた矢先、俺に左側にいる、小さい姐が呟いた。ああ、姐が大小と二人いては面倒だ。瓶白は、これからも瓶白と呼ぶことにしよう。

「……ミカリン、色々と楽しましてくれてありがとう。アタシ、そろそろ戻るね。コイツらの晩飯を準備しないと」

 コイツ、で指さしにて御指名を受けたのは、俺である。時計と見ると、なるほど確かに結構な時間を、この狭い茶室で過ごしていた。

***

 彼女たちは通り一遍の挨拶を終え、また電話番号などを互いに交換し、姐は俺と瓶白を残し、先に福音商会に戻った。

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創世記 2:18 「また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。」

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