【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

4-16 真実の言葉

エピソードの総文字数=3,754文字

少しは……落ち着きました?

 茂は開け放たれていた運転席側のドアから身を屈めて中を覗き込んだ。

…………。
 だが百合は、何も答えなかった。

 助手席のダッシュボードにうつぶせた姿勢のまま、身じろぎもしない。言葉を発するのも億劫な気分だった。

 10年前の事故で死んだと思っていた姉と義兄が突然こんな形で自分の前に現れ、そしてまた唐突に手の届かない場所へ消えていった。そのことをどう受け止めればいいのか百合には分からなかった。

(悲しむべき? それともお義兄さんを憎むのが〈正しい〉反応……?)

 そのどちらも違うような気がした。

 ただ、何かが飲み下せずに引っかかっているような違和感を拭い去れずにいるだけだ。それは悲しいとか悔しいとか憎いとか、そういう感情の動きとはまったく別のものだった。


飲みますか?

 ためらいがちに言って、茂は販売機で買った缶コーヒー差し出した。

 わずかに顔を動かし、百合はコーヒーの茶色い缶を見つめる。その向こうに見える茂の表情はひどく不機嫌そうだ。

(茂くんも、こんな顔……するんだ)
 それが意外なことだと思えた。

 そうして眉間にしわを寄せていると、威月みたいだ――とも。

……どこか、痛むところとかありますか?
 茂はシートに腰を下ろし、ドアを閉めた。

 手にしていた3本のコーヒーの缶のひとつを百合に渡し、2本目は運転席のドリンクホルダーに収めるて残る1本の缶を開ける。その動作を百合はぼんやりと眺めていた。ドリンクホルダーに入れたのは山岸の分――ということなのだろう。山岸は後部座席に放り込まれたまま、まだ意識を取り戻してはいなかったが。

 ちゃんと山岸の分まで買ってきているのはいかにも茂らしい。百合にはそう思えた。もし威月なら……。

(缶コーヒーなんか、買わないか……)
 馬鹿なことを考えていると、自分でも思った。

 今はそんなこと……どうでもいいはずだ。

百合さん……大丈夫ですか?
茂くん、もう行くの?

……行くわよね。

ううん、行ってもらわないと、果歩たちが……。

 消え入りそうなか細い声だった。

 茂を引き止めたい。この不安な気持ちを抱いたまま、この場に置き去りにされるのが辛いと訴えたい。だがどうしても百合はその言葉を口にできなかった。

 大間で何が起こっているのか、相変わらず茂は詳しいことを何も話してはくれない。だが義兄の本性を目の当たりにした今、百合にだって事態の深刻さは想像がつく。

 果歩たちが今も無事だと考えるほうが難しかった。

そうですね。あっちはあっちで放っておくわけにもいかないけど……。

まずはコーヒー飲んで落ち着いて下さい。

それにうしろの大荷物、百合さんひとりじゃ動かせないでしょう。

 大荷物、というときに少し茂が眉を寄せ、語気を荒げたのが印象的だった。

 百合は茂の視線の動きにつられたように後部座席に転がされている山岸を振り返って、小さく笑いさえもらした。

 茂の不機嫌の理由が、ちょっとだけ分かったような気がする。

 その百合の表情の変化に、茂は少し困惑したように視線をそらし、またコーヒーの缶を口に運んだ。

百合さんには無茶して欲しくないんです。

 茂はそう小さく呟いた。

 一瞬それが威月の言葉のように聞こえて、百合はハッとした。

 考えてもいなかったことがある。

 同じようにあのお伽話を知っているのに、果歩たちとは違って百合が〈呼ばれ〉なかった……その理由についてだ。

本当なら、私も大間にいるはずだった……?
断言はできません。あなたはドクターにとって、果歩ちゃんや篤志や英司くんほど大間との結びつきを必要とする存在ではなかったはずですから。

でも……一蓮托生で〈呼ばれていた〉可能性はあったと思います。

あのとき、召喚の輪から最初に弾かれたのは由宇でした。由宇は完全な部外者ですからね。召喚の効率だけを考えるなら、排除すべき異物です。そして福島茂も同じように弾かれるところだった。


そのとき、あなたはまだ輪の中にいて……。

 茂の言葉が震えるように途切れた。

 百合が負担に思うことがないように……と、言葉を選んでいるのが分かる。

落下するあなたを見て、威月と福島茂は同じことを考えていた。

あなたを助けたい――と。

    シンクロ

それが〈同調〉のきっかけでした。

あなたを召喚の輪から除外する能力を持っていたのは威月だが、物理的にあなたの手を掴んだのは福島茂のほうだった。

威月は……死んだの?

私を助けようとして……?

あなたの思う〈死〉とは違います。

威月の自我も記憶も福島茂の身体に取り込まれて残っていますから。

でももとに戻ることはできません。本来威月のものであった肉体は跡形もなく消し飛んで、もう何も残っていない。

――ドクターが本当にあなたを大間に呼びたかったのなら、威月の力では抗えなかったでしょうね。福島茂もろとも消滅していたかもしれない。

お義兄さんがその気になれば、私ひとりくらいどうにでもできるってことね。

どこにいても……。

本当はあなたのそばにいて守るべきなのかもしれません。

でも……。

うん……分かってる。
  静かにそう言って、百合は身体を起こした。
――山岸さん、病院へ連れて行ったほうがいいかしら。
肉体的なダメージはないはずです。疲れて寝ているのと同じですよ。放っておけばそのうち目を覚まします。
……安心したわ。
 百合はそう言って小さくため息をついた。

 助手席側のドアを開け、車を降りる。

 

…………?
 百合の行動の意図が掴みきれず、呆然とその動きを追う。

 百合は車の前方を回りこんで茂の座っている運転席の外に立った。ドアはまだ、開けっ放しだった。

私だって、運転くらいできるのよ?
いや、でも……。

 そんなの、いかにも事故りそうじゃないですか。

 そう言いかけて茂は言葉を飲み込んだ。

 自分でも感じていたもやもやとした形のない不愉快な感情が、そのときふっと、輪郭をあらわにしたような気がする。

 百合との間にある、どうしようもないタイミングのずれ。

 茂が手一杯になって、頼むからひとりで何とかして欲しいと思うときにはすがりついてくるのに、いざこっちが守ってやろうとすると私はひとりで大丈夫なんだと強がって、差し出した手を振り払おうとする。

 そして茂の手を振り払っておきながら、山岸みたいな胡散臭い男くささをぷんぷんさせているヤツに頼ったりする。

(女の考えることは分からない……)

 言いたかない台詞だが、百合と向き合っているとそんな言葉が喉もとにせり出してくることが何度もある。それは例えば、同じ女でも箭波あたりには一度だって抱いたことのない思いではあったが。

 小さく、茂はため息をついた。

 結局、そういう女くさい役どころを百合に押し付けているのは自分なのだ。

 威月のままでいても、あるいは福島茂のままでいても、結局百合と出会えば何度でもこういう面倒くさい場面に遭遇することになるのだろうと忌々しく自覚してもいた。

 威月も茂も同じだった。

 それでも頼られたいし、突き放せない女だということだ。

百合さん……。

 茂はシートから腰を浮かし、車外へ出ながら百合の身体を引き寄せた。

 多分この行動が、百合が威月に……そして茂に対しても押し付けたいと思っている役どころなんだろう。

 百合の細い身体を抱きしめて、茂は10年前に威月が抱いた……まだ少女だったころの百合の感触が、じわりと腕に蘇ってくるのを感じた。

 福島茂が知るはずもない手応え。

 ふたりのあいだにあった奇妙な絆を思って、茂は胸の奥が熱くなった。

 不適切な関係だった。行きずりの関係と言ってもいいほどに両者の距離は隔たったもので……。

 互いに一方通行のまま、理解し合うこともなく、ただ自らのすべてを投げ出すほどにその絆を必要としていた。

 あのころと同じように、百合は少し怯えたように身体を強張らせている。

 こうして抱きしめられるのをずっと待っていたのに、腕の力に抗って、震えている。震えながら、支配されるのを待っている。

 それは威月があの大間の事故で失った手応えだった。そして威月はその手応えを10年のあいだ……今も、切ないほどに欲している。

私……果歩まで失いたくない。

あなたに無茶をさせるんだって、分かってる。でも……。

 百合は小さく言った。

 だがそんな言葉はすでに威月にとって、何の意味もないことだった。

 それが百合の本音なのか、それともただ取り繕っているだけのきれい事なのか……それさえももう、どうでもいい。百合がいくつもの言葉の裏側で、言いたいのはいつもたったひとつのことだけだ。

 その一言を言い出せないために、百合はいつも饒舌になる。

分かってますよ。

でもあなたは何も考えなくていい。

果歩ちゃんのことも、英司くんや篤志のことも。それにドクターやお姉さんのことも、いなくなった赤ん坊のこともね。

あのお伽話のことも大間のことも、もう何も考えなくていいんです。

もうすぐ何もかも終わります。


終わるのは……私が見届ける。

 耳元をくすぐるように茂の言葉が囁かれるのを聞いて、百合は気が遠くなりそうだった。

あなたはただ、私を待っているだけでいい――。

 その言葉に、百合は身体を貫かれるような衝撃を受けていた。

 まるで啓示のように、耳の奥にいつまでも響いている。

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