【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

4-08 脈動

エピソードの総文字数=3,706文字

(あの男は……)
 胸を灼くような苦々しいむかつきがこみ上げてきて、篤志は足元をふらつかせた。
(あれが、親父だったんだ)

 10年前、見知らぬ家で目覚めた朝のことを、篤志は思い出していた。

 見知らぬ女が母だと名乗り、見知らぬ男が朝食の食卓で出勤前のあわただしい食事をとっていた……あの嘘にまみれた光景。

『どうした、篤志。寝ぼけているのか? それとも、せっかくの新しい家が気に入らないのか』

 どうしても飲み下す事のできない激しい違和感。ただ呆然と立ち尽くすしかなかった篤志に、そう声をかけた……佐原という名の見知らぬ新しい父親。

 その父が、あの炎の中で篤志を見下ろしていた男だったのだ。果歩の父。大間クリニックの小児科医。そして、ドクターと呼ばれる妖怪。このいまいましいくそったれゲームの首謀者のひとり。

(親父が俺をあの炎の中から連れ出したのも、ゲームのためか!)
 無意識のうちに、果歩の小さな肩を掴んでいた腕に力がこもった。
あっちゃん……?

 険しい篤志の表情を見上げて、果歩が声を漏らした。

 そのか細い声が、あの脈動を再び呼び覚ました。

(10年前、俺に殺されるときにも、果歩はこんな風に俺を見上げていたのかもしれない)
(あの夜にたどり着くまでに、何があった? 俺と果歩と英司はどんな日々を過ごし、どんな思いを抱きあっていたんだ……)
 激しい痛みさえ伴う強い脈動が、頭蓋骨を締め上げる。
(リノリウムの冷たい感触しかない〈ジャングルのほらあな〉で、まるで遺棄された子供みたいに身を寄せ合って……。俺と果歩と英司があんなにもお伽話に熱中していたのは……なぜだったんだ)
 それをただ〈彼らの作為〉だ……などとは思えなかった。

 取るに足らないちっぽけな子供のこだわりでもいい。ゲームのための作為とは別の場所に、果歩や英司との接点を見つけ出したかった。

 

(その記憶を……親父は根こそぎ奪っていった。何もかもなくして空っぽになって、俺が佐原篤志と言う薄っぺらな存在に追いやられていくのを、親父はずっとほくそえんで見下ろしていやがったんだ……!)

 突然、床のめくれあがったリノリウムの隙間からしゅるっとしなる音を立てて金茶色の蔓が延びたのは、そのときだった。

 弾かれたように振り返り、その蔓を見つめて果歩の身体が震えた。

 しかし次の瞬間、絡み合う蔓が形作った籠のような塊の中から英司が姿を現したのを見て、果歩の表情が安堵に緩んだのを篤志は見逃さなかった。

 その表情の変化が、篤志の中でずっと息を潜めていた衝動に一気に火をつけた。

ここは……。
 声を出す間もなく葉凪の蔓に取り巻かれ、1階ホールに移動したことに戸惑って英司の視線がわずかにさまよう。
英司ぃ……!
 篤志の手を掴んでいた果歩の指がするりと解けるのと同時に、もう果歩は英司のほうへ駆け寄ろうと足を踏み出していた。

 その果歩の声と、篤志が鉄筋の切れっ端に目を留めたのは、ほぼ同時だっただろう。武器にしようと持ってきたその鉄筋は、さっき投げ出したときと同じ状態で篤志の足元に落ちている。

果歩?
 暗がりの中に果歩の姿を認めた……と思った次の瞬間、英司は篤志が振り上げた鉄筋を果歩めがけて振り下ろすのを目の当たりにした。
……!

 英司には、声も出なかった。

 鉄筋の錆びてねじ切られた鋭い先端が正確に果歩の背をとらえていた。

 着ていた服の薄い布地があっけなく切り裂かれ、右肩から左の腰へ果歩の白い背中に斜めに赤い線が走るのを英司は呆然と見つめていた。

 篤志の手の動きはなぶるように軽いものだった。その気になればもっと深手を負わせる事だって可能だっただろう。

…………。

 悲鳴ともうめき声ともつかぬ震える吐息が、果歩の唇を揺らした。振り返りざま、丸っこい目がすがるように篤志を見上げる。

 その目は、篤志の行動の意味がわからないのと訴えているようだった。

くそっ……!
 篤志の口から舌打ちが漏れる。

 どうしてだと聞きたいのは篤志のほうだった。

 その存在をほのめかすことだけで篤志の逆鱗に触れることを分かっているくせに、そして何よりそれをおそれていたのに、果歩は英司を求めずにいられない。そのことが篤志には我慢ならないほど腹立たしかった。

(おまえはあのころからまるで変わっていねえよ、果歩。あのときと同じ……ガキのまんまだ)

(ジャングルのほらあなで俺と英司のあいだに挟まってたあの心地よさを、今も求めているんだろう? 今でも同じように、犬っころみたいに抱きしめてもらえると錯覚しているのか……!)

(俺がおまえを欲しがっているように、英司にも求められたい。そうなんだろう、果歩……!)
 篤志にはその果歩の幼い貪欲さを容認してやることはできなかった。

 果歩の首筋に触れただけで、ぞくぞくとこみ上げてきた高揚感。あの震える滑らかな手ざわり。――それを英司と分け合うことなどできるわけがない。

(俺が欲しかったのは、これか)
(ただ果歩を手に入れるだけじゃなく……)
 責めるような英司の目を真正面からにらみ返し、ふとそんな考えが篤志の中に湧きあがってきた。

篤志さん……。

あんた、なんで果歩を……。
 もんどりうって床に倒れた果歩に駆け寄ることができずに立ち尽くしたまま、英司は言葉をつなぐことができなかった。

 あらわになった果歩の背中の傷、そしてまだ赤く手の跡が残る痛々しい首筋を見下ろして英司は青ざめている。その表情を見れば、何もかも悟っただろうと篤志にも見当がいった。

(そう、英司はガキのころから、勘のいいヤツだった)
(だから何もかも理解して、もう負けを認めろよ……英司。果歩は俺のもので――絶対に、おまえにだけは渡さない
 罪悪感など振り捨てて果歩を抱いてしまえば、もっと別の気持ちで英司を見つめ返すことができたかもしれない。

 果歩は怯えるだろう。こんな子供が苦痛なしに男を受け入れられるとも思えなかった。

 だが……。

(俺はそんな風に……果歩を怯えさせて、苦痛を与えるために配置されたコマなんだ)
 あの男が、それを命じた。

 ただ命じただけじゃない。――篤志の本性をわかった上で、あの男はそれを〈適任〉だと判断したのだ。

(抱くだけじゃ、終わらないのかもな……)

 そうして飢えにも似た感覚を満たしてもまだ、体内で繰り返す凶暴な脈動の底なしの欲望を満足させるには物足りないのだという予感があった。噛み締める奥歯の間には、いつだってもっと別の味、もっと強い充足感を欲しがっている。

 ――虎があの女を喰ったときの手応えは、その味に似ていただろうか。

(俺が果歩をどうしようが、おまえにはそうやって俺を責めて恨みがましく睨むことしかできない。そのことを……理解しろ、英司)

 繰り返される脈動。

 頭を締め付ける激痛が、篤志の視界を赤く染めていく。

 あのお伽話の光景が、次第にそのスピードを増しながらつぎつぎにフラッシュバックしていく。

 女の身体をむさぼりながら虎が味わっていたのは、単なる餌としての肉ではなく、愚かな賭けに敗れ続ける王への優越感そのものだ。

 この悪しき存在を

 ジャングルに巣食う魔の生命を

 奪い尽くせ

 殺し尽くせ

 汝が王国の繁栄の為に

 汝が欲望のままに

 犯し尽くせ

 その言葉通り、きっと果歩を破壊し尽くしてむさぼるまでこの獰猛な欲求は止められないのだ。例えば同じように抱いても、果歩は自分ではなく英司になら応えるかもしれないと思い続けている限り……。

 だから本当は、果歩が英司に犯されるところを見たかったのかもしれない。泣きながら、激しく拒絶しながら英司に犯されて、果歩が自分の名を呼ぶ姿を……。


 そのときにこそもう一度、あの言葉を囁いてやれるだろう。

『俺が守ってやる』

 篤志は英司に一歩、歩み寄った。

 邪魔なソファを力任せに蹴り倒し、床に転がった果歩の身体をまたいで立つ。果歩は強張った身体をくの字に折り曲げ、頭を抱え込んでいた。

 痛みのせいか、それとも恐怖からか……その身体が小刻みに震えている。硬く閉じた瞼から染み出すように涙がこぼれてもいた。

 傷から滲み出した血が幾筋かの細い流れを形作っている。骨や筋肉の隆起を縁取るように合流と分岐を繰り返し、果歩の背中の丸みを彩って複雑な模様を描き出していた。

…………。

 その姿を自分の足の間に見下ろして、篤志はこれまでになかった心地良さが湧き上がってくるのを感じていた。手にした鉄筋をもう一度果歩に振り下ろしたい衝動を必死にこらえて、篤志はその光景に見入っていた。

 この鉄筋を突き立てた時、果歩の身体からは血が噴き出すだろうか。薄汚れたペパーミントの床にまで鉄筋を貫通させるのは、難しいことじゃないはずだ。

 その手応えは一体どんな感じだろう。

 もがきながら助けを求めて差し出す果歩の指を舐めたくてたまらない。血に染まった肌を抱きしめたい。ちゃんと、優しくしてやったっていいのだ。英司の見ている前で、果歩が篤志の行為をねだって声を上げるくらい優しく……。

(そうすればもう俺は……これ以上果歩をいたぶる必要なんてなくなる)
(おまえに勝ったんだと実感すれば……!)

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