【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-17 いい女

エピソードの総文字数=3,098文字

大丈夫だよ、俺、あんたを信じてるから。

 そう答えた英司の表情にはもはや迷いもなく、不安さえないように見えた。

 その言葉通り箭波を信じきっている。

 箭波は英司の顔の前に手を差し出した。

 箭波の手がほんのりと青紫色に光り、まるでゼリーのように地面を透かしている。そしてその手のひらから、小さな尾の長い鳥の形が現れた。

一発勝負だよ。だから失敗なら一瞬で全部終わる。

あたしがあんたを苦しめるのは……成功したときだ。

思う存分やっていいよ。俺……死なないから。
 英司は目を閉じ、箭波に対して両手を広げた。
抱きしめてやるって言われてるみたいな気がするよ、英司。悪くないね、こういうの)

『俺は、死なない』

 その声がもう一度、箭波の鼓膜を震わせて力強く響いた。

…………。

 箭波はわずかに身震いを覚えた。


 他者の手で操られるゲーム盤の上のちっぽけなコマのひとつに過ぎない彼らが、そうまで強く求めつづけているもの。その正体を垣間見たような気がする。

 英司だけじゃない。篤志も果歩も同じだ。

 歪んだ記憶を抱えて、あのお伽話にしがみついて幼い絆を失うまいともがいている。

こいつらの中に残された10年前の記憶は、どれもこれも歪められた偽りの映像ばかりのはずなのに……。

 その中で彼らはそのお伽話だけを……たったひとつの真実として無意識のうちにしがみつき続けていたのだ。

だからなのかな、英司。だから……お伽話はあんなにも鮮明に、克明に、あんたたちの意識に存在し続けているの?

深い深い場所で、まるで宝物みたいに守られて……。


あのお伽話こそが、あんたたちを追い詰めて破滅させようとしているのに……。

 ジャングルの木々の向こうにじっと身を潜めて獲物を狙うあの虎が……彼らの心の奥にも棲んでいるのを、箭波は感じ取っていた。

 獲物とは、もはやゲーム盤にちりばめられた彼らと同等のコマではない。

 虎の牙が、一度は彼らの絆をも引き裂いた。

 だがそれでもなお……彼らはもう一度その手応えを、取り戻そうとしている。その手応えを手に入れるまで、この先幾度でも彼らは虎の目覚めを願うだろう。


 世界が沈黙の砂に埋め尽くされるまで……。

切ないね、英司。

――でもあたしは好きだよ、そういうの。

そういう生き方に、ずっと憧れ続けてる。

 箭波もまた気持ちを固めていた。

 そして今までただその強さにだけ惹かれていた王牙への気持ちが少し変化を遂げたのかもしれない。

 あのお伽話と王牙をつなぐ細い細い線の一端を……確かに自分も掴んだような思いを箭波は抱いたのだ。

わかる?

あたしももう、あのゲームの埒外の存在ではなくなるってことだよ。

そのことにね……とんでもなく興奮してるんだ、英司。

 箭波の手が動き、雷燕が中空に羽ばたいた。

 記憶の中であの炎が今も鮮やかに天空を焦がし続けているのは、彼女がずっとこの手応えを求めていたからに他ならないのだ。

あたしが、王牙を狩る!
誰も成し遂げられなかったことを……。

あたしが!

 今まで決して形をとることのなかった思いが、その言葉に集約される。

 それが多分、ずっと……箭波の望み続けていた結末なのだ。幼かった果歩に、あのお伽話を聞いた時から。

王のもっとも信頼する歴戦の将軍も。

荒くれの勇者も。

牢獄につながれていたもっとも凶悪な盗賊も。

そして、運命の恋をその戦いに賭けた王子も……。

すべての者が臆し、敗れ去ったその勝負に、

今度はあたしが挑むわ。

ジャングルに取り残された女がそうしたように、自らの身体を盾に戦ってみせる!

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世界を沈黙の砂が覆い尽くし、炎の虎がその動きを止めた時、オウムは……見つけるんだよ。

地平の果てにたったひとつ残された森があるのを――。

 ささやく英司の声が、耳を撫でるように聞こえたような気がする。

 だがそれは、声ではなかったのだろう。

 英司の記憶なのか、それとも彼の願望が生み出した光景か……その思いが鮮やかな映像となって箭波の身体に流れ込んでくる。

『長い年月を熱風にさらされ続けてオウムはすでに衰弱しきっていた。

 だがきっと、あの森までなら飛べるだろう。

 そこにきっと真実があるのだろうとオウムは悟っていた。

 その森で、子供と出会う瞬間を夢想した。

〈子供は王子に似たおもざしかも知れぬ。あるいは虎の鋭い目をそのまなざしに受け継いでいるだろうか……〉

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 だがその光景が--永遠の沈黙の砂に埋もれた王の都を俯瞰する光景が、突然、赤黒い闇に変わった。

 雷燕が身体を貫いた瞬間、英司の口から小さくうめく声がもれ、そのうめきに続いて、赤黒い地の塊がごぼっと泡立ちながら吹き出す。閉じていた目を薄く開いて、英司は目の前に立っている箭波の姿をとらえた。

英司っ!

 力を失って倒れて行く英司の身体を支えようと箭波は手を伸ばした。

 だが、支えきれずに共倒れになって地面に叩きつけられる。

死なないって……さ、言ったろ。

 その言葉はまだ痛みに震えていたが、英司の表情には穏やかな笑みさえ浮かんでいた。

 倒れる瞬間には、英司の腕が箭波をかばうようにさえ動いたのだ。

苦しい?
思ったよりね。

でも……。

 英司の顔が苦痛に歪んだ。

 息を詰めて、ぐっと奥歯を噛み締めているのがわかる。

……でも、あんたの言った通り封印は解けたみたいだ。
……え?
果歩が……あの穴の底にいる。

 英司はそれを確信していた。

 これまでこんなに強く、果歩の存在を感じたことはない。

 倒れている篤志を見下ろす果歩の姿までが、ぼんやりと見えたような気がする。篤志の身体を揺すりながら、果歩は今にも泣き出しそうだ。

 あの夜に見た時と同じように果歩の髪は白く光り、地に落ちるほどに長く伸びている。以前は禍々しいものとしか見えなかったその姿を、英司は今、まったく違う気持ちで見つめていた。

おまえは〈果歩〉だよ。どんな姿をしていても、その体に……別の誰かが紛れ込んでいたとしても。

やっぱり俺の大事な果歩だ。

何度殺されても、おまえは果歩以外の誰かになんかなれなかったじゃないか。

 英司は泣いている果歩の顔を見上げているのだと錯覚していた。

 じっと自分を見下ろしているのが、果歩なのだと……。

待ってろよ、果歩。

俺が必ずおまえを助けに行くから――。

今度こそおまえを手放したりはしないから。


だから、泣くなよ。

 手を伸ばせば果歩の頭を撫でてやれるのだと思った。

 だが英司の手は果歩の幻影をすり抜け、すぐそばで英司を見下ろしていた箭波の髪に触れた。

 果歩の幻影が消え、英司は目前にあった箭波の顔を見上げていた。

 さらりと逃げるように指の間をくすぐった髪の感触が果歩ではなく箭波のものであったことにどきりとした。

あたしと果歩を見間違えた?

 冗談めかした口調で箭波が言った。

 英司の顔を汚している血のあとを指先で拭ってやる。

一瞬ね。

 意識が朦朧としていた。

 顔を這う箭波の細い指の感触を追うだけで精一杯だ。全身を包み込んでいる痛みに、その柔らかく、すべすべとした肌触りの心地よさが染みこんでくる。

……でもきっと、あんたの方がイイ女だ。

 英司はもう一度、重く感じる手を伸ばした。

 その指先も吐き出した血が汚しているのが見えた。そのことに気づいて、英司は箭波の髪に触れることを躊躇った。

 その英司の指を絡めとるように箭波の指が包んでいく。

 箭波は身をかがめて、英司と唇を重ねた。

 英司の口中にはまだ血の味が残っていた。

…………。
 箭波の背に手を回して強くその身体を抱きしめながら、英司はその味が、ゆっくりと喉を下って体内に染み込んで行くのを感じていた。

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