【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-05 あのころ…… 

エピソードの総文字数=3,630文字

 授業を終えたあと、由宇は掃除当番を半ば押し付けるように佐和子に頼み込んで一目散に下駄箱へ走っていった。
由宇ってば~、何そんなに急いでんの?

っていうか、もう帰るの?

今日、バスケ部の練習見にこうって言ってたじゃない。それに掃除当番も……。

 教室から飛び出して行く由宇を見つけた佐和子が、息を切らしながら追いかけてくる。
緊急事態なの!

掃除当番は頼んだわ! 次、私が2回やるから! このご恩は一生忘れない!

説明は今度ゆっくりする!

え? ちょっとー。

掃除当番代わるのはいいけど、なんかあったの?

朝からヘンだよ。ねえ、由宇ちゃんってば~。

それにバスケ部は? 由宇ちゃんが見たいって……。

そっちも任せる! とりあえず先輩によろしく言っといて。

約束してたTシャツ、今日買ってくるから。

カンベンしてっ! ね? ね?

 早口にそう言うと、由宇は下駄箱からローファーをつかみ出した。

え、また新宿行くの? だって昨日も……。
ごめん、夜電話する!
 なおも食い下がる佐和子にそう投げつけるように言って、由宇は昇降口から飛び出した。
由宇ってば、もう~!

あたしひとりでバスケ部の練習なんて見に行ってどーしろって言うのー。

 押しつけられた掃除当番のせいでそれ以上は追うわけにも行かず、佐和子は由宇の背中にそう声を上げた。
美しい友情に感謝する!

ごめんね~。

 ちょっとだけ振りかえって由宇も声を張り上げた。


 何も知らない佐和子にこの状況を理解しろというのは無理な相談だと分かってはいる。

 だが、果歩が休んでいる表向きの理由は、

■百合ちゃんから学校への電話。

『神奈川に住む果歩の祖母の病状が思わしくないようなんです。それに長年手元に置いて育ててきた果歩がいなくなって気落ちしているとのことで……。できれば1週間ほど看病に行かせたいと思いまして……』

 ……ということになっているから、親しい佐和子と言えど本当のことを打ち明けるわけにはいかなかった。打ち明けたところで、多分信じてはもらえないだろうし。

 これから由宇がひとりで新宿へ遠征しようとしている理由だって、同じだ。それに多分……話しても、わかってもらうことはできないだろう。

…………ううう、ちょっと走りすぎた。

 一気に校庭をつっきって校門のところまで来た時、さすがに由宇も苦しくなって立ち止まった。ぜえぜえと肩で息をしながら顔を上げたとき、由宇は校門の前に立っている男の姿に気づいた。


 茂だった。

あれ、お兄ちゃん。

……どうしたの?

 由宇はきょとんとした顔で茂を見上げた。

 昨日の夜遅く帰宅した時、茂は『しばらく帰れなくなる』と言っていたのだ。


 美津子には友達がケガをしたからその手伝いに行くと誤魔化したが、由宇には『母さんには内緒にしておくように』という条件付で果歩や篤志たちの状況を教えてくれていた。

 由宇が今日も新宿へ遠征しようとしているのは、そのためだ。

 威月という妖怪が茂の身体の中に入り込んでしまったのだという話も、そのときについでのように聞いた。

(言われるまでもなく雰囲気変わったのバレバレだけどね。多分ママだって気付いてるんじゃないの。……それにわざわざ口止めされなくたって、『ウチのお兄ちゃん、半分妖怪になったんですよー』なんて、わざわざ言わないよ、ふつー)
思ったより早く出てきてくれて助かりました。

何だか変質者を見るような目で見られていて……ちょっと居心地悪かったもので。

掃除当番、佐和ちゃんに頼んだから……。

ねえ、果歩に何かあったの?

何事もなく平穏に……とは行きませんが、基本的には順調ですよ。

由宇に少し頼みたいことがあるです。いいですか?

頼みたいこと?

いいけど……バニーちゃんショップに行ってからでいい?

あたしちょっと急いでいるの。

…………。

バニーちゃんショップ?

 一瞬、頭が凍ったような気がした。

 あまりにも状況にそぐわない提案だった。

 親友の果歩が直面している切羽詰まった状況を、この娘は何も理解していないのではないか……と思わざるを得ない。

 

私は果歩ちゃんにも関わる、至極重要な要件を頼みたいんですがね。
あたしの用事だって、

果歩に関わる大事なことだもん!

 そうきっぱりと言われ、茂は言葉を失った。

 中身が誰であろうが、由宇には関係ないのだ。見た目がこれまでと変わらない自分の兄だと思えば言葉だって強気になる。


 そう言えば昨日、ことの経緯を話した時にいきなり、

『ホントに妖怪なら証拠見せて』
 ……と、詰め寄ってきたのも、目の前にいるこの娘だった。
『大間を離れた私にできることなど些細なものですよ』
 ……と、茂は笑顔で言葉を濁した。

 福島茂の大事にしている妹の前で、妖怪の本性を見せびらかすような真似をするつもりはなかった。

 その茂に、

『なぁんだ、些細なことしかできないの?

それじゃ全然役に立たないじゃない』

 そう畳み掛けてきたのもまた、この娘だ。

 悪気はないのだろう(多分)。

 ただずっと……兄に対しては何でも言えるし、言っても許される立場にいただけだ。

 可愛い妹を甘やかしすぎたツケが今回ってきているだけのことだと耐えるより他にはなかった。

で、大事な用事って何?
買い物と荷物持ちと車番ですよ。

 茂はそう言ってにっこり笑った。

 兄の立場のささやかな反撃--なんてこの程度のものだ。

■■■■■■■■■■■■■■■
 とりあえず由宇とはあとで合流することにして、茂は百合の家に向かった。

 昨夜の様子からして、むしろ心配なのは由宇や美津子よりも……百合のほうだった。

(会社……やっぱり行かなかったのか)

 児童公園からマンションへ歩きながら、茂はそのことに気づいた。

 公園を見下ろすリビングの窓越しに室内の照明が点いているのが見える。まだ時間は4時――普段なら百合は会社で仕事をしているはずの時間だ。

『果歩は、威月って妖怪の子供なのか?』

 その窓を見上げながら、茂は反芻するように英司の言葉を思い返していた。

 だが茂は――いや、威月はその言葉を否定することも肯定することもできなかった。

果歩ちゃんが妖怪とは思えない。

年齢を考えても、私の子である可能性は低いだろう。

だがときおり、果歩ちゃんから同族の匂いを感じることもあった……。

 振り返ってみれば威月という妖怪のこれまでの半生は、決してその思いを抱くことのない孤独なものだった。

 だがそれは英司の口にした疑問を、無条件に肯定できるほどの強い確信ではあり得なかった。威月もまた10年前は無力な子供のひとりだった。そして今も……自分を取り巻く状況のすべてを見通す力を持っているわけではないのだ。

(だからこそ、私の召喚に王牙が答えたのかもしれない)

 ただその思いが今も捨てきれないだけだ。

 そして……。

(百合は、真実を知っているのか?)

 知りたいと思う気持ちに、そのことが重くのしかかっていた。

 彼女が何も知らないのなら……あるいは覚えていないのなら、これからぶつけようとしている質問は、百合にとてつもない衝撃を与えることになりかねない。

10年前……大間で何があったんです、百合。
 あのころ、百合は今の果歩とさほど変わらない年齢だった。

 今それを思い返すと、茂の気持ちはささくれたようにちりちりと痛む。威月には百合の幼さなど、まったく目に入っていなかったからだ。

 頼りなげな果歩と違って……14歳の百合はもっと大人びていた。威月にとってはただ魅力的な女――としか見えていなかった。

当時から百合は大間という土地の特異性を敏感に感じ取っていた。

百合にとって、威月はその特異性のひとつだったはずだ……。

 例えば英司が幼い頃から身近にその存在を感じていたように、彼女もまた――威月と出会う以前から――大間で日常的に人間ならざる存在を目の当たりにしていたのだろう。


 だが彼女は英司とは違い、異質な存在をあるがままに受け入れていた。

いや、むしろ異質だからこそ、威月に惹かれ、執着していたのかも……。

 百合は威月に従順だった。

 従順になることで彼女もまた威月からの行動を求め続けていたのだと、今ならわかる。

 互いに求めれば決して拒むことなく応じる相手――。

 そのことは百合にとっても威月にとっても居心地のいい関係だったはずだ。だがその関係の裏側にあった彼女の思いを威月が推し量ったことは一度もない。


 大間団地崩壊の事故でその関係は破綻し、消滅した。


 百合は二度と大間に戻ってこなかったし、大間を離れた百合を探すことは威月には不可能だった。

……それだけの関係だ。

少なくとも威月にとってはそうだった。

 その関係があの当時、そしてその後の彼女の生活にもたらしていたであろう変化にも、威月は冷淡なほどに無関心だった。

 だが……。

威月という妖怪が、その場に当事者として存在しながら見ていなかったもの……。

それが今の状況を形作る一番最初の出発点にあったのかもしれない。

私もまた、彼らのコマのひとつだったのか……。

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