ままならぬ日々

入学試験

エピソードの総文字数=1,416文字

 行きたくもない大学に入学するチケットを得るための試験。やる気など起きるはずもなく、力のない足取りで一段一段、試験会場の階段を上がる。擦れ違う受験生たちは一様に、直後に控えた筆記試験について盛んに意見を交わしている。
なにがそんなに楽しいの?
 そう声をかければ、きっと彼らはこう口を揃えるに違いない。
なにを言っているんだ。試験なんて、楽しくないに決まっているじゃないか
(……嘘ばっかり。楽しくなければ、話題に取り上げるはずがないでしょう)
 自らの受験番号の席に着く。五分前になり、試験官の手によって問題用紙と解答用紙が配布される。
(……まただ)
 他の受験生はちゃんと紙なのに、私だけ石版だ。問題用紙はともかく、解答用紙が石製では、解答を記入できない。頭で解答が分かっていても、解答用紙に記入しなければ零点だ。
(今年も筆記試験は不合格、か)
 カンニングを疑われないよう、形だけは解答用紙、もとい解答用石版に向かいながら、頭では昼休憩のことを考える。
(楽しげに言葉を交わす受験生の中で食事をするのは耐え難い。食べるなら、試験会場の外がいい。この一年で、この町もすっかり様変わりした。去年見かけたあの店がまだあればいいのだけど……)
 そこまで考えて、筆記試験にはどうせ不合格なのだから、午後の試験を受ける理由がないことに気がつく。
(帰ろう。食事は家で済ませればいい)

 試験終了のチャイムが鳴るまでの時間は途方もなく長く感じられた。鳴ると同時に席を立ち、誰よりも早く部屋を出る。

 階段の踊り場に差しかかった時、窓越しに男性と目が合った。男性にもかかわらず、濃すぎるほどに濃いメイクを施した、三十前後と見受けられる男性。試験会場の隣に建つ民家、その二階のベランダに立ち、踊り場を覗き込んでいるのだ。


 男性は青空のように微笑み、家の中に引っ込んだ。


 厚化粧のせいもあり、美男子という印象はなかったが、少なくとも、最後に見せた微笑みは実に魅力的だった。

(彼に会いに行こう)

 今後の予定が定まっていない私が、そう決断するのにさして時間はかからなかった。遅れて部屋から出てきた受験生の気配に急かされるように、駆け足で階段を下りる。

 試験会場の周囲を探したが、厚化粧の男性がいた民家はどこにもなかった。近隣にある二階建て以上の建物自体、大型ショッピングセンター一軒しかない。

(民家とショッピングセンターを見間違えるものだろうか?)

 合点がいかなかったが、とにもかくにも中に入る。

 案内図によると、二階は全面、玩具売り場になっているらしい。

(厚化粧の男性と玩具……。益々不可解だけど、目的地まで行けば真相は自ずと明らかになるはず)

 二階へはエスカレーターで向かった。フロアに辿り着いた瞬間、求めているものがここにある、という直感を抱いた。まだ見ぬ目的地へと一直線に歩を進める。

 男児向けの玩具売り場で足が止まった。目についた棚に陳列された一箱を手に取る。組み立て式の昆虫。裏面の説明書きを読んだだけでは仕組みは呑み込めなかったが、他の昆虫と闘わせることも出来るらしい。

……懐かしい

 呟き、商品を手にレジへ向かう。

 実際には、私の幼少時には、この玩具は存在しなかった。購入したことがあるのは、闘う昆虫に似て非なるなにかだったはずだ。

 それでも私は、その商品を購入しようと思った。懐かしい、という実感が錯覚に過ぎないのだとしても、購入の動機はそれで充分だった。

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