勇者の出立

プロローグ

エピソードの総文字数=1,490文字

 夜通し火を絶やさないこと、そして常に警戒を怠らないこと。これが、魔物のうようよする森を旅する者の基本だ。

 奴らが音もなく忍び寄ってくるのを、かなり前からおれは察知していた。


 深夜の森は、無害な小動物のたてる数知れぬ物音で満たされている。しかし奴らの気配はそんな中でもすぐにはっきり感じ取れた。

 禍々しい殺意。

 奴らは全部で六匹。とうとう、おれたちを完全に取り囲んだ。ある距離以上は決して近づいてこない――奴らは、火を恐れるのだ。


 敵を十分引きつけたと判断してから、おれは立ち上がり、声をかけた。
夜食を探してるのか? 残念だが、相手が悪かったな。てめーらの胃袋に入るつもりはないぜ。

 魔族の言葉を使ってやったが、敵に通じたかどうか。奴らはウェアウルフ。言語を操る知性すら持たない低級な魔物だ。人間を襲うのも憎しみからではなく、エサにしたいからに過ぎない。


 ウェアウルフ達は牙を剥いて唸り始める。一匹ずつ斬り捨てることもできるけど、面倒くさいし、何より接近戦では狼は厄介な敵だ。まとめて片付けてしまおう。

 おれは目を閉じて心を澄まし、呪文を唱え始める…。

虚空に散りし紅き岩漿の末裔よ。我が招きに従い収斂し凝縮せよ。その狂いなき円弧の舞いによって。

焼き尽くせ、火環顕現(プラーメン・プルステン)!

 轟音と共に、たき火が巨大な火竜と化して宙に躍り上がった。火竜は六つの輪に分かれて魔物の一匹一匹を取り囲む。それらの死の輪が、同時にきゅっと締まって一点に集約する瞬間、目を開けていられないほどまばゆい閃光が弾けた。閃光がおさまった時、ウェアウルフ達は灰すら残さずに、蒸発して消えていた。


 ふう。夜中に余計な運動をしてしまった。おれは溜め息をついて、ちょっと焦げた前髪に触れた。そのとき、

おい。森の中でむやみに炎を使う奴があるか。山火事になったらどうする?

 だみ声と共に、たき火の傍らの寝袋からむっくり起き上がったのは、わが敬愛する親父殿だ。深い眠りからたった今起こされたばかりという風情で、腹をぼりぼりかきむしっている。息がまだ酒臭い。


 そのぶよぶよした体を、おれは軽蔑の目で見下ろし、

そーなったら、豚の丸焼きが一匹できるだけのことだよ。それにしても……
 急に怒りがこみ上げてきて、
魔物に囲まれてたってのに、気づきもしないで寝てたのかよ? まったくもう、勇者カーマインの名が泣くぜ。
 都合が悪くなった時の癖で、親父はなんとなく視線をそらし、
そんな事言ったって……もうすぐ王様に会おうっていうのに、睡眠不足の顔して行くわけにはいかんだろう? びしっとカッコ良くなくちゃ、勇者は、やっぱり……。

などとつぶやきながら、酒の瓶をぐいとあおって、再び寝袋に潜り込んだ。


 情けない


 二十年前、世界の人々を恐怖のどん底に陥れていた魔族の王デアルゴを、単身倒した伝説の勇者が、この男だ。真紅の鎧を身につけていたことから勇者カーマインとして知れ渡った。そして今日に至るまで、各地の魔族の残党を討伐するためと称して、世界を渡り歩いている。


 だが実はその正体は、酒好き女好きのただのゴロツキだ。長年の不摂生でたるみきった体。品性のかけらもない、無精髭伸びまくりの顔。剣の鍛練もやってないから、今じゃラット一匹倒せるかどうか怪しい。


 過去の名声を利用して、世界各地で王侯貴族の城にもぐり込んでは歓待を受け、化けの皮がはがれそうになるとあわてて逃げ出す。そんな生活をずっと続けてきた。


 幸いにも国と国との情報交換など皆無に等しいので、勇者の悪い風評は広まらずに済んでいる。それで次々とカモがみつかるというわけだ。

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