【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

4-07 はかないゆめ

エピソードの総文字数=3,577文字

 英司はふと足を止めた。

 強い妖気の壁が、行く手を阻むように英司を押し包んだのだ。

 壮絶な痛みを訴える……苦悶の声を聞いたような心地がした。

……誰だ?

 その声を以前にも聞いたことがあっただろうか。

 あったはずだ。

 だが……。

う……うわわっ。

 危うくバランスを崩しそうになって、英司は慌てて手がかりとなる小さな突起にしがみついた。

 地面にぽっかりと口を空けた穴から埋もれたクリニックビルの5階へと続く、その斜面の途中だった。

 いや、5階だった場所……と言ったほうが正確かもしれない。

 地上から見下ろす限り床らしいものは残っておらず、ただ崩れた土砂がさらに深く続く穴へと落ち込む急な斜面を形作っているだけだ。

 足を滑らせれば真っ暗な穴の底(おそらく1階まで貫通している)に転げ落ちるのは目に見えている。足場が不確かなのはもちろん、重い荷物(食料と着替え一式)を背負っているせいでバランスもとりにくい。

(この荷物を全部押し付けられたりしなければ、俺だってここまで無様にもたつくこともなかったはずだ……!)
 英司としては、それを声を大にして訴えたかった。


どしたの?

あんた、大丈夫?

 英司のあとを追ってきた箭波が、そう声をかけた。

 箭波の方はこの程度の足場はどうということもないらしい。いや……もたつく英司との一番の違いはその身軽さだ。

『だぁ~って、レディにそんなもの持たせるなんて心苦しくて俺にはできないって、英司だって思うでしょ? ダイジョーブ! あんたにそんな思いはさせないから安心して☆ ついでに感謝もしてね』
 ……なぁんてな似合わない台詞をかわいい顔して言っていた箭波に、一っ言も反論できなかったことが、今は悔やまれてならない。
いや……何でも……。
 何でもない。そう言おうとして迷うように口篭もった。
何よ、ビビってんの?

声が聞こえたような気がしたんだ。

声……?
 箭波はキョロキョロと周囲を見回した。

 少なくとも耳で聞き取ることのできるような音は何もしなかった。不気味なまでに静かだ。

そういう〈声〉じゃなくって。何て言えばいいのか……。

ああああっ! なんだこれ。これがテレパシーとかそういうヤツっ?! 俺、超能力者になっちゃったのか?!

アニメの見すぎ。

もっと現実生きなきゃ。

……妖怪にそういうこと言われるの、ものすごく心外だけどな。
超能力者になるとかならないとか以前に、あんた子供のころからフツーに妖怪見えてたじゃない。何をいまさら……。
全然スペシャル感ないじゃん。

そういうの、人生の見せ場じゃないの。

……こんな状況、十分スペシャルだと思うけど。

妖怪の女を相棒に、コンビニおにぎりと徳用ウェットティッシュ担いでお姫様を救出! お伽話の王子もそのくらいしてれば女を怒らせることなかったのにねえ?

近くにコンビニなかったんじゃね?
え、そこ?
箭波さんのような頼もしい相棒が一緒に来てくれれば、きっと王子もうまくやってたよね。うん。間違いない。俺もそう思う。ウェットティッシュ超重要。
……で?

まだその〈声〉、聞こえるの?

ああ……。苦しがってる。


葉凪とか言ったっけ。

あの頭に角生えてる……アイツなのか?

 おそらく葉凪も王牙の襲撃で傷ついたのだろうと英司は推測していた。

 だがその妖気は弱まるどころかむしろ抑止力を失って剥き出しになっているようにさえ感じられる。

 そんな手応えを、英司は10年前にも感じたことがある。

 それは、葉凪のものではなかったのかもしれないけれど……。

あの葉凪ってやつ……。

あいつも10年前、大間にいたのか?

いたよ。

王牙を見てはいないって言ってたけどね。それもあり得る話だと思うよ。あいつ、引きこもりだし、その割に逃げ足早いし。

 答えながら、箭波はふと気づいた。

 英司が感じているのは――もっと別のものだ。


――でも、あんたが懐かしく思っているのは葉凪じゃなく、あいつが封印している衣砂の妖気なのかもね。
え?

 英司は顔を上げた。

 そして箭波が自分と同じことを考えているのだと気づく。

あんたが衣砂を知ってたなんて、意外だね。

 英司の言いたかった台詞を奪うように箭波の方が早く言葉を発し、地下深くへ通じる穴に背を向けて廊下の奥へ進んでいく。

 奥へ進むほどに、英司の感じる妖気も強くなった。

 そのときになってようやく英司は気づいた。『この斜面を降りるわよ!』と雄々しく言い放ったときから、箭波が目指していたのは1階のホールではなかったのだ。

(この先に……葉凪がいるのか)

 大方、箭波は暴走する王牙の炎から英司を救った葉凪のあの能力をエレベーター代わりに使おうと考えているのだ。

(確かにこのまま1階まで崩れかけた穴を降りていくよりは安全で確実かもしれないけどね……)
 酸欠寸前だったあのときの心地を思い出すと、英司にとってはあまり気の進む手段ではあり得なかった。
葉凪……協力してくれるかな?

 恐る恐るそう聞いてみた。

 箭波はまるっきり考えていないようにも見えるが、まだ葉凪にとってはこのゲームは終わっていないし、英司は敵のユニットであるはずだ。そう簡単に協力を頼めるような相手ではあるまい。

 それに葉凪は小霧や箭波とは少し印象が違う。

 ゲームはゲーム……と、割り切っているとは限らなかった。

 箭波にとっては〈よく一緒に遊ぶダチ〉で、気心の知れた相手かもしれないが、英司には違う。そして葉凪にとっても、英司は見知らぬ他人も同然の〈人間〉なのだ。

協力ってのはね、してもらうもんじゃないの、させるもん。

分かる?

(うっわ……。やっぱこいつ、こえー)

脅すネタでもあんの?

イヤぁねえ~。

脅すだなんて、ワタクシがそんな下品な真似するはずないじゃございませんの。
 こんな似合わない嘘を、こうもぬけぬけとにっこりあっさり言える女は、多分そうそういないだろう。
(いないって、言ってくれ、誰か……)

 返す言葉を失っている英司を、心底嬉しそうに見つめて、箭波は足を止めた。

 廊下の片隅に、葉凪がうずくまっていた。さっき箭波がこの場を後にしてから、指一本動かしていないのだろうと思える様子だった。

 その手のひらの上で、押し固められた花びらの塊が淡く光を放っている。

い……生きてんの……か、これ……?

 葉凪を見下ろして、英司は息を飲んだ。

 それが葉凪のことを言いたかったのか、それとも葉凪の手のひらの花びらに閉じ込められた衣砂のことを言いたかったのか……英司には自分でもわからなかった。

 ざわざわと冷たい衝撃が押し寄せて、身体の震えを抑えきれない。

俺はずっと知りたかったよ。

 わずかに葉凪の顔が動いて、青ざめた英司を見上げる。

 たったそれだけの動作が、堪えがたいほどの苦痛を葉凪に与えている。

しゃ……しゃべんなよ。
 わずかな筋肉の動き、息のもれる空気の動きが葉凪の体内で繰り返されるたびに、骨が砕け、内臓が潰れるような痛みが襲い掛かっている。

 それを英司は、まるで自分自身の苦痛のように味わっていた。

君がずっと思い描き続けていたジャングルの光景――。

俺はずっとあの光景に惹かれていた。焦がれていたんだ。

あの光景が何を意味しているのか……知りたかった。

 葉凪は荒い息の中でつぶやいた。

 それは英司に向けられた言葉では、なかったのだろう。そしてもちろん、箭波への言葉でもない。

 まるで恋人に語りかけるような……柔らかく撫でるような声音だった。

(あのお伽話は、衣砂の見ていた光景だったのか)

 英司にも、それが分かった。

 散漫にいくつものイメージを積み重ねたあのお伽話の光景は、あの緑の目の女の記憶から英司の中に流れ込んできたものだったのだろう。

 王子に捨てられたあの女が、衣砂だったのだろうか?

 それとも衣砂のどこかにそんなお伽話を聞いた幼い記憶があったのだろうか。

 そして無数の甘い香りの花びらに封印された今も、衣砂はあの切れ切れの光景をはかなく夢に見て続けているのだろうか……。

でも俺にはやっぱり分からなかった。

『ジャングルに虎がいる』

その言葉の裏側にある意味が……。

(このゲームを終えたとき、その答えが俺に見えると思うか? 衣砂)
 一瞬、葉凪の表情が震えた。
果歩が、君を呼んでる。

 うわごとのようにつぶやいていた言葉とは打って変わってしっかりとした口調で言い、葉凪の視線が英司を捉える。花びらのかたまりを大切そうに手のひらに包んで、葉凪はゆらりと立ち上がった。

 何のために箭波が英司をここへ連れてきたのかは、もう葉凪には分かっていた。

俺が死ねば衣砂の封印も解ける。

その時がきっと……ゲームの最終章の始まりだ。

馬鹿なこと考えんなよ、葉凪。

もしもう一度……。

 その英司の言葉を、最後まで聞くつもりなんかなかった。

 そして葉凪の髪の間から伸びた無数の蔓が英司を取り巻いたのは、その瞬間だった。

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