【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-12 2度目の夜

エピソードの総文字数=5,117文字

……zzz。

んー……。

(……っ!)
 目覚めたとき、ぼやけた視界に夜の空が映っていた。
(ここ……どこだ?)
 夜風の冷たさをまず感じた。

 それから……とてつもない喉の乾きが襲ってくる。

……み……ず……。
 周囲を見まわす力もなく、英司は小さくそう呟くのがやっとだった。

 耳元で何か音が続いている。誰かそばにいるのだ。何をしているのかはわからない。いつもよく聞いていた音のような気がするのに、何の音か……どうしても思い出せないのだ。

 その音が英司の言葉に反応するように止まった。

あれ、起きたの?

 張りのある女の声だった。


 その時に英司は、さっきまで耳元で続いていた音が、パソコンのキーボードを叩く音なのだと思い出した。

 背中にごつごつと固い感触がある。全身が軋むように痛んでいた。とてつもない疲労感が今も英司にのしかかっていて、身動きもできない。身体にかけられた薄っぺらい毛布の肌触りの柔らかさをこれまでこんなに心地良く感じたことはなかった。

(ああ、そうだ。俺は炎に囲まれて……)

 王牙の炎に行く手を阻まれ、葉凪の蔓に全身を取り巻かれて気を失うまでの記憶がわずかずつ蘇ってくる。

(あいつは俺を助けたのか? でも……なんで?)
 英司には意外だ――とも思えた。

 むしろ葉凪は敵という意識のほうが強い。そもそも妖怪にとって人間は邪魔な存在だろうという固定観念も捨てきれてはいなかった。

 だが本当はそうではないのかもしれない。茂や小霧が言っていたように、少なくとも大間に集う妖怪の大多数は人間に敵愾心を抱くことなどなく、静かに暮らしているのかも……。

(果歩はどうなったんだ。それに篤志さんも……)

 いくつもの疑問が浮かび、ひとつも答えを見つけることなく消えていく。

 ぼんやりとかすんでいたいくつもの色彩が、時間をかけてゆっくりとひとつの像を結んで行く。女の顔が、すぐ間近にあって英司を覗き込んでいる。

 とんでもなく気が強そうだが、美しい女だ。

(え……ええと、誰?

 女の顔は次第に英司に近づき、視界を覆い尽くした。そして唇が触れ合う感触とともに冷たい水の味が口の中へ流れ込んでくる。

(……こ、こんな役得アリですか?)
 少々狼狽えつつも、その水を飲み下した。

 細胞のひとつひとつにまで、その水が染み込んでいくような気がする。堪らなく美味い。だがそのわずかな潤いだけではまだ足りなかった。

もっと……くれよ。

てか、下さい。

 英司の言葉に、女はせせら笑うような吐息を漏らした。

 もう一度英司の顔を覗きこんで、不敵な笑みに口角を吊り上げる。

それって、何のおねだり?

水? それともキスのほう?

……両方ってことにしとくよ。

 投げやりにそう英司は答えた。

 箭波は笑いをこらえきれなかった。

 もう一度口移しに水を飲ませてやり、それからさっき、汚れた英司の顔を拭いてやった布に再び水を含ませて顔についた口紅を拭い取ってやる。

 (お姫様を囲ってる気分だね)

 これまで一度だって抱いたことのなかった思いだが、これまで馬鹿にし続けてきた葉凪の趣味も、案外捨てたもんじゃないという気になってくる。

 上品ぶっている葉凪では到底思いつかないようなえげつない楽しみ方だって、自分なら2秒とかからず思いつくだろうという自負もあった。

ここ……どこだ? それと……。
ここはね、ち・きゅ・う。
 英司の言葉を最後までは言わせず、箭波はすかさずそう混ぜっ返した。
…………あんた、もーちょっと空気読めよ。小学生か。

 まだ少し言葉がもつれていた。

 だがようやく、ものを考えられる程度には意識がしっかりしてきている。

 暗くて周囲の様子はよく分からなかった。

 とりあえずここがふきっさらしの屋外で――まだ大間にいるのだということが分かるだけだ。

クリニックビルから徒歩2分ってとこかな。

基礎工事が終わったところで埋まった4号棟のあたり。

 箭波はそう言って立ち上がった。

 広げたノートパソコンの前に戻る。パソコンは倒れたコンクリートの柱を机代わりにして置かれていた。

あんたのブログの記事、結構面白いね。

――タケヤンのチャットでも何度か顔会わせてたの、覚えてる?

はぁ?

タケヤンのチャット……?

 英司も痛みをこらえて身体を起こす。

 この荒れ果てた廃墟には余りにも似つかわしくないが、ノートパソコンは発売されたばかりのモデルだ。見馴れたブログ画面が映し出されている。

 英司のブログ――『EIJIミノ探索日記』だ。

 ちょうどアイテムリストの記事を読んでいたところだったようだ。

 この女が見ていた記事が『お伽話の詳細』あたりで、その内容について尋ねられるのなら、もう少し納得がいったかもしれない。

 納得と言うか……この場に相応しい展開だという気がするのだ。少なくもこの状況でオンラインゲームの話なんか切り出されるよりは、ずっと。

 ちなみにタケヤンというのは、オンラインゲーム『ミノタウロスの迷宮』での、英司のゲーム仲間の名前だった。溜まり場となっている彼主催のチャットルームがあり、英司も毎日のように顔を出していたのだ。

ああ、自己紹介もしてなかったっけ?

箭波よ――威月とはここでのゲーム仲間でね。もっとももう私もゲームオーバー食らった身の上けど。

実を言えばあんたともゲーム仲間。『ミノ』のでは何度もチームアタックで一緒になってる。SENってハンドル使ってるの、覚えがあるでしょ?

……妖怪の女とチャット仲間だったなんて一生の不覚だな。
『身に余る光栄でございます』の間違いでしょ。
(ああこりゃ疑う余地もなくSENだわ……)

 思わずため息が漏れる。

 この息もつかせぬ反撃っぷりに、チャットルームでも何度やり込められたことか……。

 SENは仲間内でも1、2を争うヘビーユーザーであるにも関わらずオフ会にはいっさい顔を出さない変り種で、噂に事欠かない存在だった。まさか女だったとは英司も考えてもいなかったが……。


 それが……箭波のもうひとつの顔だった。


 少し前まで『雷燕使いの箭波』といえば、大間に出入りする妖怪なら知らぬ者はいなかった。やることなすことすべてが派手だったし、当時大間で盛んに行われていたゲームでも、箭波は負け知らずだった。

 観客を集めてコロシアムと呼ばれる狭いフィールドで行われていた当時のファイトゲームは箭波の肌に合っていたし、自分に賭ける見物客が多ければ多いほど燃える性質でもあった。

 当時、すでに大間では王牙を巡るゲームの噂が絶えなかった。……が、ほとんどの妖怪にとっては自分とは無縁の、雲を掴むような話だった。それに比べて箭波たちのやっていたゲームは彼らにとって、もっと身近な〈娯楽〉だった。

 王牙の出現で大間団地が崩壊したことは、人間だけでなくそうした妖怪たちにとっても大きな影響を与えた。

 大間にとどまったのはごくわずかだった。例えば人間に紛れるために外見を偽る能力に欠ける葉凪もそのひとりだ。だがそういう例外を除けば……あとはみな、散り散りに人間の間に身を潜ませてしまった。

 箭波もまた――大間から離れた。

 以後は時折大間を訪れ、小霧に誘われるままにゲームに参加するだけになっている。以前のような派手な行動はめったに見られなくなっていた。

 バイトに旅行、美味いもの食べ歩き、SNSにお写真投稿……と、すっかり人間並の生活に馴染んでいる。

あたしもびっくりしたけどね。

あんたのブログでお伽話の記事を読んだときには……。

 箭波はパソコンのキーをいくつか叩き、ブログ記事の中から『お伽話の詳細』のページを開いた。
10年前の事故のころ、人間の子供たちの間にはこのお伽話が蔓延してた。まるで伝染病みたいに、あっという間に広まったんだ。

お伽話が王牙を呼ぶ暗示の言葉だと気づいたのはあたしだけじゃない。――ほとんどの妖怪は期待してたよ。スペクタクル映画の予告編でも観るみたいに……っていうか、むしろ、ゲームの神プレイ動画を観る心境かな。自分の能力では絶対できない究極のプレイをひと目でも観たくてウズウズしていた。ここに街が築かれて、子供が生まれ、王牙の核となっていくのを見守って……。これまで見たこともない強大な力を秘めた魔界の生物の出現ってやつを待ちかねてた。

でも実際には……王牙の力は大きすぎるってことを思い知る結果になった。人間だけじゃない。妖怪の中にも巻き込まれて死んだやつは結構いたんだよ。生まれたばかりの核の、産声みたいな覚醒だったあの一撃でね。

果歩はやっぱりその……妖怪の子供なのか?

だからこそ王牙の核として機能した。そういうことなのか?

〈だから〉なのかどうかは分からないよ、あたしにも。

でもあんたは果歩の本当の姿を、あんたは10年前に見たはずでしょ。

人間の子供の姿は仮の器ってとこかな。威月がフクスケの身体に〈滞在〉しているように、果歩の身体の中にも妖怪がいるっていうだけのことさ。

フクスケと違って果歩の本体は死んでるけどね

え……。

『死んでる』……?
あれ、知らなかったの?

あんたならフツーに気付いてるのかと思ってたけど。

 英司の驚きとは裏腹に、箭波の言葉はそっけないものだった。
待てよ、だって……。

死んでないじゃないか!

果歩って妙な子供でね。よちよち歩きができるようになったころから、妖怪の気配に誘われて、よく夜中にふらふら外に出てきてた。

あたしも遊んでやったことあるよ。人懐っこい子で、相手が人間でも妖怪でも、まるっきり関係なくにこにこしてさ。


――あの子が死んだのは大間の事故の前日だった。

事故があった夜、俺は果歩と一緒だったんだ。

死んでなんか……!

あんた、自分の記憶にそんなに自信持ってんの?
………………。

 箭波にそう言い放たれ、英司は言葉を失った。

 あのとき握り締めていた果歩の小さな手の感触が、鮮やかに蘇ってくる。

 いつも剥げて土ばかりが目立っていた芝生の広場。そこにだけスポットライトのように照明の光が当たっていて、周囲は夜の闇に包まれていた。その広場の真ん中に、ぽつんと立っている果歩を見たのを今でもはっきりと思い出すことができる。

 少し首を傾げて、じっと英司を見上げていたあの頼りないまん丸の目を……。

!!!!!!

 だがそのとき、衝撃とともに英司の記憶に割りこんでくるひとつの映像があった。

 真っ白な髪が、地面に届くほどに伸びた小さな子供の姿。

 振りかえったその顔は確かに果歩のものだったけれど、もう〈果歩〉ではなくなっていた。

 額に浮かび上がっていた赤い文様が、そのことをはっきりと物語っていた。そこに立っていたのは人間ではなく……妖怪だった。

俺が握り締めていたのは……果歩の手じゃない……。
 あのとき英司は足元に落ちていた石を拾い上げて、その角張った側面が手のひらに食い込むほど強く握り締めていたのだ。

(妖怪を見た時はいつもそうしていた。それがあのころの俺の日常だったんだ。――だからあの時も、同じだった)

 英司の投げた小石は炎をまとってあの白い髪の子供に直撃した。

 小さな身体をその炎が貫いた瞬間……覚醒は始まったのだ。

 そして同時に英司は、自分のなすべきことを悟ったのだ。あの天を焦がす炎は、放っておけば世界を焼き尽くす脅威となることも知っていた。

篤志さんは俺を王牙の火種だと言った。

だが違う! 違ってたんだ。

 誰がそれを英司に命じたのだろう。そしてそんな知識を誰が与えたのかも分からない。ただその命令だけが英司の中に存在し続けた。本能のように。そう生まれついたかのように……。

 誰かがいつの間にか英司の意識にその命令を植え付けて、ゲームの手駒となることを強いたのだ。

(俺は……ただ必死だった。果歩か妖怪か……もうどっちだかわからないけれど、どっちでもいいと思った。ただ必死で、炎の虎に道を教えたんだ。こっちじゃない。世界を焼き尽くしてはダメだ……って)
『おまえが焼くべき王国はこっちだ。王子はそこにいる』

あのオウムがそうしたように。

俺が教えた。

焼くべき標的を……。


俺が導いたんだ。

道標となって!

あの炎の虎を……!

(俺は虎を止めたかったんだ。果歩を助けたかった。果歩の力が俺の制御を超えたとき、何が起こるのかも知っていたから……)
英司……?

あんた、大丈夫?

 とりとめもなくつぶやき続けている英司に、箭波がそう声をかけた。

女が炎の虎に姿を変えた時、オウムには何ができたんだろうな

女を王子のいる城へ導くことのほかに、何が……。

 英司は小さく言った。

 それは箭波に向かって放たれた言葉ではない。

 だがそれでも英司は、箭波の口から何か答えが流れ出てくるのを待たずにはいられなかった。

◆作者をワンクリックで応援!

2人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ