【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-20 赤い光景

エピソードの総文字数=3,661文字

そろそろ起きませんか、英司くん。
……え……うぇ?

 その声に、英司はぼんやりと目を開けた。

 確かさっきまで箭波を抱きしめていた感触があるのに、目の前にいて英司を見下ろしているのは彼女ではなく、茂だった。

 ついでに夜が明けて、辺りはすっかり明るくなっている。体感時間は数秒だが、数時間が経過してしまっているということだろう。

……?

 一瞬、戸惑うように英司の目が泳いだ。

 目覚める瞬間に、一瞬女の顔が思い浮かんだような気がする。

 いくら記憶を手繰っても、出会ったことなどないはずの女の顔だ。

 赤っぽい金色の髪。きれいなカーブを描くあんず型の目が印象的だった。その形だけじゃない。鮮やかな緑の瞳が……まるで作り物のようにきれいだ……と、あの時も思った。

(あの時って……いつだよ)
どうしたんです?

大丈夫ですか。おーい、英司くん?

何かを、思い出しかけたんだ。

ちょうどこんな風に……。

あの時も同じだった。

目を覚ますと、それまで抱きしめていたはずの感触が腕の中から消えていて、代わりにあの女が俺を見下ろしていた。

あの時、俺が抱きしめていたのは……。誰だ? 箭波……の、はずないし……。

で、あの女は……何言っていたんだっけな……。

くそっ、もうちょっとで思い出せそうなのに!

ええっ、私のせいですか?!
 まったく会話の辻褄が合わないことに、そろそろメゲそうだった。

 英司は記憶の混乱具合と向き合うだけで精一杯で、その経過を説明する余裕などないのだろう。

 そう分かっていればこそ、ぐっと堪えた。

(そうでなければ、その寝ぼけたバカ面に靴底の味を教えて差し上げるところですよ)

ごめん。

フクスケさんに怒鳴ったわけじゃないんだ。

なんか頭ん中ぐちゃぐちゃで……。

正気に戻ってくれてホッとしましたよ。

……箭波、どこ行ったんです。

さあ……。
なんか、怒らせたんですか?

……怒らせたんだろうな、とは思いますけど。

っていうか俺、疲れてて……。

寝ちゃったみたいで……。

なるほどね。

 もう一度まじまじと英司の顔を見つめ、茂はため息を漏らした。

 いい雰囲気になったところで英司がすかすかと寝てしまったその光景が目に浮かぶようだった。

あれ?

なんで俺が箭波と一緒だったって知ってんの。

その口紅、箭波の好きな色ですからね。

……果歩ちゃんや篤志に仔細を説明する気がないなら、顔合わせる前に落としたほうがいいんじゃないですか?

え!
 まるでいたずらを見つかった子供のような表情になって、英司は慌てて口元に手をやった。
あと、オデコもね。鏡、見ます?

 茂は手にしていたボストンバッグから洗面道具の入ったポーチを取り出した。

 あまりにも期待通りの反応が、嬉しくてたまらない。


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 このボストンバッグは由宇が美津子をだまくらかして用意させたものだ。

 準備に当たっては、

お兄ちゃんに、2~3日分の旅行の用意してくれって頼まれちゃった。

ホントはね、『母さんにはナイショにしてくれ』って言われたんだけど~。

でもほら私、嘘のつけない性分だし?

それにお兄ちゃんのぱんつとか、めっちゃ触りたくないし。

あらあらまあ……どうしましょう☆

お兄ちゃんったら、きっとヒミツの旅行なのね!

カノジョかしら……。カノジョよね?

 ……などという、母娘の会話があったらしい。

 ちなみにその後には、

ママさ、絶対誤解してるよ。お兄ちゃんもついに大人の階段登るのねとか、お兄ちゃんの恋人はきっとユミちゃんみたいなタイプよとかって、もーうきうきしちゃって。
それ、どう考えても誤解させたのはあなたですよね?

誰ですか、そのユミちゃんってのは。

入ってるぱんつ、全部新品だよ☆

ママ、慌ててコンビニに買いに行ってたから。


きゃーえっちぃ。

………………どうでもいいことですけど母親の買ったコンビニぱんつ大人の階段って、切なすぎませんか。
 ……などという、兄妹の会話もあった。

 余計な詮索は甚だ迷惑だが、実際に着用するのが英司や篤志であることを考えれば着替えが新品なのは大変にありがたい。


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一応、着替えも入ってますよ。

英司くんなら私とそれほどサイズ違わないからジーンズでも大丈夫でしょう? ジャージは篤志用に取っておいてくださいね。

ああ、さんきゅ。

 そう言って英司はポーチを受け取った。

 中には髭剃りや櫛、歯ブラシ(ブルーとピンクのペアだ)など一通りのものが入っている。ずいぶん用意のいいことだ。

げ、何だこれ……。

 茂に言われるままに鏡を取り出して自分の顔を見たとき、英司は思わず手にしていた一切合財をぶちまけそうになった。

 箭波の口元を彩っていたのと同じ赤の口紅で、額にバカという文字が鮮やかに書き記されていたことを、英司は今の今までまったく気づいていなかったのだ。

箭ちゃん……怒ってっかな?
さあ、あれでなかなか貪欲な女ですからね、箭波は。

いいから早くそれなんとかして下さい。

 茂は苦笑いしつつ言葉を濁した。

 具体的なことはよく分からないし別に聞きたくもないが、口紅と言われて即座に口に手が行くような状況にはなっていたわけだ。見当はつく。そんな状況の真っ最中に男が寝てしまったとあっては、相手が箭波じゃなくたってフツーに怒り心頭だ。
冗談じゃないよ、ちくしょー。取れないじゃん、これ!
 英司は茂がボストンバッグと一緒に持ってきたコンビニ袋の中からウェットティッシュの箱を取りだし、額の文字をごしごしとこすっていた。赤い口紅にてこずって次から次にティッシュを引っ張り出している。
(徳用ウェットティッシュは今後の買い出しでも必須だな)
とりあえず、箭波は無事なんですね?

――驚きましたよ、帰ってきたらこの惨状ですからね。

果歩が、目覚めたんだよ。
分かってます。
何が起こるんだ、これから……?
………………。
 茂は答えなかった。

 いや、答えられなかったと言った方がいい。

 威月だって、すべてを知っていたわけではない。

 だが今、王牙の暴走で破壊された惨状を見渡して、ひとつ気付いたことがある。

英司くん、不思議だと思いませんか?

この状況……10年前と、あまりにも違う。

え……?
当時は今と違って都市ガスのラインも生きていたし、可燃物も山ほどあった。火災の程度が違うのはそういう理由が大きいと思うんです。

でも……。

 そう言われて、英司は改めて周囲を見渡した。

 団地の跡地は、ほとんど更地と言ってもいい状態になっている。クリニックは5階建て、倒壊した1号棟から3号棟の建物はどれも10階建ての大規模建造物だったのだ。だがそれらすべてが土砂に飲み込まれ、今や直立した状態を留めているものは何もない。地上部分に顔を出しているのは粉砕された瓦礫ばかりだ。

10年前は、地すべりや土砂崩れがあったんだよな? 団地まるごと全部、飲み込んじまうくらいの。

それをきっかけに炎上・倒壊したって……。

10年前の事故で大間団地を土砂が襲ったのは、偶然や地形のせいではなかった。

そう考えればこの状況の違いを納得できるんじゃありませんか?

あの土砂も魔物だっていうのか?

王牙と同じような……?

そういう魔物の話を、私は聞いたことがあります。

巨兵という名の、魔界の土くれを身にまとった破壊者です。世界の終わりに目覚めてすべてを破壊して埋め尽くし、やがて自らも砂に返る……。

それってお伽話の〈沈黙の砂〉……?
ええ多分。

そして私は、かつて大間にいた、砂を操る妖怪の名を知っています。

……いさご……か?!

 一瞬、英司の喉が震えた。


 そして次の瞬間、目の前が真っ赤に染まっていくのを英司は見た。

 はるか遠いお伽話の都が、続けざまにめくられ続けるスライドのように蘇ってくる。赤い青、赤い緑、赤い黄色の光景。

 果歩を泣かせてたその映像が、まるで自分の体験のように英司の中に流れ込んできたあの時の記憶。それが狂気のように蘇る。

 この悪しき存在を

 ジャングルに巣食う魔の生命を

 奪い尽くせ

 殺し尽くせ

 汝が王国の繁栄の為に

 汝が欲望のままに

 犯し尽くせ

 脂汗が英司の身体からどっと吹き出してくる。

 激しい鼓動が、頭痛のように脳髄を震わせる。

 英司はその痛みに耐えきれず、頭を抱え込んで倒れるように膝をついた。

お伽話が……。
英司君、大丈夫ですか?

しっかりしてください。


衣砂を……知っているんですか?

俺たちにあのお伽話を教えたのは、あの衣砂って緑の目の女だ。

あの虎の絵の前で。

俺がいて、果歩がいて……。そう、篤志さんもいた。

そのときは、ただそれだけだった。

それから何日も経って……。

俺はお伽話のことなんかすっかり忘れていたのに、果歩はずっとまだ怖がってた。

あの女のように虎に食われる時が来るのをずっと……。



だから俺は……話の続きを作って、果歩に聞かせてやったんだ。

 声が激しく震えていた。

 果歩はいつも英司にしがみついてその話を聞いていた。

 その手応えが、あの頃の英司には何より誇らしかった。

(果歩を守ってやれるのは篤志さんじゃなく俺だ。――そう信じていられたから)

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