いかに主は導きたまうか。

☆.1989. 1. 7  昭和の終わりに(1)。

エピソードの総文字数=2,206文字

  パリ1922(G):人間が生まれると、その人と一緒に別々の機械が生まれ、その人が死ぬまで形成をし続ける。略。この三つの機械には共通するものは何もない。この三つの機械は、肉体、本質、人格である。これらはどんな場合でも、我々には依存せずに形成される。それらは生後それぞれ単独に発達し、その人の所有する素材とその人を取り巻く素材すなわち環境、境遇、地理的状況、その他がこれらの発達を決定する。略。


  ボクは昭和の後半(1962)に生まれた。これは終戦から17年が経過したタイミングである。昭和は64年間あった。元年が1926、終戦が1945、そして崩御が1989である。よって、前半に未知なる36年間、概知である後半の27年間(約40%)を生きたことになる。

  80年代、90年代そして、それ以降を知るものとしても、生まれる時を選べるなら、やはり「この時(62)を」と願うだろう。ボクは十代に通称サブカルと呼ばれる、その当時の文化から大きな影響を受けた。*傍流の、捨て置かれた、場合によってはキワモノと見なされたものたちだった。マンガ、映画、小説、音楽、TVラジオなどがその媒体である。一言でいうなれば百花繚乱の様であった。それも次から次へと新しく【オリジナル】なものが現れてきていた。ボクは、それらにとても魅せられた。少し度を超すまでに...。*ボクが惹かれたものの多くは「ポピュリズム(populism)」の獲得をなし得なかったものたちが殆どであった。

  表現者が表に出てくるのは年齢的に意外にはやく、おそらく20歳〜40歳ぐらいの幅をとりたい。ボクのある程度の出来上がりを【15歳】とするならば、彼らの誕生は(1937〜57)年とみれる。参考:団塊の世代(47〜49)、望月三起也(38)西田佐知子(39)片山健(40)山岸凉子(47)笠井潔(48)萩尾望都、山本鈴美香、諸星大二郎 Shelley Long (Cheers )(49)Karen Carpenter(50)川崎ゆきお(51)中島みゆき、浅井雅志、佐藤史生、森田童子(52)朝倉理恵(桜井妙子)、谷 弘児(53)。鴨川つばめ(57)etc[尊称略]
そして、[彼ら/彼女ら]が同じく、[多感]な時期を15歳〜20歳とすれば、その期間は【1952〜77】ではないか..。では、この期間に何があったのか?

日本:高度成長(1952~72)、学生運動(1960〜72)。海外:フランスの五月革命(1966〜68)、ベトナム戦争(1960〜75)、ヒッピームーブメント(1960〜70)。文化大革命(1966〜76)。2ー4次中東戦争(56〜73)*惑星規模でのなんらかの変化があったのではないだろうか...?。*天空の星々の動きは、どうだったのだろうか?

  これらがボクが後日見つけたキーワードです。かれらが世に出て、経済活動に場を移して、そこでの発信に私は影響を受けたことになる。今思いますと粗く、脆く、思いの断片でしかないとも思ってしまうものもあるのですが、独創性(オリジナリティー)としての数が余りに多すぎた。また、その[存在]に強烈に引きよせられた。「なんと真面目で純真なのだろう」と..。核としての情緒(パッション)が過剰なのだ。こちらが泣きたくなる程に。余計な考えなしで、吹き出してくるエネルギーの命ずるがままに、かれらの作品群は、この世に現れい出てきていたとしか思いようがなかった。
補記:これらは、いきなり突然に現れてきた訳がない。先行する長い歴史の流れの中、準備され、唯一この時だけ表に現れ出ることが許された現象であったのだと思う。
また、かれらには手本となる良き成熟した大人達が回りにいたのだと推測する。じゃないと、あのサブキャラ達を描くことは不可能だろう(例:宗方仁)...。

具体的な例を一つだけ..。
『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』1972年出版。作者:斎藤惇夫(1940〜)
作者32歳の時の作品だ。この方が二十歳の時は1960年で、上の【】に入っている。ボクは小学四年の時に読んだ。「それも一気に!」。*脳がキャパオーバーで焼けたわ。*なんて読みにくい文章なの。今でこそ誰もが知るアニメ作品(1975)なのだろうが、はたして本自体を読んだ人が何人いることやら...。あれは新たな神話として読める(◯◯闘争としても)。卑しき存在(どぶネズミ)が、神々の高みにまで駆けのぼる物語。戦いの[技]は殺戮の前に、芸術(歌、踊り)があった。これは魔術合戦ともいえた。ビジョンなくしては描けないお話だと思う。

  まあ懐古的な話をここでするつもりは別にないのです。ボクは彼らの創造物を通して間接的に、なにかの影響を受けたと言いたかっただけ。「あれらはなんだったのか?」。かれらがしたようなラジカルに外の社会に向けての改革、また、かれらが夢見る物理的な変化は、ボクには関心はない。それらは、長き年月を経て「進化への意志を抱け!」というメッセージとしてまとまり自分の中に根を下ろす。自分の[エゴ]との戦いがその具体的な結実である。Gにならい[機械性]との戦いと言っても良い。

        〈続く〉


PS:たぶん、ウィリアム・スミス・クラークさんは言葉を間違えたのだろうネ...。

  



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