【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-18 可愛い寝顔

エピソードの総文字数=3,738文字

午前2時……か。

結構寝てたな。

 目覚めて最初に、篤志は腕時計で時刻を確認していた。

 全身が鉛のように重く感じていたあの疲労感は、きれいさっぱり消えている。まだ残っている眠気を散らそうと頭を振って起きあがろうとした時、篤志は自分のシャツにしがみついて、すぐ横で眠っている果歩に気づいた。
(……こいつには危機感ってモンがないのか?)
…………zzz。
 長い髪がまとわりつくのをまるっきり気にしている様子もなく、果歩はすかすか寝息を立てている。

 子供っぽい寝顔だった。

 それを見下ろして、篤志は気が緩むのと同時に、その寝顔に懐かしい思いが蘇ってくるのを感じていた。

 霧の向こうに霞む10年前の記憶に……同じ寝顔がある。

『ごめんね……あっちゃん。もう、支えきれない……』

 篤志の身体を懸命に支えていたあの痛々しい表情は、今の果歩の寝顔からは感じ取ることはできなかった。

なんで俺を助けようなんて思ったんだ、果歩。

 それが篤志には不思議でならなかった。

 果歩の力では、自分ひとりの身体を支えるだけでも精一杯だったはずだ。

 

10年前とは違う。

おまえはもう俺の本質を分かっているはずだ。それなのに、どうして……。

 こうして果歩の寝顔を見下ろしている今だって、何がきっかけであの脈動がよみがえるか分からない。そして始まってしまえば……もはや篤志には自分でも自分の行動を制御することはできないのだ。

 さっきは葉凪と箭波の邪魔が入って失敗したが、次はまた果歩を殺すかもしれない。

『守ってやるよ、必ず俺が、守ってやる』

 10年前にほかならぬ篤志自身が発した言葉が、苦く蘇る。

 ……その意志は今も色あせてはいない。果歩を抹殺する使命と同様に、重い手応えで篤志を縛っていた。

正気を保っていられる限り、俺はおまえを守る。守ってみせる。

だが……。

 爪が割れ、血のにじんでいる果歩の指をそっとシャツから引き剥がす。それから篤志は、邪魔そうに果歩の顔に覆い被さっている白い髪を振り払ってやった。

 さらりと指のあいだをすり抜ける細い髪の感触に、胸の奥がじわりと熱くなる。

ん……。

 失ったシャツの感触を探すように果歩の指が動いた。

 自分でも意図せずに篤志はその手を取っていた。

 突き動かされるようにその小さな手を握り締め、唇を押し当てた。指先を赤黒く染めている血のあとを舐めとり、汗ばんだ指と指の間にも舌を這わせて行く。果歩の手が、痛みを訴えるように震えて篤志の頬をくすぐった。

(俺はこいつを……誰にも渡したくなかったんだ)

 10年前、犬を拾ったあの夜が苦く蘇ってきた。

 守りたいと思った気持ちにも、殺さずにはいられないと感じた衝動にも、大差はなかったのかもしれない。ただ果歩を……今感じているのと同じ、この滑らかな質感を他の誰にも奪われたくなかっただけだ。

 自分だけのものにしておければ、それでよかった。

 ずっとずっと強く抱きしめてやることで、例え果歩を破壊してしまっても構わないと思ったあの気持ち……。

 ただ力の限り強く抱きしめて、ひとり占めしていたかった。

 その幼い支配欲は今も篤志の中でうごめいている。

……!

 篤志は果歩の手を離し、身体を起こした。

 背後に、誰かが動く気配があった。

あんた、タフだね。朝までは目を覚まさないと思ってたよ。

 背後でそう声が響いた。

 小霧だった。

 どこから見つけてきたのかチョコスナックの箱をもてあそびながら篤志を見下ろしている。

なんだ果歩、寝ちゃったんだな。せっかくお土産持ってきたのにさ。

それとも、あんた食う?

いらねえよ。

 篤志はそう小さく言って、小霧が投げてよこしたチョコスナックの箱を果歩のそばに置いた。

 腹は減っていたが、どうせちっぽけな菓子なんか10箱食い尽くしても物足りない。


他の連中、死んだのか。

 周囲の状況からすれば、全滅していたとしても不思議ではなかった。

 いやむしろ、篤志と果歩が助かったことが奇跡というべき事態だろう。小霧に借りを作ったのは篤志にとってありがたい事態とは言い難いが、他に助かる手立てが無かったことも事実だ。

 素直に〈一生恩に着る〉しかなさそうだった。無事にここを出られたらおまけ付きチョコスナックを100箱くらい買ってやってもいい。

みんな生きてるよ。

箭波と英司は地上にいる。葉凪も結構なダメージ負ってるみたいだけど、生きてはいるみたいだよ。

悪運強いよな、揃いも揃ってさ。

――威月……ってか茂? も、朝には戻ってくるんじゃないか?

そうか……。

 篤志は立ちあがって周囲を見まわした。

 何でもいいから、武器になりそうなものを手に入れたかった。

果歩、あんたを殺すことはできないってさ。

 果歩のすぐ横に座りこみ、小霧は小さく言った。

 その話を、聞いているのかいないのか、篤志は瓦礫の山をひっくり返し続けている。

聞いてんのかよ、篤志。
ああ、聞こえてる。

でかい声出すな。果歩が起きるだろうが。

 面倒くさそうに答えると、篤志はコンクリートから突き出している鉄筋を掴んで引っ張り出した。

 少し曲がっていたが、上手い具合に1.5メートルくらいの長さで千切れている。振りまわすには少し長かったし、鉄パイプに比べると手応えも頼りないものだったが、それでも丸腰でいるよりはマシだろう。

おまえが果歩に言ったのか。俺を殺せって。
 篤志は鉄筋を構えて素振りを始めていた。

 最初は野球のバッティングスタイルだったが、2,3度繰り返してさすがに長すぎて馴染まないと判断したのだろう。刀のように構えたり、槍のように突いてみたりとあれこれ試していた。

 篤志があっという間に特性を掴んで効果的な攻撃方法を見出していることを、小霧は脅威と思わざるを得なかった。手にしたものを瞬時に〈武器〉として活用する――それは篤志の成長に妖怪が関与したからこそ得られた能力なのだろう。

やだなあ、殺せなんて言うわけないじゃん。

俺はただ、〈そうすりゃケリがつく〉って教えてあげただけで……。

……俺を殺したって果歩が王牙の核であることにかわりはない。

ケリがつくとは言えねえだろ。

 ようやく満足がいったらしい。

 篤志は素振りをやめ、鉄筋を肩に担いで戻ってきた。

果歩もそう言ってたよ。ケリをつけるためならドクターを殺るってさ。

――俺には理解不能だけどね。せっかくあんなスゴい魔物を操れるようになったのに。

……。
な、篤志だってそう思うだろ?
妖怪の価値観で人間に同意求めんなよ。
 小霧が果歩に嫉妬していることが、篤志はおかしかった。

 王牙の力を手に入れたのが自分だったら、逃げたりはしない。その力を使ってカッコよく戦ってみせる。小霧が言いたいのはそういうことだ。果歩よりも王牙の力を引き出すことができるはずだという自負もあるのかもしれない。

 そういう感覚は、篤志にだって理解できないでもない。これが純粋に〈ゲーム〉なら――の話だが。

少なくとも果歩はおまえとは違う。

こいつは虎がこわいんだよ。ガキのころからずっと、お伽話の虎をこわがってた。

だから……。

あんたのことだってこわがってるよ。

王牙と同じくらいにね。

それも、知ってる。

 その時に、篤志には答えを見つけだしていた。

 果歩がなぜあの時篤志を助けようとしたのか……その理由を。

『ひとりで行くのは、怖い』

 あの時聞いたか細い声が耳の奥で蘇ってくる。

 果歩は苦痛に抗うように抵抗してはいたが、首を絞められて死に直面したときでさえ反撃しようとはしなかった。それは意のままに王牙を操ることができなかったからではないのかもしれない。

(そんなにこわかったのか、果歩)
(――おまえを殺そうとしている俺にさえ、すがりつかずにはいられないほど)

 あのお伽話に出てくる女も、同じだったのかもしれない。

 篤志にはそう思えた。

 自分を捨てた王子を、世界を焼き尽くしてもなお足りないほど憎みながら……。あの女も本当はすがりつく腕を求めていたのかもしれない。

 炎の虎に姿を変えてなお、王子の愛情を取り戻しさえすれば救われると、ずっと信じ続けていたのかも……。

■■■■■■■■■■■■■■■
あれ、英司……?

 不意に動きをとめた英司に、箭波はそう小さく呼びかけた。

 だが、返事はない。

 さっきまで箭波を抱きしめていた腕も、次第次第に力を失って行くのが分かる。

少しだけ……休ませて、くれよ。

 耳元でそう、眠そうな声が聞こえる。

……は?

 箭波は眉を寄せ、顔を上げた。

zzz……。
 すぐ間近に、英司の寝顔があった。

 よほど疲れていたのだろう。箭波が身体を動かしても、まるっきり気づいた様子もなく熟睡している。

3秒で熟睡なんて……反則じゃないの、英司。
 案外子供っぽく見える可愛い寝顔をぴんっと指で弾き、箭波は英司の腕の間からすり抜けた。
ま、いいわ。

この場は貸しってことにしといてあげる。

あとで倍返し、期待してるから。

 もう聞こえていないとは分かっていたけれど、英司にそう言い残すと箭波はノートパソコンを掴んで立ちあがった。
さぁて……と。

……そう言えばもうひとり、手間のかかるのがいたっけね。

 心底面倒くさそうにため息を漏らし、箭波はクリニックビルのほうへ歩き始めた。

 葉凪は、まだビルの中にいるはずだ。

◆作者をワンクリックで応援!

2人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ