勇者の出立

高く澄んだ空の下で

エピソードの総文字数=2,048文字

 初めは「半月」という約束だったはずなのに、気がつけば一か月をとっくに過ぎてしまっていた。


 ロビンも「出て行け」とは言わなかったし、おれも「もう荷車を壊した分は働いただろ?」とは言わずにいた。

 よくよく考えてみると、おれには別にこれと言って行くあてはないのだ。

 野良仕事にも体が慣れてきたし、ツェーナさんの手料理は美味い。急いで出て行く必要もない。


 ある日の早朝。ロビンとおれはファセット麦の畑に出ていた。

 冷たく冴えた朝風が、一面に広がる緑の上を渡っていった。

お金がなくてね。十分に肥料をやれなかったのよ。その結果がこれなの。

……正直よね、自然は。何でもてきめんに結果が出ちゃう。

 おれは農業にかけちゃ素人だ。ファセット麦と他の麦の区別もつかない。ロビンが「これはファセット麦だ」と言うから、ああそうなのか、と思うだけだ。


 けれども素人目で見ても明らかだ。

 畑の麦は――茎にも葉にも勢いがない。色あせ、しおれ、ところどころ変色しかかってる。生育が良くないのだ。

この調子だと、今年も収穫は良くなさそう。

麦があまり穫れないと、入ってくるお金が少なくて、来年も肥料が買えない。悪循環なのよ。それがずーっと続くの。


悔しいなー。がんばってるつもりなのに、何もかも裏目に出ちゃうんだよね。

……鬼のロビンが弱音を吐くなんて珍しいな。腹具合でも悪いのか。何か変なものでも拾い食いしたか?
そ・ん・な・ことするわけないでしょぉっ!? メイスのバカー!!
 いつもの調子に戻って叫んでから、ロビンは睫毛を伏せて、「ごめんね。愚痴なんか聞かせちゃって」と小声でつぶやいた。


 おれは身をかがめ、心を研ぎ澄まして、そっと地面に触れてみた。


 万物はの四要素から成り立っており、それに働きかけて配列を変えるのが魔法というものだ。いわば自然の力を操るわざと言ってもいい。


 ――この土の力は弱まっている……。

あんたって、どうして魔法を使えるようになったの? やっぱり修行とか?
 背後からロビンの質問が響いた。おれは、閉じていた目を開き、振り返った。
血筋さ。おれのお袋は、レーツェル神殿の巫女だったんだ。
え!? でも巫女って……!

 結婚を許されないんじゃなかったの、という質問の後半部分を、賢明にもロビンは飲み込んだ。何か事情があると察してくれたらしい。


 レーツェル神殿は、神にもっとも近いと言われる、謎に包まれた聖域だ。そこに仕える巫女たちは一生神に純潔を捧げるという誓いと引き換えに、強大な魔力を授けられる。


 ロビンは質問を変えた。

それで、今お母さんは……?
死んだよ。おれを生んですぐに。
そう……。あたしんちも、お父さんがいないんだ。五年前、労役中の事故で亡くなったの。

お父さんが生きててくれたら、こんなに貧乏しないで済むのに……。なんて、お母さんには絶対に言えないけどねっ。お母さんは一生懸命働いてあたし逹を育ててくれてるんだもの。

 おれは低い姿勢のまま、天を仰いだ。頭上の空ははるかに高く、まばゆい光に満ちていた。
優しくて、子供想いの、いいお母さんだ。そうだろう?
そうよ。その通りよ。最高のお母さんよ。あたし、幸せだわ。


…………メイスのお父さんもきっと、いいお父さんなんだよね? お母さんが亡くなった後、メイスをここまで大きく育ててくれたんだもの。そうでしょ?

 ……答えに困るような事を訊くんじゃねーよ

 おれは物心ついた頃からずっと、親父と一緒に放浪の旅をしていた。

 平気で盗んだり人をだましたり嘘をついたりする親父の背中を見て育ったから、それが当たり前だと信じていた。「盗みや嘘は、本当はやっちゃいけないことなんだ」と気づいたのは、ずいぶん大きくなってからのことだ。



 魔王の脅威から世界を救うため立ち上がった勇者カーマインと、勇者を助けるためレーツェル神殿から派遣された最強の巫女は、力を合わせて魔王デアルゴを倒した後、恋に落ちた。

 その「勇者カーマイン」がどうしてこんな、どうしようもないぐうたらの悪党になり果てたのか。魔王戦が終わってからの空白の数年間に何があったのか。その経緯を、おれは親父から聞かされたことはない。


 ただ、あちこちで耳にした情報をつなぎ合わせると。

 どうやらおれのお袋は、純潔の誓いを破ったために、レーツェル神殿から――あるいは「神」そのものから制裁を受けたらしい。若くして命を絶たれたのだ。


 世界を救ったお袋に、神はささやかな幸せさえも許さなかった。



 親父が口癖のように「人助けなんて割に合わない」と繰り返す気持ちも、わからなくはない。



 ――空の青さが目にしみる



生命の萌芽を育みし大いなる揺籃よ。我が招きに従い賦活し黒化せよ。その豊穣なる滋養の奔波によって。


滾れ、生彩隆盛(レーベン・ブリンゲン)!

 おれは地面に指先を触れ、の要素を活性化させる呪文を唱えた。


 ふだんは周囲の樹木や何やらを急成長させて敵を押しつぶすのに使っている呪文だが。農業に応用できなくはないだろう。たぶん。

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