【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

4-04 パートナーシップ

エピソードの総文字数=3,425文字

百合さんっ! 百合さん?!

 すでに通話は途切れていたが、茂はそう声を上げた。

 百合からの返事など期待できるわけもなく、聞こえるのは無表情な発信音だけだ。もう一度通話を試みた。……が、じれったい呼び出し音が相手側の電話の通話状態についての事務的な説明に切り替わったのを聞いて、茂もまたスマホのスイッチを切った。

………………。

 その茂のすぐ脇で、ソーセージパンを齧っていた英司が顔を上げる。

 状況は不明ながら茂の表情を見れば、この団地の外でも結構な事態になっているのだということだけはありありとうかがえる。

百合さん、どうかしたの。
 果歩のスマホを睨んだまま黙り込んでいる茂に、英司はおずおずと声をかけた。

 女絡みの事態だと考えれば慎重にならざるを得ない。

昨日からちょっと様子が変だったんです。

山岸ってあの記者のところに行くとか言い出したり……。

(う……なんかやっぱ不穏そうな気配……)

 茂の声は決して大きくはなかったし激しい口調でもなかったが、珍しく感情が露わになっているように感じられるものだった。

(これまでフクスケさんから大間の外の状況を話すことってなかった。そう考えると、事態は俺が思っている以上に深刻なのか? でも、外のこと……ってか、百合さんのこと俺や篤志さんに話したくないだけって可能性もあるし……。どうすりゃいいのよ、こういうとき)

 百合と〈福島茂〉がどういう関係だったのかは英司には分からないことだが、これまでの様子では果歩を通じて間接的に知り合った間柄で、今回の騒動までは特に親しいつきあいはなかったように思える。

 だが今は、その顔見知りの他人の距離感は感じられなかった。

(百合さんがフクスケさんじゃなく威月の方と親しい関係だった――ってのが、多分一番しっくり来るんだろうなぁ)
 英司にはその推測がせいぜいだったが、それでも〈当たらずと雖も遠からず〉くらいの手応えはあった。
百合さん、山岸さんのトコに行ってから、様子がおかしくなったっての?
別にそういうことじゃありませんよ。

私も帰りを待っていたわけじゃないし……。

もしかして、その……疑ってる?

山岸さんのこと……。

………………。
 茂からの返答はない。

 だが……。

(疑ってるよな、あの顔は……。思いっきり。っつーか、疑うよな、フツー。無理もないっていうか)
 紹介した当の本人である自分が言うのもなんだが、山岸はいかにも軽薄で女にだらしなさそうな男だ。

 茂は電話で会話しただけだというが、それだけの接点があれば山岸の胡散臭さを感じ取るには十分すぎるくらいだ。

(俺だったら絶対、自分の女をひとりであんな奴んとこになんか行かせないもんな。正直、俺が女と一緒にいるとき山岸さんとすれ違うだけでも、どキッパリだ)

 ……というのが実感である。

 百合は飛びぬけて美人ってことはなかったと思うのだが、年齢に似合わずふわふわしてどうにも頼りなさそうなあの風体や、他人の悪意に鈍感といわんばかりの世間知らずそうな雰囲気からして、いかにも悪い男につけこまれそうなタイプだった。

 茂が不安になるのも無理はない。

 威月と百合の関係が英司の想像通りなら――尚更だ。

心配なら、行ってやれば。
 今まで(少なくとも英司の前では)穏やかな〈フクちゃんの笑顔〉を保っていた茂の表情が険しく歪んでいるのを見つめて、英司は再び用心しつつおずおずとそう声をかけてみた。
そうしたいのは山々ですがね……。

 茂は苦々しく言って買いこんで来た食料品を詰め込んだ袋を見下ろした。

 篤志と果歩の救出を英司ひとりに押し付けるのはあまりにも無理がある。

(ふたりは確かに生存している……が、いつまでも放置しておけるわけじゃない)
 その思いを表情に出しているつもりはまったくなかったのだが、英司はピンと来たらしい。

 自分が頼りない存在だと断定されていることに、腹を立てているようでもあった。

あのさあ、フクスケさん。

俺、あんたが帰って来るかどうかとは無関係に果歩と篤志さんを助けに行くつもりでいたし、今もそのつもりなんだぜ?

そりゃさ、あんたより役に立つなんて言えないけど。その飯担いで地下に下りてく程度のことなら……。

気安く言いますね。

英司くん、地下がどういう状態かも分かってないんでしょう。

そんなの、篤志さん流に言えや、『どうでもいいこと』じゃないの。
え……。
地下がどうなっていようが、俺には関係ないよ。

果歩と篤志さんが今も生きてて、あいつらだけじゃ這い上がってくることができないし、下には飯もないってだけで十分だろ。

それに百合さんは――ひとりっきりで、あんた以外に頼るやつはいないだろう? 百合さんも俺たちと同じようにあのお伽話を知ってて、大間の中にいようが外にいようが危険は同じようにある。

そうじゃないのか?

 意外なほど、英司の言葉に熱がこもっている事に茂は戸惑いを隠せなかった。

 それが上っ面の台詞などではないのだということも分かる。

 どんな状況でも篤志になら果歩を任せられる――という信頼感は、福島茂の記憶から滲み出した手応えが背景にあって初めて成立していたものだった。出会って間もない英司にも同じ信頼感が抱けるとは、正直思ってもみなかった。

 そして英司の言う通り、ドクターのテリトリーはこの大間に限定されたものではない。

――分かりました。

お言葉に甘えて、百合さんの様子を確かめてきます。

出来る限り早く戻りますから、くれぐれも無茶はしないでください。食糧がなくても人間はそう簡単に死にやしませんが、足を滑らせて5フロア分落下すれば確実に死にますからね。

 イヤな念押しをして、茂はその場から姿を消した。
(もうちょっと心温まる励ましの言葉ってモンがあるでしょ……)
 英司はたった今まで茂が立っていた場所をじっと見つめ、それからつかんでいたソーセージパンの残りを口へ押し込んだ。
カッコイイこと言っちゃって~。

どうするアテもないくせに。

 背中にそう、揶揄するような言葉を浴びせられて英司は振り返った。

 箭波だった。

大丈夫、俺には強い味方がいるからさ。
へえ、そりゃ初耳だわ。
意地の悪い言い方すんなよ。

……あんたのことに決まってんだろ。

分かってるわよっ。
(こんな場面で、よりにもよって英司みたいな頼りない人間に肩入れするなんて……あたしそういうキャラじゃないけどね)

 雷燕が英司の結界を貫いた瞬間に見た映像が、忘れられないから――なのかもしれない。


 箭波の燕はこのゲームを自らに有利な方向に導くために葉凪が張った結界だけでなく、それ以前から英司を包み込んでいた結界をも崩壊させた。その結果、封じられていた記憶のすべてが、溢れ返る映像の波となって英司を襲ったのだ。


 その一番奥に、果歩がいた。

 大間団地を崩壊させたあの事故の夜。

 長い白い髪が、強い風で押さえきれずに舞い上がっている。果歩は英司を見つめていた。いつものように英司が抱きしめてくれるのを待っているように、虎に怯えるすがるような目で……じっと英司を見つめていた。

 だが、英司は立ちすくんだまま身動きが取れなかった。

 顔だけはいつもの果歩のものなのに、その周囲にうごめくまがまがしい気配はまるっきり〈別の世界の人たち〉のものだった。人並みはずれて感じやすい子供だった英司の神経に、その変化は耐えがたいものだったに違いない。

 そのとき英司が、手のひらにすくい上げた小石の感触を、箭波はまるで自分の手のひらに食い込む痛みのように共有していた。

(一体どのくらいの時間、あんた迷ってたのよ……英司)

 汗ばんだ手のひらの感触が、泣きたくなるほど切なかった。

 野球をするときにはいつも狙えば狙うほど目標からボールが遠ざかっていくのに、妖怪を狙う小石は一度だってはずしたことがない。そんなこと、知っていた。その石を投げたときに何が起きるのかだって……本当は知っていたのかもしれない。

 何もかも分かった上で、あの瞬間、英司は果歩を殺したいと願ったのだろうか。

 それとも果歩が炎の虎に変わるのを見たかったのだろうか。

(答えは簡単な二者択一じゃなかった。そうなんでしょ?)

 雷燕が果歩の胸を貫いたとき、箭波はその意外なまでのあっけない手ごたえに驚いたのだが、その答えもまた英司の記憶の光景の中にあった。

 燕が貫いたのは、10年前に英司の放った小石が炎をまとって撃ちぬいたのと、1ミリと違わない場所だったから……。

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