いかに主は導きたまうか。

☆. Contemplation マハラジによる解説。

エピソードの総文字数=2,214文字

質問者:
すべての霊的教師たちが瞑想をするように勧めます。
瞑想の目的とは何なのでしょうか?

マハラジ:
『私たちは感覚や行為と言った外側の世界は知っているが、思考や感情といった内なる世界のことは、ほとんど知らない。瞑想の初歩的な目的は、私たちの内なる生をより身近に自覚することだ。そして究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことにある。』

『付随的にだが、瞑想の修行は私たちの人格に深く影響を及ぼす。私たちは私たちが知らないものの奴隷だ。知るものに対しては私たちが主人だ。何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知るということ自体がそれを克服するのだ。無意識は意識層に持ち込まれることによって溶解する。無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。マインドは、それを適切だと感じ、そして静かになるのだ。』

質問者:
静かなマインドが何の役に立つのでしょうか?

マハラジ:
『マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であることを知る。私たちは経験と経験者のどちかららも身を引き、その間であり、またその二つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。自分自身を「私はあれやこれやだ」と想像し、自己同一化をもととして人格は続いていく。しかし、ただ客観的世界の一部としてだけだ。観照者としての自己同一化は終焉する。』 (I am that ; Chap.6, P.35)


出典元:
アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話
単行本: 577ページ
出版社: ナチュラルスピリット (2005/6/1)


補記:

グルジェフの教えを埋めるものとしてボクは読んでいます。
出会いは、そのタイミングも含めてギフトでした。
皆様へは、ご紹介のつもりです。

よろしくお願いします。

gatehiro

追記:
僭越なる思いなのだが、最後の『...しかし、ただ客観的世界の一部としてだけだ。観照者としての自己同一化は終焉する』は、訳が間違っているのではないかと思う。もしくは、言葉が抜けている...?。原書は、いつか手に入れなければならないだろう。基本、素晴らしい訳だとは思う。

Life is real only then, when "I AM".

Miharu Koshi - 《ラブ・ステップ》を聴きながら...。


18.03.03 に追加:

マハラジ:
『瞑想の目的はタマスとラジャスを完全に除去することだ。純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ』。

『サットヴァは常に強く純粋だ。それは太陽のようなものだ。雲やほこり見え隠れすることはあっても、それはただ見る者の視点によるのだ。太陽にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい』。

質問者:
「サットヴァはなんの役に立つのでしょうか?」。

マハラジ:
『真理・善・美・調和、これらがいったい何の役に立つというのか?。それらがそれら自身の目的なのだ。ものごとがそのまま干渉されず、ただあるがままに完全な気づきの中で経験されるとき、それらは自然に努力することなく現れる。そのような気づきそのものがサットヴァなのだ。それは、人や物を利用するのではなく、それらを満たすのだ』。

質問者:
「サットヴァを高めることができないのなら、タマスとラジャスのみに対処するのでしょうか?それらをどう扱えばいいのでしょうか?」

マハラジ:
『あなたの中で、それらがどう影響を与えているかを見守ることによってだ。それらがどう作用するか気づいていなさい。あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減って行き、サットヴァの澄んだ光が輝きだすだろう。それは困難でも長い過程でもない。真剣さ、それが唯一の成功への条件だ』。


補記2:

サットヴァ・・・純潔、バランス、調和、ハーモニー、知識、賢さ
ラジャス・・・ 動き、活動、劇質、エゴイズム、自分中心的
タマス・・・・・ 不活性、どんどん自分を下のほうに引っ張る、暗黒、無知

=============================

Gは、また独自の解釈を、(同じ教義を消化した上で)、行なっている。
あのトリアマジカムノ、三の法則がそれだ。

3つの力の教えはあらゆる古代の体系の根本である。第1の力は能動的あるいは積極的と呼ばれ、第2の力は受動的または消極的、第3の力は中和的と呼ばれている。しかしこれらは単なる名称にすぎない。というのは、実は3つの力はすべて同様に能動的で、それらが交流するときにのみ、つまりある瞬間における互いの関係においてのみ、能動的、受動的、中和的として現われるからだ。最初の2つの力は多かれ少なかれ人間に理解できるものであり、第3の力も時によっては、これらの力を適用する時点で、あるいは<媒介物>の中か<結果>の中に発見されるかもしれない。しかし一般的に言えば、第3の力は直接的な観察や理解によって簡単に知られうるものではない。つまりこれらの限界から帰結される我々の学問と時間の感覚の中にある。人々は空間的に<第4次元>を知覚できないのと同様に、第3の力を直接に知覚、観察することはできないのだ。Fragments P.131

◆作者をワンクリックで応援!

0人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ