【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

3-11 バニーちゃんTシャツ

エピソードの総文字数=3,059文字

 呼び鈴が鳴ったのは、午後7時過ぎだった。

 訪ねてきたのは由宇だ。まだ制服姿のまま、息を切らしている。

どうしたの、由宇ちゃん、こんなに遅く……。
あ、あの……。

お兄ちゃん、まだいますか?

 駅からずっと走ってきたのだろう。

 その勢いの収まらないままにそう言って、由宇はふと視線を床に落とす。男物の靴が揃えておかれているのを見て、はぁぁぁぁぁ~っと長いため息をついた。

茂くんならいるけど……。
お邪魔しちゃった……とか?
な、な、な、何言ってんの。


(こほん)ええと……由宇ちゃん、とにかく上がってちょうだい。

ねえ、ご飯まだなら一緒に食べて行かない? 美津子さんには私から電話するわ。

らっきー☆

実はね、ちょっと期待してきちゃった。果歩が『百合ちゃんの料理はおいしいよ』って、いつも自慢してたから。

それにお腹ぺこぺこ。

学校の帰りに新宿まで行ったから、今日はおやつも食べてないの。

も~、帰りの電車なんかオジサンがぎゅうぎゅう詰めで……あたしOLになれないかも~。

 忙しくしゃべりながら由宇は靴を脱ぎ、学生鞄とバニーちゃんショップの巨大な紙袋をばさばさと放り出しながらリビングに入ってきた。
由宇、電話中だよ。

もうちょっと静かに……。

 百合の寝室からスマホを耳に当てたまま顔を覗かせて、茂が声をかけた。
あ、ごめん。
――ああ、すいません。ちょっと来客があったもので。

福島って言います。お忙しいときに突然電話してすみません。山岸さんですよね? 実は山野英司くんからあなたのことを紹介されて……。

 茂はまた電話の向こうの相手と話し始めていた。
ねえ、誰なの?
 由宇はキッチンに戻って鍋の様子を覗き込んでいる百合にそう声をかけた。今夜はカレーらしい。室内にはいい匂いが漂ってきている。
え? ああ、茂くんの電話?


山岸さんっていう、雑誌の記者の人よ。果歩と一緒に大間にいる英司くんのお友達なんですって。

大間の事故のことをいろいろ調べているらしくて……。


すぐ用意できるからその辺に座って待ってて?

ふーん。


大間の事故って……大変だったんだってね。

あ、これ美味し☆。

 ダイニングの椅子に座り、由宇はぽつんと言った。

 すでにテーブルの上に用意されているらっきょうを一粒つまみ、口に放りこむ。

ほら、うちもマンションでしょ? うちのママね、事故のときにニュース見て、すごく怖くなたって言ってた。

あの頃っては私もまだ小さかったし、パパはもう海外に単身赴任してたし……。ママひとりで私とお兄ちゃんを連れて、あと何持って逃げられるか真剣に考えてたって。

うちの押し入れね、まだその時の緊急避難袋が入ってるの。非常食料は毎年入れ替えてるし。通帳とか連絡先のリストだけじゃなく、私とお兄ちゃんの母子手帳とかへその緒まで入ってるなんて信じられる?

そういうの、大事よ。

あの事故で果歩のは全部なくなっちゃったもの。

――ねえ、百合さんは、突然お兄ちゃんが妖怪になったなんて信じられる?
え?

 それまで甲高い早口でしゃべっていた由宇が突然声を潜めたので、百合は心臓をわしづかみにされたような心地だった。

そ……そうね。私も驚いたわ。

 ……とだけ答えるのがやっとだった。

 実はその妖怪のほうと深い仲でしたなんて話を由宇相手にできるわけはない。相手は果歩の同級生(まだ13歳)で、しかも福島茂の妹。立場があまりにも微妙だ。

私、今まで幽霊も見たことなかったのに、いきなり逆転満塁ホームランって感じ……。

 そう言って由宇はもう一粒、らっきょうを口に運んだ。

 事態の深刻さをどこまで理解しているのか不明だが、皿のらっきょうはいつのまにか半分近くにまで減っている。

あ……由宇ちゃん、先に食べる?
 さすがにこのままだとらっきょうは食事前に全滅だ。そう思って百合が声をかけたとき、電話を終えて、茂がダイニングに入ってきた。
お待たせしました、百合さん。

山岸さん……会ってくれるそうです。


……って、由宇、よそのお宅でその散らかし具合はまずくないか。

 リビングの惨状を見下ろして、茂は眉を寄せた。

 鞄や脱ぎ捨てた上着、バニーちゃんショップの紙袋(複数)が、玄関から点々と続いて由宇の行動の軌跡を描いている。

あ、そうだ。

忘れないうちに渡しとかなくっちゃ!

 茂の顔を見た途端、由宇はほとんど転げ落ちるような勢いで立ちあがった。放り出してあったバニーちゃんの紙袋に駆け寄る。

 そのまま床に座り込むと、由宇は紙袋からバニーちゃんグッズの数々を引っ張り出して並べ始めた。リビングはさらに混乱状態に陥っているのだが、本人はまったく気づいていないらしい。

…………………………。
ず……ずいぶん買い込んできたわね……。

 さすがの百合も絶句した。

 タオル、エプロン、カップにノートにシールにペンケース、ランチョンマットに土鍋にパソコンのマウスまである。そして紙袋の一番下から、由宇のお目当ての品が燦然と姿をあらわした。

 ブルー、イエロー、ピンクと3色そろったバニーちゃんTシャツである。

これよっ!
 由宇は鷲づかみにしたピンクのTシャツを茂の前に突き出した。
……え?
 まだ事態を飲み込みきれず、茂はTシャツにでかでかと描かれたバニーちゃんと見つめ合ってしまった。
これね、果歩に渡して欲しいの。

約束のTシャツって言えば分かってくれるから!

約束って……。

由宇ちゃん、これ買うためにわざわざ新宿まで行ってたの?

うん。だって……。
 由宇の言葉がいきなり勢いを失い、小さく震えた。

 由宇が今にも泣き出しそうな表情になっていることに百合は気づいた。

 元気におしゃべりしているように見えて……昨日の夜新宿から連れかえった時から、ショックはあまり和らいでいないのだろう。

だって、果歩と約束したんだもん。
ありがとう、由宇ちゃん。

きっと果歩……喜ぶわ。

果歩ね、ホントはイエローにするって言ってたの。ピンクは私のほうが似合うとか言って……。

でも……でもね、そんなの絶対ヤセ我慢と思うの。果歩、本当はピンクが好きなくせに、いっつも私に遠慮して我慢してたから……。

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正直……私にはよく分かりませんでしたが、由宇も気持ちが不安定になっているということでしょうか。
 由宇が帰ったあと、茂はため息混じりにそう漏らした。

 泣くだけ泣いてしっかりカレーを食べ、らっきょうの最後の一粒をかっさらっていった由宇を〈親友の安否を気遣う健気な少女〉と素直に見るのは至難の技だったし、バニーちゃんTシャツの色をめぐるやりとりも完全に意味不明だったが、それでも由宇がショックを受けているのであろうことだけは理解していた。

(果歩ちゃん、ホントにこんなの着たがるのか……?)
 ついでに言うのなら、その疑問はまだ拭い切れない。

 3色Tシャツの中でもピンクは由宇好みの乙女チックキラキラバージョンで、果歩の雰囲気からはかけ離れているようにも思えた。

由宇ちゃん、茂くんや私に心配かけまいと気を張っていたんだと思うわ。

不安になって当然よね、こんな状況……。

 その気持ちが、百合には少しわかるような気がした。

 当事者でない由宇や百合には、とりあえず差し迫った危険はない。でも……いや、だからこそ、不安が押し寄せてくる。何でもいい。何か自分にできることがないかと気持ちが焦るのだ。

 真実を知るために。

 そして何より、果歩たちを助けるために。


 茂の皿にお代わりのカレーを盛りつけながら、百合は気持ちを固めていた。

ねえ、茂くん。

山岸さんのところへは……私に行かせてくれない?

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