【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

4-11 鳥かごの家

エピソードの総文字数=3,650文字

ここだよ。ホラ、その玄関先に植木鉢置いてる家。

 山岸は住宅街の路上に車を止め、助手席の百合に1軒の家を示した。

 生垣の途切れ目に錆びの浮いた門柱が立っているが、門は取り外され、植木鉢やプランターで飾られている。その門柱に、花で飾られた周囲とそぐわない厳めしい文字の『佐原』という表札があった。

ボロいね。

だいたい築20年……ってトコかな。外から見る限りだと2LDKくらいの間取りだろう。

もしあんたの言う通りなら、10年前に中古で手に入れて住んでるってことになる。この辺りの相場を考えると。10年前にはこんなシケた家でもかなりの値段だったはずだ。

改築したのも同じ時期じゃないかな。2階のあの壁の継ぎ目、分かる?

 山岸に示されるまま、百合は2階に目を向けた。

 道路に面して小さなベランダがあった。ベランダとは名ばかりの……洗濯物を干すだけの場所になってしまっているのが一目で分かる。

 色合いも柄もちぐはぐな2枚のシーツが干されていて、風に揺れていた。

あの洗濯物の感じだと、息子が家を出てって夫婦2人の生活って感じだな。

 山岸はシーツに半ば隠されるようにして、角ハンガーに干されている洗濯物を眺めてそうひとりごちたが、その言葉は百合の耳を上滑りしていった。

 百合の目はベランダの床に無造作に積み上げられて放置されているガラクタに吸い寄せられている。使い古したプラスチックのコンテナ。パイプを組み合わせた安っぽい椅子、ごみ箱として使われているペール。使い道があるんだかないんだか分からない家庭内の雑多な用具が乱雑に積み上げられている上に、歪んでひしゃげた鳥かごが2つ、投げ捨てられたように置かれている。

……!

 その鳥かごを見た瞬間、百合は胸を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。

 鼻の奥に子供の頃いつも嗅いでいたあの不快な空気が蘇り、目の前に鮮やかな色彩が舞う光景が確かに見えた。

どうした?

 言葉を失っている百合を振り返って、山岸がそう声をかけた。

私……。
お……おい。

あんた、具合悪いんじゃないの? 顔……真っ青だぜ。

やっぱり、そうだったんだわ。

 そう言って、百合はバッグを開けた。

 中に詰まっているものをかき分けるようにして手帳を取り出す。そこに1枚の写真がはさんであった。10年前に撮影された果歩と姉夫婦の写真だった。大間団地の事故後に義兄の母親のところに届けられた写真から焼き増ししてもらったものだ。


え……ええと?

 百合の言葉の意味がわからず、山岸はその写真を覗きこんだ。

 そのと、洗濯物のかごを抱えてベランダにひとりの女が出てきた。物音に反応して山岸振り返り、ベランダの女と写真に写る女とのあいだで視線が行き来した。

 ベランダの女の年齢は40歳くらいに見えた。無造作に髪をまとめて化粧っ気のない……どこにでもいるつまらない主婦、と山岸には見える。

 だがそれは確かに写真に写っている女と、同一人物だった。

これ……私の、姉なんです。そして、こっちは義兄。

この子、あなたが撮った英司くんの写真に写ってたでしょ? 大間団地の事故のときの写真で救急隊員に抱っこされてた子です。

分かります、山岸さん?

ここに住んでいるのは篤志くんのご両親じゃないし、佐原なんて名前の家族でもないんです。

 写真の人物をひとりずつ指差しながら、息もつかない勢いで百合が言った。

 そして言い終えるなり、バッグも写真も放り出すようにして車を降りる。

お、おい、ちょっと待てって。

 慌てて山岸もあとを追った。

 だが、百合はその声に振り返りもせず、玄関先へ駆け込んでいった。

はーい。

 呼び鈴に応えて女の声が返ってきた。

 さっきの、洗濯物を抱えていた女だろう。足早に階段を駆け下りてくる足音が聞こえ、ドアが開く。

お姉ちゃん!
あの……どちら様?

 ふたりの女の声が、だぶるように発せられた。

お姉ちゃん……覚えてないの?

私が分からない?

 女に詰め寄って、無意識のうちに百合の声のトーンが上がった。
やめろって。
 その百合と女の間に山岸が割って入った。たじろいだように家の中へあとずさった女に閉められてしまわないよう玄関のドアを掴み、身体を家の中へと割り込ませる。
2018/01/03 09:01
悪いね、奥さん。ちょーっと聞きたいことがあるんだけど……。

 相手を警戒させないように、と発した声だったが、もしかするとかえって警戒させていたかもしれない。

 しかもその山岸を押しのけるようにして百合もまた家の中へ飛び込む。

 玄関先の下駄箱の上に鳥かごが置かれていた。その臭いがむっと押し寄せてきて、百合は足元をふらつかせた。激しいめまいで視界がチラチラと明滅する。

お姉ちゃんは大間の事故で死んだと思ってた。

なのに……どうして……?

 鳥かごの中にいる2羽のカナリアがその騒動に煽られたようにばたばたと飛び回り、甲高い鳴き声を張り上げる。
おお……ま……?
 百合に詰め寄られた女は、まるでネジの切れた仕掛け人形のようにぎくしゃくと声を発した。その表情は何も理解していないし、何も感じていないかのように見えた。
無駄だよ、百合。

 そう叱咤するような声が家の奥から響いた。

――その女は何も覚えていないし、もはや君の姉でもない。

君は見たはずだろう?

その女が、果歩の発した炎に飲まれて焼かれるのを。

 それは冷たい声だった。

 弾かれるように玄関から伸びる廊下の奥に目をやった百合と山岸は、この家の主であり、かつては谷口と呼ばれていた男の姿を見た。

篤志を育てるためには、女が必要だったし、その女はとても便利だった。果歩を育てるために君が必要だったようにね。

だからずっと存在を許し続けていたんだ。

それだけのことだ。

こうして消えていくのは、〈死〉とはまったく別の結末なんだよ。分かるかい? 

 息を飲む百合の前で、男はそう言ってふわりと腕を上げた。

 その瞬間、目の前に立っていたはずの姉の姿が掻き消えた。そして風に煽られるように無数の鮮やかな鳥の羽が舞い上がり、床に散らばった。

 それはこの男にとって何の意味もなく、何の感情を呼び起こすこともないただの作業だったのだろう。もうこの女は不要なんだという意思表示のようにも見えた。新しいおもちゃを見つけた子供が、それまで手にしていたお気に入りのおもちゃをゴミのように投げ捨てるのと同じ残酷さを感じさせる。

お姉ちゃんっ!
馬鹿な……。

 目の前の光景に、山岸は自分の目を疑った。

 百合の悲鳴も、狂ったようになく鳥の声も、鼓膜を引き裂くような不快さだった。そして目の前に立つ男の圧倒的な存在感に、山岸は身震いさえ覚えた。底知れぬ恐怖感が湧き上がってくるのを感じる。

(こいつは人間じゃ、ないのか)

 超常現象を売り物にした商売に足を突っ込んでいても、山岸はその方面には懐疑的な姿勢を崩したことがなかった。雑誌の誌面を飾る心霊写真や幽霊の目撃談なんかを飯の種と割り切り、ガキの妄想だと嘲笑って生きてきたのだ。

 だが初めてその妄想を自分が抱く番が来たのだと思えた。

…………。

 その口元に穏やかな笑みを浮かべたまま、男は静かに近寄ってきた。

 スリッパを履いたままの足で土間に下り、百合に近づく。

君はあの女に似ている。姉と妹だからってだけじゃない。同じ種類の女なんだと、そう感じたことはないか?

君が威月に隷属する喜びを見出していたように、あの女は俺の望みを何とかかなえようと必死だった。

果歩を生んだことも。

そして君が生む子供を手に入れようとしたことも……。

すべて俺のためだったんだよ。

……。

 百合は足が竦むのを感じた。

 もしかしたらこの男はずっと待っていたのかもしれない。いつかこうして百合が自分の手の内に飛び込んでくることを……。

 穏やかな口調。ゆっくりとした動き。

 だがその男の指がわずかに触れただけで、山岸の身体が弾き飛ばされ、狭い土間にたたきつけられる。

執着がありすぎて死にきれない生命があるなんて、理解できないかな、百合。

君にはチャンスを上げたのにね。何もかも忘れたままでいれば苦しむ必要も、消えていく必要もなかったのに。


残念だよ、百合。

 百合は棒立ちになって男を見上げていた。まるで魂を抜かれたようにその表情さえも凍り付いて動かない。

 男の手が、ゆっくりと百合の顔に伸びた。

 その手が触れたときに何が起こるのか、すでに理解できていた。だが、百合は表情がわずかに強張ったのを自覚しただけで、逃げることができなかった。

(そう、ずっと……私はお義兄さんがこわかったんだ)

 百合の中で揺らめくようにその記憶が頭をもたげる。

 今の今まで、それさえも忘れていた。あのときも殺されると思ったことを……。

 あの鮮やかな色が、もう一度視界を覆ったのはその瞬間だった。

何をしているんです、百合!

 極彩色の羽根が百合を包み込むように羽ばたく。その声にようやく百合は呪縛から解き放たれたように顔を上げることができた。

 そこに、威月がいた。

 茂ではない。

 あの頃と同じ目、同じ表情で……威月が百合を見下ろしていた。

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