【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-13 コンビニおにぎり

エピソードの総文字数=3,661文字

死んでも恨むなよ、英司。
 返事を待つどころか、その言葉さえ言い終わらないうちに篤志の拳は英司の顔面を捉えていた。抵抗する暇なんか、もちろんあるわけがない。
え?
 ……というその疑問がようやく喉元までせり上がってきたときには篤志の左ストレートを食らって眼鏡が吹っ飛んでいた。そして吹っ飛んだのは……眼鏡だけではない。

 英司は言うに及ばず、英司に腕を掴まれていた果歩までが、何が起こったのか理解する間もなく床に投げ出されていた。

あ……。
 その衝撃で英司の手が果歩から離れる。

 王牙が消えたのは、その瞬間だった。

 ホールいっぱいに膨れ上がり、天井を突き破るほどの威力を見せつけた炎が、ほんの一瞬で小さな火種に戻り、吸い込まれるように果歩の身体の中に消えていったのだ。

……あれ?
 耳の痛くなるような沈黙に、果歩は小さく身を震わせた。

 きょろきょろとあたりを見回し、最後に頭上を見上げる。

 天井には王牙の火焔が突き抜けた大穴が開いていた。その穴からぽっかりと見える空の青さが、まるで下手くそな合成写真のようだ。

ピーちゃんが、消えた……?
 もう耳鳴りもしない。

 その代わりに、猛烈な睡魔が襲ってきた。激しい疲労のために身体が思い。だが果歩はその重い体を引きずりあげるように起き上がった。

 目の前に、篤志が立っている。

怪我……してねえか?
 篤志の右腕は糸を絡めたように赤く染まり、今も血が滴り続けている。

 ぼんやりとかすむ視界にその光景を見つめながら、果歩は篤志の発した言葉の意味を懸命に考えていた。

(どうして今、そんなこと聞くの)
 考えようとしているのに、どうしても頭が動かない。同じ疑問だけが何度も何度も繰り返されているだけだ。
手……ちゃんとある?
 眠いせいで発音もおぼつかなかった。

 自分が何を言いたいのかも、よくわからない。

おい、また寝る気か?
 篤志は、その血だらけの手を果歩のほうへ差し伸べた。
寝るならその前にひとつだけ聞いとけ。

――おい、まだ寝るなって言ってんだぞ。

寝ない。まだ寝ない、けど……ふぁぁ。
 言いかけたが、どうやらそれが限界だったらしい。小さなあくび。何かわけのわからない言葉を口にしたかと思うと、果歩の首がかくんと力を失った。

 篤志の腕にしがみついて……そのまま眠ってしまった。

お、おい! 聞けって言ってるんだ。おい!
こっちへ寝かせたほうがいいですよ。ものすごく疲弊しているようだ。
 茂が背後から近付いてきて、そう声をかけた。

 よく見れば、両手に膨れ上がったコンビニの袋を吊り下げている。

こんながきを物騒なゲームに引きずり込んどいて、隠れていられる神経も大したもんだが……よくしゃあしゃあと面出せるな、おまえは。
 どすの効いた低い声でそう一喝し、だが篤志はおとなしく茂の言葉に従った。果歩を抱き上げてソファのほうへ連れて行く。茂の顔をしてにこにこしているのが、威月とかいう、この状況の元凶ともいえる妖怪だと考えるだけで、その横っ面を張り飛ばしたくなってくる。
別に隠れていたわけでは……。

それに、私がいたって足手まといなだけでしょう。分をわきまえていると言って欲しいな。

そういうセリフはもっと卑屈な面して言いやがれ。

……おい、これはどうすりゃいいんだ。

 珍しく、篤志の声に狼狽の色が見えた。

 ソファに寝かせようとした果歩が、篤志のシャツをしっかり掴んで離そうとしないのだ。

おやおや、あなたでもそんな声を出すんですね。新しい発見です。
うるせえ、いいから手を貸せ。
そのまま抱っこしててあげれば良いのでは?

懐かれて光栄なこっちゃないですか。

 他人事だと思えばこそ……の、嬉しそうな助言だった。

 さっきの一喝へのささやかな意趣返しというところだろう。

あのセクハラ小僧なら大喜びだろうがな。
 そう毒づいて、篤志はようやくさっき殴り倒した英司のことを思い出した。

 一応、加減はした。

 死んではいないだろうが、このまま放置というわけにもいかない。

私が見てきますよ。

英司くんだけじゃなく、小霧がどうなったかも気になりますからね。

 茂はそう言ってコンビニ袋を篤志の横に置いた。

 袋の中には大量のおにぎりと缶詰が入っていた。他にも煙草のカートン箱、ペットボトルにガーゼに包帯、ピクニックシートやボックス入りティシュなどがぎっしりと詰め込まれている。さらにはビールや缶入りチューハイ、ツマミ数種に週刊誌、おまけ付きチョコスナック、のど飴、トレーディングカードなど、いささか趣向の違った商品も見てとれた。コンビニで棚にあったものを目につくままに買い漁ったという感じだ。

待てよ。
 篤志は茂を呼び止めた。
――威月っていったよな、おまえ。
ええまあ、そうですが……今まで通り、フクって呼んでくれればいいですよ。

言ったでしょう、もう私にとってその名前には意味がないんです。

ツラがどうでも俺には関係ねえんだよ。赤の他人になったヤツを今更ダチの名前で呼べるか。
……まあ、いいですよ、どっちでも。

で、なんです?

おまえは気づいたか?
気付くって……何を?
果歩があの虎を呼ぶには英司が必要なんだ。
……まさか。
大間団地崩壊事故のときにも、英司は果歩と一緒にいたと言っていた。
 篤志はビニール袋の中を探って新巻鮭のおにぎりをひとつ取り出した。手は血まみれのままだったが、それを気にした様子はまったくない。
(もともと細かいことに気を回す性格ではなかったし、昨夜から何も食べていなかったから、がっつきたくもなるだろうけど……。うぇぇ)
 血に染まった米粒と海苔のコントラストが目を背けたくなるほど鮮やかだった。福島茂と融合しつつある今、妖怪の威月であったときよりも、込み上げてくる嫌悪感は数倍増しだ。

 篤志はその視線にもまったく気づいた様子はない。しがみついている果歩の頭を台にしておにぎりのパックを開けようと四苦八苦しているところだった。ひったくってパックを剥ぎ取り、口にねじ込んでやりたくなるような手こずり具合だ。

で、どうしろっていうんです?
とりあえず英司を果歩に近づけないようにするしかねえだろ。

第一、あいつがどういうつもりでちょっかい出してるのかなんて知ったこっちゃないが、ズボン下ろしてガキにのしかかるような事態にでもなってみろ。あの百合って女に詰め寄られるのはおまえだぞ。

ああ……そういう面倒くさい問題もありますね。
 茂は眉を寄せた。

 篤志がおにぎりを頬張りはじめても、果歩はまだしがみついたままだ。すかすか寝息を立てているその寝顔を見る限り、その手の心配とは無縁そうにも思える。

 ……が、これ以上の厄介事は御免だという気持ちは篤志と同じだった。

 こういうタイプの女子中学生は多分40過ぎても特に変化なくこのままだが、そういう女と結婚して子供ふたりをもうけることを思いつく男だっているのだ。油断はできない。その実例を福島茂はごく身近に知っていた。

基本的には了解しておきます。

でも……これだけは覚えておいて下さい。あなたは果歩を使って王牙を呼ぶことに抵抗があるようだが、ゲームに勝ってここから生きて出るつもりなら王牙の力なしには……。
わかってるよ。
それともうひとつ……。
 言いかけて、茂はわずかに口ごもった。確証もなしに言うべきことなのか、判断がつかなかった。

 だが、早くもふたつ目のおにぎりに取り掛かっている篤志を見て言葉を続ける。

 今度のおにぎりは『しっとりおにぎり・シャケわかめ』だった。

不思議に思っていたんですよ。なぜ私の魔法陣に現れたのが王牙の核である果歩だけでなく、あなたたち3人だったのか。

……あの場には百合さんや由宇もいたのに、彼女たちは弾かれた。

そのことには何か意味があるはずでしょう?

あなたの言う通り、英司くんが王牙を呼ぶための〈火種〉なのだとすれば納得がいく。

そして多分……。いえ、『だとすれば多分』……というべきかな。

多分……?
あなたは王牙を封じる〈鍵〉なんですよ。
 茂は言った。

 篤志は答えず、ただ手にしていたおにぎりを無理矢理口に押し込んだだけだった。指先にはりついた海苔を舐めとろうと口へ運ぶ。が、さすがに血まみれの指を舐めることに抵抗感を感じたのか、途中で手を止めてシャツの裾で拭っていた。

 茂の言葉が、さほど意外というわけではなさそうだった。

 じっと黙って……それを否定しようとも肯定しようともしない。

(答えを待っても、無駄か……)
 確信が持てないということなのかもしれない。そういうとき、篤志は決して口を開かない。篤志の性格は〈福島茂〉として、十分に理解していた。

 篤志が3つ目のおにぎりに手を出したので、茂はそれ以上の追求を諦めて英司のご機嫌伺いに行くことにした。今度のおにぎりは明太子だった。ツナマヨネーズと海老サラダをあからさまに避けているのが分かる。

英司くんの分も残しといてくださいよ、おにぎり。
 歩きはじめてから、一応念を押しておこうと振り返る。

 おにぎりをがっついていた篤志が、そっと果歩の頭を撫でるのが見えた。

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