【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-10 威月vs小霧

エピソードの総文字数=2,474文字

(がき、じゃねえか)
 篤志は棒立ちになったまま、その少年を睨んで動けなかった。見たところ15~6歳くらいだろうか。華奢な体つき。ジーンズにTシャツ、それに米軍のロゴの入ったアポロキャップをかぶっていた。

 だがその少年が、ただの通りすがりの中学生なんかではないのだということは一目見れば分かる。不自然に大きくとがった耳がそのアポロキャップの下から飛び出していたからだ。

 少年もまた、何が起こったのか分からないという表情で立ちすくんでいる。

なんで……人間が……。
 震える声でそう呟いた。

 床を流れた水はその少年の足元に集まってまるで生き物のように膨らんで波打っている。さっきの狐に比べると、その水の塊は一回り小さくなっているように見えた。英司の投げつけたコンクリート片が少しはダメージを与えたということなのかもしれない。

 だが、水そのものはまだ意志を失ってはいないように見えた。おそらくあの少年の思いひとつで、いつでもあの狐の形をとって襲い掛かってくるに違いない。

……。
 足元に落ちた鉄パイプを拾い上げ、篤志は1歩少年の方へ歩み寄った。

 少年は怯えているようにも見えた。

 いやそうでなくたって、こんな子供を相手に鉄パイプを振りまわすなんて気に入ったやり方ではない。

 だが……。

(ここでカタをつけなきゃ、負ける。あのすばしっこい狐の攻撃を何度もかわすなんて無理だ。この状況でもし俺がやられれば終わりだ。英司じゃ、果歩を守れない。――やるしかねえ)
 篤志は鉄パイプを握り締めた。

 耳の長い少年まであと4歩、というところか。

 少年はまだ動かなかった。驚愕に見開かれた目が、じっと篤志を見上げている。

 その目が……ゆらっと震えるように光を放った。

 鉄パイプを力任せに振り下ろした瞬間、篤志はその少年が実体ではなく、あの狐と同じように水によって形作られた幻影なのだと気づいた。

……っ!
 少年の身体を側頭部から胸にかけて引き裂くように振り下ろされた鉄パイプ。だがその手応えは単なる水に突っ込んだ鉄パイプの重みではなかった。篤志の腕に筋が浮き上がっている。食いしばった奥歯からぎりぎりと鈍い音が漏れてくる。

 もはや鉄パイプは揺らめく水にしっかりと固定され、押しても引いてもびくともしなかった。

篤志さんっ!
 英司もその事態に気づき、駆け寄ってくる。

 振り下ろされた鉄パイプでその妖怪をしとめたのだと、英司には見えた。

 だが篤志と英司の目の前で、少年の身体は――ジーンズもTシャツも、米軍のアポロキャップも全部、その色彩を失って――あの水の狐と同じ、ガラスの彫刻のような姿に変わった。

くそ……っ、なんて力だ!
 少年の腹部に食い込んだ鉄パイプが、激しい衝撃とともにその身体に引きずり込まれて行く。

 うごめく水によって形作られた身体の中で、その鉄パイプがこなごなに粉砕されて消化されていくのを目の当たりにして、篤志は自分の足が震えるのを感じた。

 力を失った手からずるずると鉄パイプが奪い取られ、水の中に沈んで行く。錆付いてざらざらになった鉄パイプが手のひらをすりむき、完全に身体の中に飲み込まれて行くのを、ただじっと見つめているしか篤志にはできなかった。

威月(いづき)にこんな芸当があったなんて……初耳だな。
 水が揺らめいて笑った。

 そしてすぐにさっき見た通りの、アポロキャップから耳をはみ出させた少年の姿に戻った。

イヅキ……?
 おうむ返しに英司がその言葉を口にした。

 だが少年は篤志も英司も目に入らないという風にふたりの間をすり抜けて壁際――虎の絵のすぐ下に尻餅をついたまましゃがみこんでいる果歩の方へ歩み寄った。

待てよ、おい!
 英司が少年の肩を掴んだ。

 指のあいだを虚しく水がすり抜ける感触だけを残して英司の制止をかわし、少年はさらに果歩の方へ歩み寄った。

……。
 果歩の目の前に少年が立っている。

 揺らめく目が、じっと果歩を見下ろしていた。

 あの水狐のような殺伐とした気配を、今は少年から感じ取ることはできない。だが果歩は少年を見上げたまま、声も出なかった。

小霧!
 鋭い声がホールに響く。

 茂だった。

1歩遅かったみたいだぜ、威月。
 小霧、と呼ばれた少年が膝をついて果歩の顔を覗きこんだ。さっきからずっと、小霧の顔は少しも動いていなかった。
それとも王牙を呼ぶかい? この子を使ってさ。

俺は構わないよ、ここで今決着つけたって。

待ってくれないか。イレギュラーな事態が起こっている。
 その茂――威月の言葉に初めて小霧は振りかえった。
そりゃあイレギュラーだろ、こんな能力はおまえにはないもんな。よりにもよって人間の身体に〈滞在し、王牙の媒体を手に入れるなんてさ。
 果歩の腕を掴んで小霧は立ちあがる。

 無理矢理引きずり起こされて、果歩は助けを求めるように茂に目をやった。

王牙相手じゃ俺の水狐なんか歯が立たないだろうな、きっと。

俺だけじゃない。ゲームは破綻するさ……そう言いたいんだろ?

それが分かっているのなら、果歩を放してやってくれないか。
でもおまえはこのゲームがどういうものかを忘れちゃいないはずさ、威月。途中で投げ出すことなんか、できっこないってことも。

――それに俺にだって勝算がないわけじゃない。確かに王牙はすげえ力持ってる。でもそれはこの媒体がまともに機能して、おまえが王牙を操れればの話だ。

 挑発するような口調だった。

 もはや単なる娯楽ではないゲームに臨んで、それが勝算の薄い賭けである事は重々承知の上なのだろうが、小霧の表情に曇りはない。

 王牙と刃を交えるその高揚に、酔ってさえいるように見えた。

果歩の手を離せ。勝負なら、俺が買ってやる!
 小霧と威月の応酬に割って入ったのは英司だった。

 その手には、さっき投げたものより大きなコンクリート片が握り締められている。

 英司はちらっと篤志を振りかえった。

……。

 篤志も同じ表情だった。篤志には武器になる得物さえなかったが、それでも拳を固めて臨戦態勢を整えていた。


 こんな小僧を相手に……白旗を上げるつもりなど毛頭なかった。

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