【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-20 葉凪

エピソードの総文字数=3,362文字

 英司は握り締めていたコンクリート片を、白い花めがけて投げた。

 花びらを掠めた瞬間、ほんの一瞬だったがそのちっぽけな石つぶてが炎をまとう。

ちっ。

 こんな距離で外すなんて考えられなかった。球筋のコントロールには自信があったし、狙い通りの1球でもあった。

 それでも直撃させられなかったのは、花のほうが避けたからだ。

妙な技を使うね。……危なかったよ。
 またしても金茶色の蔓が身を揺らした。まるで笑っているように、ハート型の葉がかさかさと音を立てる。

 危なかったなどと言っている割に、その言葉からは……ほんの僅かな危機感さえ感じ取ることはできない。

自分にこんなことができるなんて、ずっと忘れていたよ。

――大間を出て以来ね。

 そう……ずっと、忘れていた。

 子供のころは何度もこうして、まとわりつく妖怪を蹴散らしたことがあったのに。大間団地の事故でこの地を離れて以来、そんなことをする必要もなくなった。周囲に妖怪の気配を感じることもほとんどなくなり、英司自身も炎を出現させることなどできなくなって、次第に忘れていったのだ。

 いや……次第にではなく、ある日を境にぶつりとそのことを忘れたのだったかもしれないが。

 大間という場の持つ力は、妖怪だけでなく人間にもまた強く影響を与えているということなのだろう。

通りすがりにまともに食らったら無事じゃすまなかったろう。

……だが、その技じゃ俺は倒せない。きみはもう、俺の結界に取り込まれているんだからね。

 その声と同時に、英司を取り囲んでいた金茶色の蔓が、するすると巻き取られるように角のある男の姿に吸い込まれていった。
きみのようなタイプは嫌いじゃない。もっと別の機会なら、たっぷりゲームを楽しみたいところだ。だが……残念ながら今回はそういうわけにはいかない。

あがく姿を楽しみにしているよ。

ああ――果歩のことは心配しなくてもいい。俺のところにいたほうが安全だ。きみには守りきれないだろうし、フィールドに残っているのは俺だけじゃない。


俺は葉凪(はなぎ)――いずれまた会えるよ。たぶんね。

 すべての蔓が長い髪に吸い込まれた瞬間、男の姿も消える。

 英司はなす術もなく、葉凪と名乗った妖怪が消えて行くのを見送り、ひとり取り残されることになってしまった。

くそ……っ!

何があった。ここはどこだ……?

 そこはあの水没した廊下ではなく、もはや葉凪の気配は微塵も感じ取ることができなくなっていた。

 ただ甘ったるい花の匂いが、いつまでもまとわりつくように残っているだけだ。

■■■■■■■■■■■■■■■
起きて下さい、篤志。

篤志!

なぁんか、これ……。

全然、起きる気配もないって感じじゃね?

 ソファに転がっている篤志の身体を揺すっている茂を横目に、小霧は小さくため息を漏らした。

 茂が声をかけるたび、まるで対抗するかのように篤志のいびきは大きくなるばかりだ。

これだけの怪我をしている上に、あなたとの戦いで心身ともにかなり疲労しているはずです。第一、昨夜はほとんど眠っていないようですからね。

……普通の人間だったら、2、3日意識が戻らなくたって不思議じゃありませんよ。

……んなこと言ったって、すぐ来るぜ、葉凪のやつ。

これだけやつの妖気が強いんだ。普通の人間だったら寝てなんかいられないはずだろ!

普通の人間並みの常識を彼に要求したって無駄でしょう。
 呆れ顔の小霧に、茂はため息混じりに答えた。

 篤志の図太さはよく分かっている。妖怪の気配に敏感な英司ならともかく、篤志にこの妖気を見極めることなどできないだろう。

 もし今、目を覚ましていたとしても……、

『なんか、臭わねえか?』
 ……程度がせいぜいだ。

 それが目に浮かぶようだった。

そんなお上品に揺すったって、起きやしないぜ。

ぶん殴ったほうが早いんじゃないの。

私にやれって言うんですか。
 そう言いながらも、茂の視線はソファの下に転がっている鉄パイプに注がれた。
おまえ人間虐めるの、大好きじゃん。
人聞きの悪い発言は控えてくださいよ。

――篤志、起きて下さい!

 茂は篤志の襟首を掴んだ。平手で篤志の顔を2度叩く。


 ――反応は、なかった。

■■■■■■■■■■■■■■■
痛え……。
 ようやく目を覚まして立ち上がった篤志が、ずきずき痛む頭を押さえながらかすれる声でつぶやいた。

 怪我をした傷口の直ぐそばに、新しく小さなコブができている。

あんた、あれで目覚まさなかったら、そのまま死んでたかもよ?
――小霧。
 篤志に耳打ちする小霧に、茂は静かに声をかけた。
へいへい。わかってますってば。

 茂は名前を呼んだだけでそれ以上何かを言ったわけではないのだが、その『私はあれこれ言いたいことがあるのを懸命に抑えているんですよ?』と、言いたくて堪らない顔を見れば下手なことはしないほうが得策だと素直に思える。

 小霧も威月とは短い付き合いではなかった。

――俺は一応退散するよ。

ゲームオーバーになった身の上でいつまでもおまえとつるんでると葉凪にぶっ飛ばされる。

ケリがついたころにまた見物に来るからさ。

わかりました。

小霧、念を押す必要もないと思いますが……。

他言無用、だろ? わかってるって。

――それより、おまえこそ〈交換条件〉忘れんなよ?

 そう言い残し、小霧は一瞬にして姿を消した。

 まだその光景を現実のものと認識できずに眺めながら、篤志は茂を見上げた。

交換条件って何のことだ?
小霧から情報貰うのに、ちょっとした条件を出されたんですよ。
……最近のガキはしっかりしてやがるな。
 篤志は補給物資の山をがさがさとひっくり返し始めた。

 英司が見たらまたあれこれうるさく言い出しそうな荒らし具合。やっと煙草の箱を見つけ出して1本くわえた。

でもそれだけの価値はありましたよ。

少なくとも私たちにとってはね。

――で、どんな条件だ?
 その篤志の問いかけに、茂がわずかに躊躇したように見える。

 視線をそらして、小さく咳払いをすると、

可愛い女子中学生と楽しくデート……ってとこですかね。
 ……と、言いにくそうに言葉を濁した。
なんだそりゃ……。
 煙草に火をつけながら、篤志は眉を寄せた。

 それからふと気づいたように顔を上げて、眉を寄せたままの渋い顔を茂に向けた。

おまえ、果歩を売ったのか。
……。
 予想外の鋭い切り返しに、茂は絶句した。

 こういう話には鈍いとばかり思っていたのだが、案外痛いところをついてくるものだ。

小霧は単純に好奇心で言い出したんだと思いますよ。女の子連れてお出かけしてみたいとか妄想しがちなお年頃じゃないですか。どうせ元気だけが取り柄のお子様ですし。

――英司くんやあなたと密室で一夜を過ごすのに比べれば、危険なんてないも同然でしょう。

そういう問題じゃねえだろ。

ポン引きみたいな真似しやがって、おまえのほうが英司よりよっぽど危ないじゃねえか。

 吐き捨てるように言って、篤志はまだ2口しか吸っていない煙草を床に投げた。

 吸殻を靴の底で何度も踏みつける。

――で、果歩も英司もその葉凪ってやつに捕まったのか。
 頭を抱えたくなるような事態だった。

 疲れ果てて眠っていたほんの1時間のあいだに、何もここまで手のつけようがないほど状況が悪化していなくても良さそうなものだ。

葉凪は植物を操って結界を作るんです。そこに敵対プレイヤーのコマを封じて動きを止めるのが彼の戦い方です。

十分に気をつけて下さい。もしここであなたまで捕まることになれば、私はルール上ゲームオーバーと同じことになります。もう何もできなくなってしまう。

結界ね。

――よくわからないが、そこから出せばゲームに戦線復帰できる。そういうことか?

そのはずです。

……まだ1度も、そんな状況を目にしたことはありませんが。

お先真っ暗か……。
葉凪には攻撃力はほとんどありません。果歩ちゃんも英司くんも危害を加えられるようなことはないと思います。

――しかし、彼はあなたのようなパワーファイターの攻撃を受け流すことに非常に長けています。おそらく小霧のときのようにはいきませんよ。

それでも……。

やるしかないんだろ? だったらやるさ。どうすればいいのか教えろ。

 篤志はそう言って立ち上がった。

 さっきまで疲れ果てて正体もなく眠りこけていたとは思えないほど、篤志の足取りはしっかりしたものだった。

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