頭狂ファナティックス

学園封鎖

エピソードの総文字数=4,952文字

 銀太は生活に対して几帳面であり、一日は一つの流れではなくいくつかの区分から組み立てられた結合体であると考えており、起床、昼食、入浴、就寝の四つの時間を区切りとして、それらを天体の運行のように精確に配置していた。朝は六時に起きることが幼少期からの習慣になっており、今では目覚まし時計をセットしなくとも自然と目が覚めたために部屋には掛時計しかなく、ベッドから起き上がると三十分以内に身支度を済ませて、寮に備えつけられている食堂は混雑するせいで、朝食は学園内の喫茶店でコーヒーを一杯だけ飲むか、紅月の部屋で綴の作った朝食をとるかのどちらかだった。風呂には夕食をとってから二時間後に入る習慣だったが、一週間に二三回、紅月か綴が一緒に入りたがり、二人は夕食の直前に入浴する習慣だったために、銀太の予定は狂わされることがたびたびあった。
 銀太は不眠の傾向があり、就寝する前には寝つきを良くするために、戸棚の食器の奥に隠してあるブランデーを必ず一口煽ったが、ときたま紅月が勝手に瓶ごと盗み(嗜好品としての利用以外にも、調味料や消毒液としても使っているらしく、銀太が返してもらいにいったときにはすでに瓶が空になっていることばかりだった)、睡眠薬の代替を失って眠れなくなることがあった。それでも零時にベッドに入り、一睡もできなくとも六時に起き上がった。このサイクルは休日でも変わらなかった。四つの区切りによって五つに区分された一日の中で、それぞれの時間を埋める日課は銀太の内的な規則によって決まっていた。例えば小説を読むのは昼食と入浴のあいだの時間だけであり、勉強をするのは入浴と睡眠のあいだの時間だけだった。睡眠は規定の六時間以外には取らず、昼寝をする習慣はなかった。
 紅月の生活は銀太よりも軍規的だった。しかし規則正しく時間を決めるというのではなく、一日に行う日課を予め決めて、その日課をこなす時間は気まぐれに変動するものだったが。紅月は睡眠時間が短く毎日三時間ほどしか眠らず、夏でも太陽が出る前に起き、この時期は日の出が遅く、暗い中を手探りでベッドから抜け出さなければならず、その暗さは寝る前と同じ暗さであるために、まるで五分も時間が経っていないように感じられた。朝食の前に10kmのジョギングをするのが習慣であり、起床すると冬でも冷水で顔を洗い、すぐさまジャージに着替えて外に出た。ジョギングを始める時間が遅くなり、六時を過ぎると銀太を誘うことがあった。そしてそのあとでたびたび一緒に風呂に入ることはすでに書いた通りである。
 紅月は二時間の読書と五時間の勉学を一日の義務としていたが、一時間を数回に分けて午前と午後に均等に配分することもあれば、日が沈んでから五時間とおし続けにすることもあった。昼食のあとには必ず十五分の昼寝をとったが、ベッドに横になるのではなく、藤椅子に深く腰をかけ、うつらうつらと首を揺らして、その日に読んだ小説の登場人物が出てくるような夢を見る、深くもない眠りだった。
 二人の生活は親元を離れても心配のない規則正しいものだが、一方で綴の生活はずぼらだった。実家にいるときからそうだったが、綴は寝起きが悪く、目覚まし時計では起きることができないために、誰かに起こしてもらわなければならなかったが、その役目は昔は銀太で、今は紅月のものだった。眠りを邪魔されると綴は駄々をこね始め、枕に抱きついたり、起こしてくる人の袖を引っ張ったりして、寝ぼけたまま放っておくように何度も懇願したために、朝の忙しいときに紅月の時間を十五分も消費させ、また毎朝の悶着を改善するつもりもないらしくその十五分が短くなることはないようだった。趣味は銀太と紅月を甘やかすことだったが、日課らしいものはなく勉強も宿題が出たときか、試験の前にしかしなかった。しかし読んだ本の内容や思いついたことをこまめに『バベルの図書館』に書き込む習慣があった。
おい、起きろ。何か大変なことが起きている。
 終業式の朝、銀太は紅月に叩き起こされた。銀太が自然に目が覚める体質であるのは書いたとおりであるため、他人から起こしてもらうことなど滅多になく、心地よい眠りから無理に引きずり出された微かな嫌悪に慣れないものを感じながら、ベッドの横に立っている紅月の顔から窓の方へと目を移すと青いカーテンの隙間は真っ黒い線であったが、電灯の明るさに眩みながら掛時計にさらに目を移すと四時半であったために、深夜とは言えなかった。身を起こすと銀太は紅月だけでなく姉もいることに気がつき、綴は肘掛椅子に腰かけて不安な顔をこちらに向けていた。二人の深刻な顔つきから、この突然の来訪が紅月の悪戯か何かではなく、もっと厄介な性質のものだと銀太は察した。
どうした? 二人で夜這いというわけではないようだね。
悪いが、軽口を叩いている場合ですらないぜ。寝起きで頭が回っていないかもしれないが、これから俺が言うことを性質の悪い冗談だとも、夢の続きだとも思わないでくれ。まったく本当のことなんだ。
 銀太は紅月と綴を交互に見たあと、目線で言葉の続きを促した。
学園の正門前に日本軍が駐在している。それも小隊や分隊が訪ねてきたってものじゃねえ。これから戦争でもおっぱじめるんじゃないかってほどの人数で、ライフルを持った兵士や戦車まで来ている。俺がジョギングで正門を通りかかったときにはすでに生徒が集まって騒ぎになっていた。まだ学園内に侵入してきてはいないと思うが。
本当に? 何か事件でもあったの? けれども警察ではなく軍が動く事件とは? 理事会や軍は何か言っているの?
それが何も。理事会も軍も沈黙しているらしい。俺はまた正門まで行ってみようと思う。おそらく空白組が事実確認のためにすでにいるはずだ。こんなときくらい、空白組の職務を全うしないとな。と言っても、俺が何もしようとしなくても、呼び出されて無理やり働かされるのだろうがな。
僕も行くよ。そのために起こしたのだろうけれども。お姉ちゃんは部屋で待ってて。小競り合いが始まるとも思えないけど、念のために。お姉ちゃんのコンプレックスは戦闘向きじゃないから。僕の能力は他人までかばえるほど強くはないし、紅月の能力は器用な使い方ができるようなものではない。
本当に行くの? やっぱり心配だよ。理事会から何か知らせがあるまで待機していた方がいいんじゃないかな。
 綴は銀太が目を覚ます前から続けている不安な表情を一向に崩さないまま言った。
少なからず、俺は暢気に二度寝を楽しんでいられる立場じゃない。そんなことをすれば、あとになって空白組の先輩方から何を言われるかわかったもんじゃねえ。綴ねえは口笛でも吹きながら朝食の用意をしていてくれ。俺たちが帰ってきたら、三人でゆっくりと食べよう。
 綴はまだ二人を引き留める言葉を言いたかったようだが、自制して黙り込み、代わりに表情の沈痛な様子を深めた。銀太は着替えを終えると、紅月と連れ立って部屋を出た。
 冬の夜明け前は灰色の雲が渦巻き、月と星の明かりを隠して、代わりに街灯の明かりがすべてだったが、学園の住民の夢と同じくもう一時間もすれば霧散する靄によってぼやかされており、いくつもの光暈が予兆を孕みながら浮かんでいた。寒気は蜂蜜のような粘り気を持っていて、身体にまとわりつき、外套の隙間から入り込もうとしてくるために、銀太と紅月は裾を強く引き合わせなければならず、両手をポケットに突っ込んで歩いた。二人は正門へと向かう道すがら、靄の向こうに異変に気がついた生徒たちがシルエットになって蠢いているのを認めた。風景には色がなく、光の明暗だけがあり、単彩画の世界を二人は歩いた。
ここらを徘徊している人間が全員、正門に向かっているわけではないらしい。もしかして、正門の以外の出入り口にも日本軍が来ているのか?
 それまで外套の襟を閉じ合わせていた紅月は口元だけ開くと、白い息を吐きながら言った。
学園に包囲網が敷かれようとしている、ということ? まったく信じられない話だが。
都会のど真ん中に軍が出しゃばってきてんだ。初笑いのネタにされるだけじゃ済まねえだろうな。
 少なからず銀太と紅月が入学してから閉ざされたことのない正門が閉ざされ、大きな南京錠を掛けられており、その前で生徒たちは群がり白いけぶりとなった人いきれを放出していて、人が生きる体温と臭いを感じさせた。日本軍は投光器を持ってきており、黒山の人だかりの向こうが明るくなっている。
紅月も来たのね。大室くんも。
 人だかりの中から二人に話しかけてきたのは楓子だった。ベージュの外套に身を包み、寒さで頬と鼻の先を赤くしている。
他の空白組は? 来ているだろう。
それが見当たらないの。空白組の中ではあなたが一番乗りよ。
どういうことだ? 空白組は非常事態には真っ先に事実確認を行う義務があるんだが。理事会の方に確認を取りに行っているのか? それでもこっちに一人も置いていないのは不自然なのだが……。楓子は随分と前からここにいるのか? どういう状況なのか報告してほしい。
三十分くらいいるかしら。この寒さだと時間の感覚も伸び縮みするけど。日本軍は武装したまま待機しているわ。隊列は一列に伸びていて、おそらくすでに学園を囲っている。戦車や装甲車まで用意されていて、まるでこの学園を殲滅しようとしているみたいよ。けれども今のところ、学園内に侵入してくる動きは見られない。むしろ学園の人間を外に出さないようにしている感じだわ。こちらから合図を送っても、向こうは何も返してくれない。これだけの軍が動くのは、明らかに尋常のことではないわ。大規模な交通規制だけでもここら一帯は大混乱のはずだし。
 紅月と楓子が話しているあいだに、空白組の一人がようやく到着したと話が広がり、生徒たちは日本軍の方から背後に注意を逸らした。そして紅月の姿を認めた生徒は示し合わせたように、左右に分かれ正門までの道を作った。紅月が銀太と楓子を引き連れて正門に近づくと、日本軍の様子がよく見えた。光文学園の正門からは大通りが向こうへと伸びていたが、夜明け前の暗がりの中に消えており、日本軍はちょうど暁闇に紛れる境界線のあたりに駐在していたが、左右に目を配ると隊列は投光器の光の中に埋もれており、三人がはっきりと確認できたのはいくつかの部隊だけだった。街は猛獣に怯える小動物のように息を殺して静かで(それは街を包み込んでいる寒気と眠気が持つ日常の威圧ではなく、日本軍が持つ非日常の威圧のためだろう)、この場に居合わせた街の人々も不吉な予感から逃れるためにまるで自分を幽霊に見せかけているようであり、聞こえる音はエンジンやモーターが熱を発しながら動悸する音と人々の微かな息遣いだけであった。
 紅月は日本軍に向かって手を振り意思疎通の合図を送ったが、こちらに目線を寄越すものすらなく、その様子は軍務によって学園の人間と接触を禁じられているからというより、武力に囲繞された哀れな人間たちから目を逸らしているからといった具合だった。正門の構えは神さびて立派であり格子の一本一本は大腿骨のように太かったが、数人が協力すればよじ登れないことはなく、しかし学園の敷地から抜け出そうとする人間がいないのは、無論、武装した兵士たちが学園の内側と外側で硝煙臭い境界線を引いたからだ。
駄目だ。理由はわからないが、向こうはこちらに接触する気がない。ここにいても無駄足だろう。理事会の方に問い合わせた方がいいかもしれない。空白組に合流したいが、ここにいなければどこにいるのか見当がつかない。まあ、あいつらが仕事をしないというのなら、俺がサボってもあとから文句は言われる筋合いはない。今は待機するのが無難だろう。そのうちに理事会から説明があるはずだ。部屋に戻ろう。綴ねえに無事を教えて、一先ず安心させるべきだ。朝食も食べないといけないからな。楓子も一緒に食べるか?
それならお言葉に甘えようかしら。こんな寒い中に突っ立ってあれこれ議論するよりも、暖かい部屋で食事をとりながら談笑した方が何倍も有意義だからね。もう指や耳がかじかんで、痛いほどよ。

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