もしも敬虔な女子高生が〈神は死んだ〉のニーチェ作『ツァラトゥストラ』を読んだなら

『ダンシング・スター』

エピソードの総文字数=2,440文字

ツァラトゥストラの長話は結局まるで群衆には通じていなかった。

しかし、人間を愛する彼は諦めない。頭の上で綱渡り師が渡り始めたというのに、そんなことよりも、と地球人類最後の男、『末人』についての説明をつづけていたのであった。

 こうしてツァラトゥストラは、民衆に向かって次のように語った。

 今こそ人間がみずからの目標を立てるべき時である。人間がみずからの最高の希望の萌芽(ほうが)を植えるつけるべき時である。
 まだいまは、人間の土壌(どじょう)は、その植え付けをなしうるほどに豊かである。しかし土壌は痩せ、軟弱になるだろう。そしてそこからはもう一本の大樹も()い出ることはなくなるだろう。
「と言うわけで、ここは僕のツァラ殿、手塚訳で読み進めてみよう。

 なかなか硬質な日本語の響きでよいな。」

 わたしはあなたがたに告げる。人間は今もおのれのうちに混沌(こんとん)を持っていて、舞踏する星を生み出すことができなければならぬと。わたしはあなたがたに告げる。あなたがたは今も混沌をおのれのうちにもっていると。
 かなしいかな。やがてその時は来るだろう。人間がもはやどんな星も生み出さなくなる時が。かなしいかな。もっとも軽蔑すべき人間の時代が来るだろう。もはや自分自身を軽蔑することのできない人間の時代が来るだろう。
「このあたり、なんとなく、わかります」
「ほほぅ」
「やっぱ、どんなアイドルになるのか、予め目標を立てておいた方が良いってことですよね」
「そ、そうな、のか?」
「そうですよ〜。知性派を目指すのか、演技派を目指すのかでだいぶ未来はちがっちゃいますもん」
「うふふ。ミス学園候補としてはどうなのかしら?」
と、意味ありげに栞理に微笑みかける早乙女れいかである。
「えっ? ミス学園!?」
「やめてくれよ、その話は」
「えー、聞きたい聞きたい!」
「去年の学園祭でね、ちょっといたずらしたのよね」
「むぅ……」
「例のホームズのあと、演劇部の皆さんで今度は栞理を思いっきり『女装』させたのよね。それが大受けでねー」
「やめてくれってば!」
本気で嫌そうな栞理先輩だった。そんな先輩を気にしつつも興味シンシンなひとみである。

ひとみの方を向いたれいかは彼女にこんな情報を与えた。

「うふふ、気になるならお友達の柏野さんに聞いてご覧なさい、去年も取材にきてましたから」
(柏野さん!? 中等部のころから栞理お姉さまのことチェックしていたの!? 流石だわ……)
妙なところで友人を見直すひとみだった。
「うー。あれは一時の気の迷いだったのだ……。黒歴史だ。暴かないでくれ……」
「そんなに嫌がることないですのに。たいへん美しかったですわよ」
「むー。」
栞理先輩の美しさは普通にされていても十分に輝いている。それをさらに素敵に『女装』させただなんて……、さっそく柏野さんをとっ捕まえて写真をプリントしてもらわなくっちゃ、と密かに思うひとみであった。
「披露のあとすぐに逃げちゃうんですものー。学園祭のプログラムはその後ダンスパーティーだったのに、もったいなかったわ〜」
「ダンス! 素敵! あ、でも、それでしたら『男装』でも素敵だったかもっ!

 きゃー!」

またもや両手をパタパタと羽ばたかせるひとみである。
「もういいから! この話題禁止!」
「ちぇー。つまんないのー。

 ええと、どこまで読んだんでしたっけ……。あ、そう、ダンス!」

「ダンス?」
「『舞踏する星』! ダンシング・スター! 舞踏派アイドルですよ!」
「いきなり戻ったな。

 それより、ブトウ派ってその字を書くのか?」

「ダンスが得意な歌って踊れる系はいつだってニーズあり、です!」
「いや、まあ、そうかもしれんが」
「偉大なダンサーは混沌の中から生まれるんですね」
「それは誰のセリフだい?」
「私のセリフです。たった今考えました!」
(テンション高いなあ)
「その混沌の土壌を、いまの人類はまだ持っているが、それがしだいになくなって、いつかスターがもう生まれなくなってしまうだろう。というわけだな」
「ですねー」
「それが、『かなしいかな。もっとも軽蔑すべき人間の時代が来るだろう。』ですわね」
「もうスターが生まれないのです。かなしいですねー」
「ですわねえ。
 それと、スターとは違いますけれど、そのあとの

 『もはや自分自身を軽蔑することのできない人間の時代が来るだろう。』

 というところも、なんとなく、わたくしはわかる気がしますわ。


 最近のSNSには、自分の間違いを認められない方や、謝ったら負けと思っている方々も多い気がしますし……」

「謝ったら死んじゃう病の人ですね!」
「そういうふうにもいいますわね。我が身を振り返れない方といいましょうか……」
「あー、えーと、SNS、ウチの学校では……」
「もちろん禁止。ですわよね。わたくしの知っているのは、あくまで伝聞の情報ということにしておきますわ。


 ところで、栞理ったら、いつのまに『禁止事項を破ったら死んじゃう病』にかかったんですの?」

「いや、死なないな。どちらかというと生き生きするだろうな」
「ですわよねぇ。こんな読書会しているぐらいですし。わかっていましてよ。うふふふ」
「もー、お二人とも仲良すぎでずるいですー」
「ははは、同病相憐れむというやつだ。君も同じ病気持ちにみえるが?」
「えへへ、実はそうなんですけどね〜。わーい、仲間〜♪ なんちゃって〜♪」
「ツァラちゃん的には軽蔑ですかしらね。でも、軽蔑しあう仲間にはなりたくないですわね。」
「軽蔑する対象は自分自身、おのれだけで十分だろう」
「そうですわよね」
「ですねー♪」
また、今夜も、さっぱりページが進まないまま夜がふける。

この図書室の地下では、外界とは関係なく、幸せな時間がゆっくりと流れているかのよう。


(まるで、緊迫しているはずの綱渡りの下で長口舌を振るう男と似ているような……。

 しかし、まあ、こんな時間も悪くはない、か……)

同病の仲間たちとのあたたかな時を感じ、そう思う栞理であった。
<つづく>

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