頭狂ファナティックス

大室銀太VS須磨楓子①

エピソードの総文字数=4,737文字

 三人は学園の敷地の外れにある、雑木林に出向いた。銀太と楓子は学校指定の臙脂色のジャージに着替えている。
 常緑樹は煤けた緑色を天井に広げていたが、葉をすべて落として節だった枝を見せている木も多くあった。葉や枝の隙間から灰色の空がまだらに見えた。まだ太陽の出ている時間だったが、木陰により薄暗い雑木林を三人は奥へと進んだ。地面は落葉で埋め尽くされており、一足ごとにくるぶしまで沈んだ。
ここまで来れば、暴れても学園までは聞こえないだろ。
 先頭を歩いていた紅月が突然、振り向いた。
どちらかが負けを認めるか、俺が戦闘不能だと判断するまで勝負は続ける。
 銀太と楓子は無言で頷くと、互いに十歩ほど距離を取って、向かい合った。
それでは準備はいいな? 決闘始め!
『緑の家』!
 紅月が上げた腕を勢いよく下すと同時に、銀太はシンボルを具現化した。その手に銀色に輝く鋏が現れる。
 銀太は鋏を持った手を垂らして、腰を低くする。足をつま先立ちにして、いつでも飛び出せるように構える。
その構えから見るに、あなた、実践経験がほとんどないわね? それは武術の構えではなく、スポーツの構えよ。
 嘲笑混じりに楓子は言った。
喧嘩慣れしていないのは認める。だが負けるつもりもない。お前はシンボルを出さないのか?
私のコンプレックスは名前が長くて、叫ぶと逆にかっこ悪いのよ。今、見せてあげる。『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』。
 楓子が凪いだ海を思わせる静かな口ぶりで、その名を告げると、その両手は黒色の皮手袋で包まれた。
 二人はある種の衛星のように、互いの距離を保ちながら旋回する。相手の姿はときおり木々の後ろに隠れ、見えたり見えなくなったりした。二人ともできるだけ湿った枯葉を踏む音を殺している。
シンボルから見るに、殴り合いで発揮する能力か? 須磨らしい野蛮な戦術じゃないか。その能力も大層、野蛮なんだろうな。インファイトをご所望なら乗るぜ?
安い挑発には乗らないわよ。大室くん、私は慎重に物事を運ぶ性格だわ。その上で徹底的に叩き潰してあげる。
 二人とも相手との距離を詰めずにある一点を中心に回り続ける。シンボルの形から、互いに肉薄戦向きの能力だとわかっていたが、その詳細が判明しない限り、吶喊をしかけるのは愚策だった。相手のコンプレックスがわからない以上、状況は硬直するしかなかったが、先にしびれを切らしたのは、喧嘩の経験の少ない銀太だった。銀太の姿が枯木の後ろに隠れて見えなくなったと思うと、突如、その歩みを返して、木々のあいだから飛び出し、最短距離で楓子へと突っ込んだ。楓子はその突撃から逃れることはせず、拳を構えて相手を待ち構えた。
 指呼の間に入ったとき、銀太は鋏を横に薙いだ。楓子は左腕を犠牲にして、肉を裂かれても鋏を止めて、右腕で拳を相手の喉に入れるつもりだった。ところが鋏はあっさりと肉に食い込み、そのまま抵抗もなく、左腕は切断された。
 楓子は驚きのあまり、意識に一瞬の空白ができた。その瞬間に銀太は切断した左腕を掴むと、後ろに飛びのいて、再び十歩ほど距離を取った。楓子は銀太を見ずに、切断された部分を右手で触りながら、相手のコンプレックスを把握しようとしていた。その切断面は骨や血管、筋肉が露わになっていたが、不思議なことに出血はなかった。そして痛みもなかった。それどころか左腕の感覚はそのまま残っており、指を動かす触感があった。
 楓子が左手を試しに動かしていると、銀太の手にある左腕が動いた。しかしその動きを見られないように銀太は相手の左腕を背中の後ろに隠していた。楓子は銀太の様子を伺いながら、『緑の家』の能力の一端を理解した。
 容易く物体を切断するが、その機能的な連続性は失われない。
 そのように楓子は相手のコンプレックスを定義して、自分はダメージを負ったのではないと確信した。さらに銀太が左腕を奪ったことから、能力の仮説を立てた。もしも一度切断した物体が再び接合しない(あるいは単純な手続きでは接合しない)ならば、左腕を切断できた時点で無力化できたのであり、奪う必要はなかった。つまり切断した左腕が楓子の手元にあると、何かしら不利益を銀太は被る。
 楓子は最優先事項は左腕を取り戻すことだと把握した。四肢の一つを奪われているわけだから戦況的に不利なのは事実であり、切断したものを接合する方法がわかったならば(すでにその方法は切断部分をくっつけるだけだろう、と楓子は予想していた)、勝負を有利に進めることができる。それにあの卑劣な男は私の左腕を質にとって脅迫してくるかもしれないからね、そのようにも楓子は考えていた。
 銀太は再び吶喊して、さらに四肢を奪おうとはしなかった。それは臆病や戦術というよりも、「欲張りすぎると、手痛い仕返しを食らう」という人生訓からだった。銀太は決闘に対して理屈を組み立てることができるほど、経験がなかった。ひたすらに相手の出方を見る腹積もりだった。
 そのために楓子の方から仕掛けなければならなかったが、愚直にも相手に正面から突っ込んでいった。しかしこれは『緑の家』の能力を一端とは言え、見抜いた自信と純粋な戦闘能力ならば勝負の経験が多い自分の方が上回るという計算の上に成り立っていた。
 木々のあいだを抜けて、姿勢を低くして楓子が懐に飛び込んでくると、銀太は相手の首に向けて鋏を振るった。しかしその動きを楓子は予想していた。背中を弓なりに反らせて、鋏の射程から外れた。そして同時に右腕を相手の脇腹に突き出した。身体を後ろにのけ反らせながら、前方に攻撃するという器用な戦闘術はその実力を証明していた。楓子の戦闘スタイルは元IBF・WBO・WBC世界フェザー級チャンピオンであるナジーム・ハメドを模倣したものだった。
 脇腹に飛び込んでくる突きを銀太は相手の左腕を持っている腕で受け止めざるを得なかった。楓子の拳を肘で受け止めた。しかしその攻撃は予想していたよりも重さが乗っておらず、ダメージを与えられるようなものではなかった。そのことに銀太は違和感を抱いた。そして次の瞬間にその違和感は間違いのない確信へと変わった。
 まず銀太は楓子の左手を落とした。次にそれを予めわかっていたように楓子は地面に落ちる前に自分の左腕を掴み、距離を取った。そして楓子は左腕の切断面をくっつけると、予想していたとおり接合した。しかし銀太は左腕を回復した相手を見ていなかった。驚きのあまり自分の右腕を見続けていた。
 右腕は肘の部分だけが消滅していた。
 右腕の可動部分だけが無くなっており、その隙間から落葉の積もっている地面が見えた。消滅した部分から先の腕から指先にかけては、どこにも繋がっておらず、浮かび上がっている奇妙な状態だった。そして手の方はまったく動かすことができず、腕を曲げることもできなかった。銀太は右腕の機能を完全に失っていた。咄嗟に銀太は相手の死角になる木陰に隠れた。早急に相手のコンプレックス――『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』――の能力を見破る必要性があった。
 紅月は二人を見失わない距離を取り、湧き上がってくる愉楽に歯を見せるほどに顔を歪めて立会人を務めていた。紅月にとっては、二人が戦っているこの状況が面白いのであり、どちらが勝つかはどうでもよかった。紅月は銀太と楓子、両人のコンプレックスを知っていた。
 楓子のコンプレックス――『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』はシンボルである皮手袋を装備した拳で殴ると、相手にその部分を認識させなくする、という能力である。右肘が見えなくなっているのは銀太本人だけであり、もしも紅月がその部分を見たならば、いつもと何ら変わらない腕があっただろう。認識できなくなった部分は存在はするが、脳がその処理をできなくなるために、一時的に機能を失う。現在の銀太は右肘を認識できないために腕を曲げることができず、また肘より先にある手を動かすことができなかった。この自分の身体が認識不能になる現象は十数秒続いた。
 銀太が木陰から木陰へと相手の死角に入るようにしながら距離を取っていると、右肘が回復して、再び腕を動かせるようになった。これで銀太は楓子のコンプレックスのおおよそのところ――実際に攻撃された部分が実際に消滅しているのか、自分だけに認識できなくなっているのかまでは測りかねたが――を掴んだ。楓子が相手の右腕が使えなくなっているあいだに、追撃を仕掛けなかったのは、『緑の家』の能力を警戒していたためだった。もしも切断されるのが、腕ではなく、足ならば、動くことができなくなり致命的である。しかしこのまま膠着状態を続けるわけにもいかず、どちらかが勝負に出なければならない。楓子はコンプレックスを抜きにした、純粋な身体能力ならば銀太を大きく上回ることを先のわずかな肉薄から理解していた。このまま徒に時間が経てば、相手に策を弄する時間を与えてしまう。その前に力でねじ伏せるべきだと楓子は判断した。
 楓子は息を殺して耳を澄ませた。そして木陰から微かな、落葉がかさかさと鳴る音を聞いた。その地点に向かって、100m競争11秒31の驚異的な脚力で駆け出した。木陰に飛び込むと同時に拳を無数に浴びせるために戦闘態勢になる。
 しかしそこに銀太はいなかった。
 あったのは手首から切り取られた左手で、その指が蠢いて、落葉を鳴らしていた。
 銀太は楓子の背後にいた。左手を失うデメリットよりも、相手の背後を取るメリットの方が圧倒的に大きい。銀太は楓子のうなじに向かって鋏を伸ばした。これで勝負がつく、そう思ったのは銀太だけでなく、遠くから眺めている紅月もだった。しかし楓子の身体能力は二人の予想を上回っていた。楓子は背後に敵がいることを即座に感じ取ると、背面跳びをした。楓子の直感というよりも、ほとんど偶然だったが、鋏の突きを背中を大きく弓なりに反らして避けた。そして空中で逆さまという本来ならば絶望的な態勢で楓子は拳を放った。拳は銀太の右目を打った。強烈な痛みに銀太が後ずさりをしたと同時に、楓子は猫のように身を翻して着地した。銀太は右目を手で押さえていたが、手を離すと右目の視界を完全に失っていることに気が付いた。右目の機能を失っていた。楓子は相手の死角になる右側から飛び込んだ。死角に入られて楓子を一瞬見失ったことによって、銀太は防御が遅れた。楓子は拳の連打を銀太に叩き込んだ。右手、右脇腹、左足首が認識できなくなった。咄嗟に銀太は手近にあった老木の幹を楔の形に切り取った。切り込みを入れられた老木は二人に向かって倒れ掛かってきた。楓子はそちらに気を取られたが、老木は他の木々に寄りかかる形になり、地面に倒れることはなかった。そして視線を戻すと、銀太がいなくなっていた。再び木陰に隠れたのだ。同時に切断した左手も回収していた。
 銀太は戦えるような状態ではなかった。四つん這いでなければ移動もできなかった。『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』の効力が解けるまで逃げなければならなかった。銀太は斜面に立っている大木の陰に隠れて、ひたすらに動くまいとしていた。いつか見つかるのは当然だったが、それでも十数秒は時間を稼ぐ勝算は十分にあった。楓子は敵を探すために、木々を迂回している。確実に銀太の方に向かってきていたが、能力が解除されるだけの時間は掛かりそうだった。
 楓子は少しずつ銀太に近づいていったが、ついに十数秒が経った。
 しかし消滅した部分は回復しなかった。
 楓子のスペクトルが上昇している、銀太はそう理解した。

◆作者をワンクリックで応援!

1人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ