ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

2-3. 夜を駆けるはヤケクソ侍

エピソードの総文字数=4,182文字

 どうしてだろう。
 「死んだ」とか「人生終わった」とか、そういう瞬間。
 「やらかした」とか「取り返しのつかないことをした」とか、そういう瞬間。

 絶望する自分だけじゃなくて、絶望自体に興奮している(・・・・・・・・・・・)自分がいる。

 今だってそうだ。
 己の存在を投げ捨ててみせろと、自分自身が叫んでいる。
  
 ――証明しろ。証明しろ。証明しろ。これは機会(チャンス)だ。
 自分が死に向かって歩める者であることを、証明しろ!

 でもふと、疑問にも思う。
 僕はどうして――誰に対して証明したいんだろう?


     * * *


『イオリには一番槍を譲ってやる。わたしの期待に答えてみせろ』

 それって要するに囮じゃないか!
 そう言いたくなる気持ちをぐっと堪えて、伊織介は一人(・・・・・・)、夜の街を駆ける。

『なに、心配するな。いつだってこの魔女(わたし)がついてる』

 伊織介の傍にル=ウの姿は無い。彼女は別働隊だ。にも関わらず、傍にいるように声が聴こえるのは、魔術による念話――ではなかった。残念ながら、そんなに気の利いたものではない。
 伊織介の口の中に、もう一枚の舌(・・・・・・)が生えている。その舌がル=ウの声で彼女の言葉を伝えていた。

 他人の舌で口内を弄られているようなものだ。さすがに気味が悪かった。
 同時に、改めて魔女の能力(ちから)を認識する。確かに伊織介の身体は、もはや魔女(ル=ウ)のものなのだろう。男性器を取り外したり、喋る舌を生やしたり――他にどんなことをされるのか、想像するだけでおぞましい。

『あの化物の狙いはわたしだ。そして現状、最も強いル=ウ(わたし)におい(・・・)はイオリ、お前から出ている。放って置いても化物(あいつ)はお前を喰らいにくるぞ』
(ひどい!)
魔女(わたし)は優しい。良い働きをすれば、相応の褒美をくれてやるからな』
 
 どの道、文字通り大事なもの(こかん)を握られている以上、退くという選択肢は無い。
 いや、思えばオランダの奴隷だった時よりはずっとマシかもしれない。あの時は狭い甲板に押し込まれて、いざ戦になれば事情も説明されずに駆り出された。それと比べれば、多少なりとも口を聞いてくれる今の主人のなんと情のあることか……魔女らしく、やり口が悪辣というか卑猥なのは気にかかるが。
「……褒美、か」
 無意識に、左手は腰の鞘を撫でていた。青貝散らしの見事な鞘だ。ほとんど唯一の伊織介の私物。この小太刀を再び自分の手で振るえるのならば、今はそれでよしとしよう。
 伊織介は無理やり自分を納得させて、足を速める。考えるのも、迷うのも後回しだ。

 猛烈な暑さと活気に満ちた昼とは逆に、マスリパトナムの夜は静かだった。
 何せ、ここでは支配者(スルタン)の権力が絶対である。夜に出歩くのは、陽の下を歩めぬ事情のある者と相場が決まっている。堅気(カタギ)で夜の街に繰り出す愚か者はそういない。
 必然的に――騒ぎのする方向が、敵の居所だ。

『そこの角だ。身を潜めろ』
 ル=ウの声とともに、視界に半透明の矢印が浮かんで街路の一角を指し示した。
「……もう驚きません」
『賢明だな。言っておくがこれは幻影魔術の応用だ。イオリにしか見えない幻を視覚に投影しているだけだから、周囲からは見えない。安心しろ』
「これは……べんりな物ですね」
 伊織介は嘆息する。この言葉は本心だった。
『わかるかイオリ! もっと褒めて良いぞ! 本当はもっと複雑な映像を投影してイオリを洗脳するために練習したんだが、難しすぎて止めたんだ。でも戦いには役に立つだろ?』
「……聞きたくなかった話ですね……」
 伊織介は嘆息する。一瞬でも感動した自分に呆れた。

『イオリ、ヤツの姿を視認しろ。視界は共有してある』
 言うとおり、伊織介は慎重に角から覗き込む。

「こぉぉアァァァァァァァ……!」
 吠えながら街路を突き進む、内臓の化物(ペナンガラン)の姿が確認できた。彼我の距離は目測で二十間(約40メートル)ほど。腸で出来た触手を振り回し、壁や家屋を破壊しながら、あるいは運の悪い住人を捕食しながら、ゆっくりと身体を引き摺っている。
 その姿に、先の爆発の影響(ダメージ)は見られない。それどころか、周囲の住人を解体して、内臓の数を増やしている。

「……居ますね。元気そうです」
『朝までに処理しないと、会社(リチャードソン)魔女団(うち)も立場がヤバいなァ、あれ』
「もうだいぶ人が死んでると思うんですが……」
『人死にはよくあることさ。夜のうちに処理すればいいんだよ、夜のうちに』
 日本人はよく戦いよく死ぬ――そんなことをリチャードソンは言っていたが、この街の住人のほうがよほど雑に死ぬんじゃないか。そんな疑問を振り払いつつ、伊織介は呼吸を整える。

 ――さぁ、(いくさ)だ。

 魔女の奴隷。奪われた自由。怪しげな街。そんな些事を頭の隅に追いやる。
 ――鬼退治。古くは彦坐王(ひこいますのみこ)の土蜘蛛退治から、摂津守(せっつのかみ)大江山(おおえのやま)まで。日ノ本に生まれた者の端くれとして、化生退治に奮い立たないなんて嘘だ。
(今、僕は……伝説の尻尾(・・)に立っている)
 身震いする。小太刀を握る。

 長く息を吐いて――一息で街路に躍り出た。

「……いない?」

 消えた。化物の姿が消えた。ついさっきまでそこに居た筈なのに。破壊された家屋も、食い散らかした痕跡もある。なのに、あの内臓鬼(ペナンガラン)の姿がない。

『ッ!〝躱せ〟!』
 ル=ウの命令。考えるより先に身体が動き、伊織介は転がるように前に跳ねる。
 瞬間、伊織介の背後で轟音。振り返れば、そこに巨大な内臓の塊が蹲っていた。

「と、跳躍()んだのか……!?」
 あの巨体で、この距離を一息で飛んだ――物理的には有り得えない。
『ああ……わたしも驚いた。だがヤツはだいぶ太って(・・・)はいるが、元々はペナンガラン。内臓をぶら下げて、空を飛ぶ人食い鬼だ。跳ねるくらいは訳ない、か』
 ル=ウの声は冷静だ。同時に、視界に半透明の矢印(ガイド)が再び出現する。今度の矢印は、内臓鬼(ペナンガラン)の首を指し示していた。
『しかし、もともとのペナンガランとしての性質をそのまま残しているのなら。――弱点は、明白だな?』
 ル=ウの言わんとすることは分かる。分かるが――。
 内臓鬼(ペナンガラン)は、伊織介に向き直り、腸の触手を撚り始める。4本、5本、6本……その数は最初に出会った時より多い。
 ――僕に、僕なんかにできるのか?
 不安が去来する。疑問が心を塗り潰す。恐怖が鎌首をもたげる。足が止まる、戦意が削がれる、心が折れかかる。
 
 しかし、それは魔女が許さない。

『〝行け〟、イオリ! 首を獲れ!!』

 ル=ウの命令で、伊織介の身体は既に敵に向かって駆け出していた。

「……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 涙声で伊織介は叫ぶ。悲鳴と気迫の入り混じった鬨の声だ。
『言ったろ、イオリ! わたしがついてる!』
 視界に6つの矢印(ガイド)が伸びる。それぞれが、触手の攻撃方向を示している。
 伊織介は斜め上方から伸びる一本目の矢印を潜った。直後、矢印の軌跡通りに触手が通過する。
 足元を払うように伸びる二本目の矢印を飛び越える。直後、足元を触手が通過する。
 真っ直ぐ正面から突いてくる三本目の矢印を身を捩って躱す。直後、胸元を触手が掠めていく。
 四本目、五本目、六本目。再び一本目、二本目、三本目――ル=ウの示す矢印(ガイド)通りに、次々に繰り出される触手を躱していく。
「南無三っ!!」
 目に涙を浮かべて自棄(ヤケクソ)気味に叫びながら、敵の懐に到達。刀を握り、鯉口を斬る。
「こぉぉルわァァァァァァァ……!」
 触手で捕らえられないことに苛立った内臓鬼(ペナンガラン)が咆哮した。女首が直接噛み付こうと大口を空けて、ぞろりと生えた牙をむき出しにする。
 背の高い内臓鬼(ペナンガラン)が、伊織介を喰らわんと全身を屈めた。

『そこだ! イオリ!』

 ――言われずとも。ここまで来れば、僕の間合い(・・・・・)だ。

 軸足で地面を蹴って、全身で飛び込む。左手は鞘を握り、右手は柄だ。姿勢は低く、摺るように駆け――。
 抜刀。
 抜き打ちの勢いそのままに、刺すような一撃を首元に叩き込む。

「つぁッ……!」

 短い気合。刃は確実に女の首元を捉えていた。
 ぐっ、と手首を回す。全て教本通り、模範的な居合の一撃だった。
 
 ――ゴトリ。気味の悪いほどあっさりと、女の首が地に落ちる。

 首を失った内臓の塊が、緩やかに脱力した。立ち上がっていた触手も、力が抜けて地に伏せる。

 長く、息を吐く。血振りをして、ゆっくりと息を吸う。
「……や、やりました」
『イオリ……』
「首、獲りました……!」
 じわりと喜びが湧いてくる。思わず気が緩み、その場にへたり込みそうになる。

『違うんだ、イオリ! 〝跳べ〟!』

 ル=ウの命令に、伊織介の身体は逆らえない。しかしそれはあくまでも身体の反応次第――伊織介が動くより早く、身体は宙を舞っていた。
 自分で跳んだものではなかった。丸太のような触手が、伊織介に叩きつけられたのだ。

『イオリ!』
 伊織介の身体が街路に叩きつけられる。壁が崩れて、力の抜けた両足がだらしなく投げ出される。
『イオリ、立て! まだ終わってない、イオリ!』
 ル=ウの声がやかましく響く。伊織介の虚ろな瞳は、首の無い内臓の集合体が再び立ち上がるのを映していた。6本の触手が慌ただしく動いている。
 ――ずるり。と音がした。それは内臓の塊の内側から、もう一本の女首が生えてきた音だった。
「こぉぉぉわぁぉぉぉ……」
 新たに生えた首が、血走った目を眇めて笑う。それは獲物をいたぶる、捕食者の笑みだった。

 油断したなぁ。

 やっぱり鬼退治って、難しいや。薄れゆく意識の中で、伊織介はぼんやりとそんなことを考えていた。

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