ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

4-4. 会いたくない奴ほど最悪のタイミングで顔を出す

エピソードの総文字数=6,031文字

 船というものは、存外に沈まぬものだ。特に船と船との一対一での戦いにおいて、砲撃は必ずしも決定打にはならない。

 城攻めがそうであるように、砲で城壁を崩し、最期は兵士が切り込まねば決着はつかない。海での戦いも同じことが言える。互いに砲撃を交わす船は、乗員と武装を削り合いながら――最期は、接近戦にもつれ込む。

 〝接舷斬り込み(ボーディング)〟。頼りになるのは、剣と銃、そして運だけだ。


     * * *


「良い調子、良い調子ですわ! イオリノスケさんの精液(スペルマ)は実に良い調子でしてよ!」
「誤解を招くような言い方は止めてください!?」

 伊織介は悲鳴のように否定を叫ぶが……事実、フランの〝占い(オラクル)〟は好調だった。よほど触媒が良かったのだろうか、〝シェオルの十字〟も元気よく眼球を動かしている――伊織介にとっては、いささか複雑な心境だが。

 現在、メリメント号と敵ピンネースはT字に横切るように動いている。左砲戦の形を取るメリメント号は優位な位置に立ち、フランの指揮の下、敵ピンネースに次々に砲弾を見舞っていた。

「この精液(スペルマ)はよく当たりますわ! ねえイオリノスケさん、これから毎日(わたくし)に出してはくれませんこと?」
「だから本当にそういう言い方は止めてくださいっ!!」

 しかし、敵ピンネースは沈まない。南風を受けて北西に動くメリメント号は、傾斜の問題でピンネースの船体を狙うことが困難だ。砲や索具に順調にダメージを与えているものの、未だ決定打には至っていなかった。

「とはいえ――このあたりで一旦、撃ち止めかしら」

 ピンネースはきつい角度で攻め上がってくる。そろそろ左舷を向けられる角度でない――次は、メリメント号が艦尾を狙われる番になる。敵方はいくら砲弾を撃ち込まれても喰らいついてくる。恐るべき執念だった。
 次はこちらも体勢を整えねばならない。艦長(リチャードソン)の指示の下、砲列の代わりに今度は操帆の方が忙しくなる。

「フランさん。よかったらどうぞ」
 伊織介は水の注がれたカップをフランに差し出す。この僅かな休憩時間に、士官室から汲んできたものだった。
「あら。イオリノスケさんってば、気が利きますのね。……後で金貨を請求したり、しませんわよね。(わたくし)、支払うつもりはなくってよ?」
 水に一度口をつけてから、フランは眉をひそめた。急に不安になったらしい。
「そんな、この程度のことでお金をせびったりはしませんよ」
「……ならば、良いのですが」
 一気に水を飲み干すフラン。よほど喉が乾いていたらしい。口調こそ威勢が良いが、やはり砲戦の〝占い〟は体力を消耗するようだ。

「そういえば、フランさん」
「はいはい? なんですの」
「どうしてそんなに、お金に拘るのですか」
 ふと沸いた疑問だった。戦いの最中、緊張が緩んだ瞬間だからこそ、素朴な疑問が口をついて出てしまう。
「拘らない理由がありまして? 金貨が全てを決める時代ですわ。お金があれば、なんだって買えますのよ」
「確かに、リズさんもそんなことを言っていました。魔女として生きるには、それだけでお金がかかる、と」
「むむむっ! リズがですって!? リズと被るのは業腹ですわ。ならば、特別にお教えしましょう。私が金貨を求める本当の理由は――」
 よほど悔しかったのだろうか、フランが露骨に顔をしかめる。

「名誉を、買い戻すため。でしてよ」

 普段の彼女からは想像もつかない――哀しいような、苛立つような。複雑な表情を浮かべて、フランは天を仰いでいた。

「それはいったいどういう――」
「はいお喋りおしまいですわ! 皆さーーーん伏せてくださいましー! 砲撃が来ますわよー!」
 会話は敵の砲撃で打ち切られる。彼女の言葉通り、すぐに砲弾が降ってきた。

 フランの〝占い〟のおかげで、メリメント号側の負傷者は極めて少ない。攻めも守りも、彼女が(ふね)を支えていることは確かだった。


     * * *


上手回し(タッキング)、用意!」

 艦長の号令で、各員が持ち場につく。艦に一層緊張した空気が流れる。

 熟練の船乗り達ですら、気が張り詰めるのも無理からぬことだった。上手回し(タッキング)とは、風下側に回る下手回し(ウェアリング)とは逆で、風上側に回り帆の開きを変える操帆のこと。風に艦を立てねばならない、困難(リスキー)な機動だ。一歩間違えば、艦は風に煽られて速度を失い、操舵不能に陥ってしまう。戦闘中に失速に陥る危険は言うまでもない。

「ラティーンスルブーム、ホールイン――取舵一杯(ハードスタァボー)!」
 下手回し(ウェアリング)に対し、上手回し(タッキング)での機動は遥かに小さいスペースで回頭できる利点がある。現状を鑑みれば、大回りな下手回し(ウェアリング)では、風上側に居る敵船に脆弱な艦尾を長時間晒すことになってしまう。よってリチャードソンは、下手回し(ウェアリング)で敵に無防備な背後を晒すことよりも、上手回し(タッキング)で敵前で回頭することに賭けたのだ。

風上一杯(ハード・オーバー)!」
 ル=ウが報告を叫ぶ。メリメント号は風上に艦首を向け、フォアマストの帆がバタバタと暴れ始める。行脚が徐々に落ちていく――。
「タック、シート上げ――今だ、メンスル回せぇっ!」
 艦首が風上に向き切った時、艦長は叫んだ。メインマストの帆が一気に回り、反対向きに開きが変わる。
「舵戻せ――フォアヤード回せ――よし、メンスル開け!」
 徐々にメリメント号は加速を始める。左舷一杯に開いた帆が風を受けて揚力を生み、船体は風上に向かって押し上げられる。
「展帆! ハッハー! 吶喊(とっかん)である!」

 行脚が安定し、メリメント号は南風の中、南西に向けて帆走(はし)りだした。
 船員たちが気勢を上げる。誰から見ても見事なまでの、お手本のような操船だった。

 風上に切り上がるメリメント号は、風下側のこちらに向かって直進する敵ピンネースと正対する形となった。
 艦長の取った作戦は単純だ。要は囮のピンネースを素早く倒し、後続の重ガレオンからはさっさと逃げる、ということである。しかし、それには正確な操船と、何より度胸が要求される。

「真っ正面からのぶつかり合いである! 艦首旋回砲、順次発射! 撃ちまくれい、気迫で負けるでないぞ!」
 艦首楼(フォアキャッスル)に備え付けられた旋回式の小型砲、ファルコネット砲二門が火を噴いては、次々に砲弾が運び込まれる。だがそれも牽制にしかならない。
 
 いよいよ――互いの船員の容貌すら確認できるほどに船同士の距離が縮んでくる。

「お嬢! 海兵隊の指揮、預けたのである!」
「任された――海兵隊、射撃準備! 構え!」

 ル=ウの号令で、海兵隊――斬り込み専門の水兵たち――が、マッチロック式マスケットを構えた。砲戦に続き、射撃戦の間合いに入ったのだ。



「……イオリノスケさん。(わたくし)はもう大丈夫ですわ。この距離ならば、負荷もだいぶ軽くなります」
 フランが手巾(カチーフ)で汗を拭った。確かに、しばらく長距離砲撃の出番もなさそうだ。
「そうですね。そろそろ、僕も出番みたいです」

「ええ。――イオリノスケさん、どうかお気をつけなさいな。あちらには、大物(・・)が居ましてよ」
 フランは自ら十字架を支え、敵ピンネースを睨んでいた。 


     * * *


「リズさん! 持ってきました……うわっ」
 弾帯と火薬入れを満載した伊織介は、思わずその場に屈み込む。砲弾の風切り音が、頭上を通り過ぎていく。
「イオリノスケくん、早く!」
「は……はい!」
 転がるように艦首楼(フォアキャッスル)に飛び込み、リズの足元に弾帯をぶち撒ける。

 そこは既に、戦場だった。

 海戦のように優雅で気長で残酷なものではない。陸兵同士の、泥臭く血腥い戦場だ。

「頭! 下げる!」
「はいぃっ!」
 リズの指示で、船縁に頭を隠す。号令の声が聴こえて、敵マスケット兵の一斉射撃が白煙を噴いた。――反応の遅れた水夫、運の悪い味方が、幾人か倒れていく。

「撃ち返すよ――〝靴屋の妖精(ルコルパン)〟、手を貸しておくれ」

 リズが銃身に軽くキスをして、構えた――と思えば、ふわりと槊杖が浮かび、ひとりでに動いて(・・・・・・・・)、弾込めが完了する。

「まず一人」

 ばしゅ、と小気味の良い射撃音。敵船の兵が倒れる。リズは火縄銃(アルケブス)を構えたままだが、しかしやはり、ひとりでに槊杖が動いて(・・・・・・・・・・・)次弾が装填される。

「二人」

 撃発(トリガー)。火縄が火薬を叩き、着火。煙を噴いて、また敵兵が倒れる。

「次だ。――三人!」

 再び、リズは一切動かぬままに、次弾が装填される。撃発。敵が倒れる。

 マッチロック式の火縄銃(マスケット)の装填には、通常どんなに訓練を積んだ銃兵でも数十秒から1分弱はかかる。撃てば撃つほど煤も溜まり、再装填には時間がかかるのが常識である。

 だが〝白魔女(ヴァイスヘクセ)〟リーゼルの魔術は、その装填の隙を無視する(・・・・)

 〝靴屋の妖精(ルコルパン)〟。その名の通り、夜中に主人の作業を助ける小人妖精(ポルターガイスト)の逸話を起源とする魔術。実際に小人がリズの銃にせっせと弾を運んでいる訳ではない。彼女は〝小人の作業〟という結果だけを拝借(・・・・・・・)しているだけだ。

「――フラン達の魔法と比べれば、やっぱり地味なんだけどね」

 リズの連続射撃で、敵の銃兵があらかた引っ込んだ。その隙に、リズも銃を交換する。

「いやいや、これだけ連射できるのは反則ですよ」
 事実、リズはたったひとりで制圧射撃を完成させている。敵兵はリズの圧倒的な連射能力のせいで、まともに頭を出して狙うことすら難しい。
「僕も火縄は扱えるつもりでしたが……リズさんのお陰で、出番なしですね」
 これほどの射手は、日ノ本にもそうはいまい。伊織介は射撃はリズに任せ、弾薬運びに徹していた。
「そうかい? そう言ってくれると嬉しいね。でも――」
 リズは慎重に船縁から頭を出して、敵方を見遣る。

「――すぐに出番が来るよ」

 互いの船は、さらに距離を縮めて、もはや衝突寸前となっていた。


     * * *


「ぶつかるぞ! 全員掴まれえええ!」

 ル=ウが甲高く叫んだ次の瞬間、メリメント号は敵ピンネースの左舷側に激突した。充分に艦首斜檣(バウスプリット)が敵甲板上に突き刺さり、索具をめちゃめちゃに破壊していく。
面舵一杯(ハードポート)! 堪えるのであるぞ!」
 船縁に掴まりながら、リチャードソンの命令が飛ぶ。めりめりと木材の軋む嫌な音が轟いて、その声もかき消されそうだ。
「くっ……!」
 艦の最前部にしがみついていた伊織介にも、洒落にならない衝撃が伝わる。手近な横静索(シュラウド)にしがみついて、振り落とされないようにするのがやっとだった。

 二つの船体は凄まじい音を立てながらぶつかり合う。幾人かの水夫が海に振り落とされ、甲板上がでたらめに散らかり、索具がいくつか千切れ飛び――やがて、ピンネースの右舷にメリメント号がこすりつけるような形で止まった。



『――行け、イオリ! お前が先頭だ』

 事前に生やされた〝魔女の舌〟が、伊織介の口内で吠える。
「ぼ、僕がですか!?」
 揺れと振動にどうにか耐えていた伊織介には、青天の霹靂だった。
『サムライだろ! 先陣は名誉なんだろう!? 行って、お前の武勇を見せてみろ!』
「分かりました、分かりましたよ! 僕が死んだら、グリフィズ卿のご飯、頼みますからね!」
『大丈夫だ、イオリ。お前にはわたしがついてる』

 ――とはいえ、〝接舷斬り込み〟も初めてではない。オランダの奴隷だった時は、船をぶつけて乗り込むほど劇的なものではなかったが――斬り合いになれば、そこは伊織介の間合いだ。撃ち合いよりはよほど命の張り方(・・・・・)は心得ている。

「伊織介、一番槍! 行きます!」

 自棄(ヤケクソ)気味に叫んで、伊織介は艦首斜檣(バウスプリット)を駆け上がる。一歩飛び込めば、そこはもう敵の甲板だ。

 どんっ、と音を立てて着地。伊織介の武器は、愛用の短刀と、腰に吊った歯輪(ホイルロック)式短銃(ピストル)が二丁だ。敵地に踏み込み、伊織介は予断無く刀を抜いた。

 敵船の状況は――やけに静かだった。甲板の構造は、艦首楼と艦尾楼が無い分だけ平坦に見える。血や木片が散らばり、撃たれた兵の身体が転がっているものの、立っている敵兵の姿が見えない。

(……これは)

 その奇妙な静けさに、伊織介は思わず足を止める。

「オオオオオオオオオオッ!」
 直後、背後から野太い叫び声――味方の海兵隊が、伊織介に続いて斬り込んだのだ。十数名ほどの体格の良い男たちが、鬨の声を上げながら、舶刀(カトラス)片手に突っ込んでくる。

「――待った、まずい! これは待ち伏せだ!」

 叫んだ伊織介だが、遅かった。

「……ご名答ォっ!」

 ばぱぱぱぱぱ、と一斉に弾ける音。白煙が上がる――味方の海兵隊がばたばたと倒れた。
 ――マスケットを構えた敵兵の一団が、甲板後方から姿を現していた。あの混乱した状況下で、淡々と待ち伏せの準備を整えていたのだ。

「お前は……っ!」
 とっさにメインマストの影に隠れた伊織介は、一斉射の餌食にならずに済んだ。だが味方は惨憺たるものだ。斬り込んだ海兵の半数が死傷。何より、思わぬ伏兵の出現に、意気が折られている(・・・・・・・・・)。逃げようとした一人の海兵が再び狙撃され、そのまま海に落ちた。

「どォォォォォーも、久しぶりだなあ! いやそうでもねェなあ! 良い天気ですねェ死ぬには良い日だと思わねェかい、ミスター・イオリノスケぇ!!」

 戦場には不似合いな、異様なほど上機嫌な声が響き渡る。姿を表したのは、見事な奇襲を指揮した男――刀を構えた、隻眼の大男。

「フザ=アルフォンソっ……!」
 忘れもしないその名前を、伊織介は苦々しく吐き捨てる。

「覚えてくれてて嬉しいぜい! さあさあ、今日はおままごとは抜きだあ。本気(マジ)真剣(マジ)で――殺したり殺されたりしようぜェ!?」

 フザが吠える。次の瞬間、敵の銃兵たちが長銃を捨てた。そして舶刀(カトラス)を抜き――前甲板に向けて、突撃を開始した。

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