【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-12 火焔

エピソードの総文字数=3,307文字

ア・ツ・イ……。
 英司に掴まれた腕が熱い。

 だがそれは英司の手から伝わるものではなかった。

 呼吸のたびに肺まで焼けるような熱気が入り込んでいるのは……果歩の身体が炎に包まれているせいなのだ。

 耳の奥で甲高く繰り返される呪詛の言葉を聞きながら、果歩はそれを悟った。

 英司の手からその爆発的な炎を生み出す力が、果歩の身体の中に流れ込んできている。

これ、知ってる。

前……ずっと前にも……。

 そう、記憶を遡ることも困難なほど幼いころに、果歩はこの手応えを感じたことがあった。
 果歩の体から迸り出た炎は、数日前、茂の部屋でブログを見ていたときに偶発的に生み出された炎とは桁違いに強大なものだった。
(大間という〈場〉を得たからなのか……それとも……)
 炎の勢いに圧倒されながらも、茂はその炎の中心に立ちすくむ果歩と英司の姿を見つめていた。

 自らの放った炎に焼き尽くされて息絶えたあの中学生――Kazupon――の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。

 王牙ほどの力を持つ魔物なら、その核となる媒体にも強大な魔力に耐えうる資質が要求される。Kazuponが焼死したように、媒体の多くはその資質を満たすことができなかっただろう。気の遠くなるような試行錯誤を〈彼ら〉は繰り返したに違いない。そして……大間を舞台に壮大なゲームに興じたかつてのプレイヤーたちはついに果歩という素材を手に入れたのだ。

 ――いや、それだけではない。

『ジャングルに虎がいる』というお伽話には、もっと別の……もっと大きな意味があるのではないか。

 そんな思いが湧き上がってくる。

彼らのゲームは、まだ終わっていないんだ……。

 この事態を、過去の伝説のゲームの残滓だ……などと思えるわけがなかった。

 果歩、篤志、英司の3人は……。いや、あのお伽話を知っている〈大間の子供たち〉は、今もそのゲームのコマとして存在しているのだ。
英司っ! がきの手を離せっ!!

早くしろ……っ!

 血に染まった水の塊に手を突っ込んで〈核〉を鷲掴みにした体勢のまま、篤志はそう怒号を放った。

 核から感じる手応えが次第に弱まっている。

 最初に掴んだときと比べれば、核そのものもひとまわり小さくなって手のひらに馴染む。篤志の腕を切り裂こうとしていた水のうねりも……もはやほとんど感じ取ることができなかった。

(炎のせい……なのか?)
 理由は分からなかった。だが確実に、水の獣は疲弊し、衰弱している。

 そして篤志の身体には、これまで自分でも感じたことがないほどの力がみなぎっていた。腕を引きちぎられかねない傷を負っているというのに、その痛みは――苦痛とはまったく別のものとなっている。

 痛みも、疲労も、すべてがただの自覚でしかない。

 そこに傷があるという事実を認識する感覚があるだけだ。

 もし小霧の抵抗がもっと激しくて、篤志の腕をあの鉄パイプのように粉砕することができたとしても、篤志は攻撃を押しとどめることなどなかっただろう。

 例え片腕を失ったとしても、その程度のことで何かを諦める必要なんかない。


早くしろっ!

もう一度この団地を吹っ飛ばすつもりかっ! 英司っ!!

 その篤志の怒号に、英司はわずかに身体を震わせただけだった。

 耳には確かにその声が届いている。理解もしていた。それなのに身体が思うように動かない。果歩の腕を離せばいい。それだけだ。だが、それを行動に移すことを思いきれない。

 手を離したら――すべてが終わってしまうことを英司は〈知っている〉。

(篤志さんのいう通りだ。このままじゃ……)
 そう考えている表層の意識とはまったく別の場所で……。
手を離したら、

またアイツに果歩を奪われる……!

 その気持ちが英司を支配している。

 このままでは篤志の言葉通り、10年前と同じ惨劇を繰り返すことになるだろう。だが英司には何もかもが遠い場所のの出来事のようにも感じられた。目前に迫った炎に立ちすくむ茂の姿も、篤志が水狐とつかみ合いになっている姿も見えているのに、何もかもが現実感のないただの映像だった。

 顔の腕を掴んでいる手応えだけが、英司にとって重要な意味を持っている。

果歩を手に入れることが、俺にとっての〈勝利条件〉なんだ。

誰に命じられたのかわからない。

でも……。


俺だって、負けるわけにはいかなくて……。

 王牙は完全に虎の姿を形作り、その炎はホールの天井を焦がすほどに膨れ上がっていた。
……見えた。
 果歩の口が動いた。

 その目は天井の一点――青白い光の漏れる亀裂へと注がれている。

(あの向こうに小霧の本体がいるのか……!)
 英司はそれを悟った。

 果歩の……いや、王牙の双眸は上層に立つ小霧の姿をはっきりと捉えている。激しい破壊の衝動、どす黒い殺意が渦巻くその炎で、小霧の本体もろとも、あの水狐を葬り去ろうとしている。

 これがゲームかどうかなど、果歩にも王牙にも関係なかった。

 果歩はただ篤志を助けるために、そして王牙は世界を焼き尽くすその本性のままに行動しているだけなのだ。

果歩っ!
 何としても果歩を止めなければならない。

 今、篤志の頭にあるのはそのことだけだった。

 これが――フクなのか、それとも威月なのかわからないが、あの男の言う通りのゲームなのだとすれば、果歩はただのコマに過ぎない。そのただのコマがプレイヤーである小霧に襲いかかることなんてことはルール上不可能なのかも知れない。

 だがそれでも……果歩を止めなければ何が起こるかわからなかった。

 事実10年前、ゲームのさなかに王牙はゲームフィールドそのものを壊滅させたのだ。それがもう一度起ころうとしている。そうこれは、ただのゲームではない。パソコンやネットの中の出来事とは根本から違う。巻き込まれれば誰かが……いや、果歩自身が死ぬかもしれない〈現実〉なのだ。

(それを止められなければ、俺は……)
 その瞬間、膨れ上がった王牙の火焔が天井を突き破った。

 小霧の身体を吹き飛ばして上層を突き抜け、さらにその上層へ……。地すべりに飲み込まれた5階建てのクリニックビルを貫通して轟音とともに上空へとその炎を吹き上げた。

くそっ、馬鹿が……っ!
 篤志が水狐の核を握り潰したのはその瞬間だった。

 たった今まで確かに掴んでいた手応えが不意に失われ、指のあいだからするりと逃げていく。と、同時に、まるで水風船が弾けるように水狐はただの水に戻った。その水は、床に広がるよりも早く王牙の炎に炙られて蒸発してしまう。

 もうもうと立ち上る水蒸気を踏み越えて、篤志は王牙の前に立ちはだかった。

 突き破られた天井から、外界の光が差し込んできていた。

 陽炎のように揺らめく王牙の炎のを透かして、立ちすくむ英司と果歩の姿が見える。

 炎は篤志にも容赦なく迫っていたが、篤志はその炎をまったく感じていなかった。獣の咆哮とも思える轟音が、篤志の耳の奥に響いている。

 天空を焦がす炎。

 焼かれて飴のように溶け、崩れていく鉄の柱。

 黒煙が舞い上がり、鼻をつく異臭が立ち込めている。

あのときも……俺はこの雄叫びを聞いた。

そしてあのときも俺は、俺だけがこの炎の熱を感じなかった。

 何もかもが炎に包まれ、人間が薄っぺらい紙のように燃え上がる地獄の釜の光景の中で――あのときも炎は篤志にだけは触れようとさえしなかった。
俺は、大間にいたのか……。
 篤志はじりっと1歩、燃え盛る炎の中に足を進めた。
あのとき……大間団地の崩壊を、俺は何もできずにただ指を咥えて眺めていたのか。
 その事実が、鋭い棘となって今も篤志の中に残っている。

 何もかもを忘れ去っても『ジャングルに虎がいる』というお伽話のことを思うたびに、篤志の気持ちをひりひりと逆撫でし続けていたもの。

(俺が無力ながきだったばっかりに……。果歩を……英司を……、あの虎を止められなかった)
もう終わりにしようぜ、果歩。
 篤志は渦巻く炎に煽られて人形のように立ちすくむ果歩の腕を取り、渾身の力を込めて拳を握った。
もし死んでも、恨むなよ――英司。
え……?
 篤志の言葉の意味を理解できずに英司が首を傾げる。

 その英司の顎をとらえて、篤志の拳が炸裂したのはその瞬間だった。

◆作者をワンクリックで応援!

3人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ