【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-06 こんばんは

エピソードの総文字数=3,504文字

(私、どんな顔してればいいの……)
 百合はぼんやりと窓の外を見下ろしていた。

 背後では、突然訪ねてきた茂が――百合の入れたコーヒーを飲みながら果歩たちの現状を話してくれている。だがその状況を、どう受け入れればいいのか分からなかった。


 新宿での騒動のあと、由宇を連れて帰ってくるまでは百合もなんとか落ち着いていられた。不安がって泣く由宇を大丈夫よと励ます余裕さえあったくらいだ。

 だがひとりで家に戻り、果歩からの連絡がくるかもしれないと握り締めたスマホを睨んでいるうちに次第に絶望的な気分になっていたのだ。

(……きっと、泣き過ぎて目が腫れてる)

 それを見られたくなかった。

 だから視線を合わせることを避けて外ばかり見ている。

 マンションのリビングからは隣接する児童公園が見下ろせる。今は灯りがぽつんと一個ついているだけで、街の光景にぽっかりと暗い穴が開いているようだった。
 ここには引っ越してきたばかりだった。

 果歩を引き取ることになって、それまで住んでいたワンルームマンションでは手狭になったからだ。
 不動産屋に駆け込んでから入居まで、わずか1週間の……あわただしい引越し。すぐに果歩との生活が始まった。考えてみればゆっくりとここから外を見るのなんて初めてのことだ。リビングの片隅にも、まだ手付かずのまま引越し屋のダンボールが積んである。

『来週あたりに入居できる2DK以上の部屋で、できれば公園なんかが近くにあるようなステキな物件がいいんです!』
 ふらりと入ってきた一見の客にそんな条件をつきつけられて、多分不動産屋は困惑したに違いない。それでも何とか公園に隣接している物件を探し出してきたのは、不動産屋の意地だろうか。

 百合が思い描いていた『おしゃれなパークサイドの物件』とは、多少趣きの異なる立地だったが、現実(例えば差し迫った時間とか、予算とか)と向き合って考えれば、これ以上はない物件だっただろう。

 ため息をもらして、百合は時計に目をやった。

 もう12時近い。

(どうすればいいんだろう……)
 茂は、今、大間で何が起こっているのかを全部話してくれた。

 ――いや、彼の言葉からすると、今の彼は〈茂ではなく、半分はあの落下地点の魔法陣に立っていた妖怪ということらしいが。

 だがそれを百合は、どう理解すればいいのかよく分からなかった。

 果歩たち4人が新宿の地下から姿を消し、今は廃墟となっている大間団地に閉じ込められている。しかもそこで妖怪たちとの『ゲーム』に勝たなければ脱出することさえできない。

 だが……。


 そんな話をいきなり聞かされたって、一朝一夕に理解できるわけはなかった。

果歩……怖がってなかったでしょ。
 茂の話が全部終わったとき、百合はようやく口を開き、ぽつりとつぶやいた。
え?
あの子、ちょっとぼんやりしてるっていうか、物に動じないっていうか……そんなトコあったから。

ほら……突然真っ暗闇の中で目を覚ましたら、普通、不安になったりするじゃない? 

でも果歩は、暗いところも知らない場所も……ぜんぜん怖くないみたいなのよね。小さいころにもね、夜中に家から出てっちゃったりして、大騒ぎになったことが何度もあったの。

小さいころって……大間にいたころですか?
そう。

果歩……まだ3つだった。

そのときはね、結局、よその家で寝てたらしいの。朝になってその家のおばさんに手を引かれて帰ってきたときにも、けろっとしててね。


――あの団地、子供が多かったから、外で遊んでいるところはよく目にしてても……その子がどの家の子供かなんて、みんなあんまり気にしていなくて……。

そういうこと、何度くらいあったんです?
……んー、私もはっきりとは。

私、一緒に暮らしていたわけじゃないの。姉の家にしょっちゅう入り浸って、週末はいっつも泊まっていたけど。

 百合は少し口篭もった。

 なぜ姉の家に入り浸っていたのか……その理由を口にすることはできなかった。

そうだったんですか。

――てっきりあの団地の子なのかと思っていました

やっぱり、あなただったの?
 茂の顔をじっと見つめて、百合は言った。

 百合には、目の前にいる青年は茂にしか見えない。ついこの間、初めて会ったばかりの大学生だ。

(姪っ子の友達のお兄さん。……そういう人のことを何て言えばいいの? 『赤の他人』に限りなく近い人。それなのに、すがれるのはこの人しかいないなんて)
何がです……?
新宿の喫茶店で電球が割れて真っ暗になったとき、まるで床が抜け落ちて落ちて行くみたいな感じがしたわ。そしてその底に、〈あなたの姿が見えた。

私……覚えているのよ。

大間で会った男の子のこと。

王様と虎のお伽話を聞かせてくれたことも、火の虎が来たときに助けてくれたことも。

あ、あなたが私に……。

……。
 茂は何も言わなかった。

 ただ困ったように……あるいは誤魔化すように笑みを作っただけだ。

……ごめんなさい。
 その笑みに、百合は続く言葉を絡め取られてしまった気がした。

今の私は……『あなたを覚えている』なんて言うべきじゃないんでしょうね。

 大間団地にいた女の子のことは覚えている。忘れるわけはなかった。

 だが今――ひとつの身体にふたり分の記憶を持った茂にとって、その思いもまた二重に複雑なものだった。

 大間崩壊の夜に百合の手を引いて走った自分と、果歩の叔母である百合と出会った自分。そのふたつの自我のあいだで、茂の気持ちは揺れていた。

……え、ええと……果歩のことだけど……。

果歩もあのお伽話を知っていたなんて、私このあいだまで知らなかったの。あの子、一度もそんな話、したことなかったから……。

 気まずい空気を何とか変えようと、百合は話題を変えた。

 茂の固い表情が、少しほぐれたように見える。
あのお伽話は、大間団地の子供たちならみんな知っていました。果歩のように小さな子でもね。

そして、これは私の推測ですけど……。

あのお伽話は王牙を呼び出すキーワードだったんですよ。

キーワード?
果歩が私の家で王牙を呼んだのは、みんなで英司くんのブログを見ていた時です。あのお伽話のあらすじを読んでいる最中に、果歩は突然、自分の意志とは関係なく王牙を呼んだ。

――私が目撃した中学生の男の子が突然自宅で燃え上がった時も、パソコンを使っている最中だったそうです。

彼はオンラインゲームに熱中していたそうですよ。インターネットでいろいろなWebサイトを見たりもしていたんでしょう。ゲームのことを調べて行くうちに英司くんのブログの存在を知ったとしても不思議はない。『ミノタウロスの迷宮』絡みでは有名ですし、ファンブログからよくリンクされていますから。

それにあの中学生は、10年前に両親を事故で失ったのちに養子になっているんです。10年前ですよ。おそらく……。

じゃあ、その子も大間団地の……?
調べてみないと断言はできませんけどね。
でも待って、おかしくない?

そういう話なのだとしたら、篤志くんや私に何も起こらなかったのはなぜかしら。それにあのページを作った英司くんだって……。

第一、篤志くんは大間団地の出身じゃないって言ってたはずよ。

お伽話を知っていることと、王牙の媒体であることは、必ずしもイコールである必要はありませんよ。

王牙というのはそう簡単に呼び出せるような手軽な存在じゃない。媒体にも向き不向きがあるはずです。Kazuponという中学生が焼死したのだって、そのせいだ。王牙の力が強すぎて、媒体が保たなかったんです。


――確かに篤志は今のところ唯一の例外ですけれど。

 今のところ……と、念を押すように茂は言った。

 いずれ例外ではなくなるのだという確信が、茂にはあった。

――ああ、すっかり遅くなっちゃいましたね。

百合さん、明日も仕事でしょう? とりあえず果歩のことは心配しないでください。1週間もあれば帰ってこられます。学校の方だけ、なんとか上手く誤魔化しておいてください。

また状況知らせに来ますよ。

 そう言って、茂は立ちあがった。

 茂にとっても今は時間があまりない。

 ひとりきりになれば、また百合は不安にかられて泣くだろう。それは分かっている。百合のそばにいてやりたいという気持ちも捨てきれなかったが、大間に残してきた3人のことが気がかりだった。

茂くん……。
 玄関へ向かった茂を、百合が小走りに追ってきた。

 振り返りざま、茂はその百合を抱きとめるように手を伸ばした。だが一瞬のためらいがその行動を阻む。

大丈夫、果歩は守ります。
 百合の肩にその手を乗せて、茂は笑顔を作った。
――少し目を冷やして、ちゃんと寝てください。百合さんの方が心配だ。

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