いかに主は導きたまうか。

7. Forward Coordinate アネクドーツ7。

エピソードの総文字数=3,063文字

  次章から、話はボクが両親の会社に入ってからのことになる。三部構成。ここからのドラマは、かなり象徴的なものとも言える。まず[Pt.1]は社長であった父が亡くなるまで。*入社して数年後といった割と短い期間でこれは起る。父の夭折後は母が社長になる。これ以降が[Pt.2]。そして社長である母が、ある事情により、ボクを排斥し社外へと追い出す展開が[Pt.3]である。

概要としては:
[Pt.1]:会社の問題とその解決の営為。
[Pt.2]:会社の乗っ取りを図る人々との戦い。
[Pt.3]:お家騒動を原因とする、故なき断罪と放逐の流れ。となる。

  会社の乗っ取り、お家騒動も含め、父亡きあとのボクの身の上は、かなりに不遇なものになっていく。上に「象徴的なもの」との言葉を使ったが、その意味は、これからの展開は、聖書にあるドラマを、かなりに矮小化されてはいるが、[なぞっている]とも言えなくもないからだ。*それも、未だ前奏曲なものでしかないが...。「イエスのあとを、同じく辿(たど)ること」が、キリスト教徒としての定めなのかもしれない。ならば「幸いであった」と自分は思わねばならない。これは、やがて分かること...。いつか感謝をすることになること...。この世を去ってからは間違いない。
  

本町編の補完:

  住むべき所を父親に相談した。会社の書類関係を収納しているマンションがあるので、そこに住めばいいとのことだった。江坂と緑地公園の丁度真ん中、御堂筋の側にそれはあった。車を使えば、事務所としての便はいいのであろうが、人が住むには適していなかった。内も外も殺風景、まったく生活感を感じることのできない場所だった。*室内はダンボールだらけ。まあ家賃はいらないかったので、そこは恵まれていた。

  ある夜、マンションに帰って、黙示録を読んでいた。おかしな没入感があり、自分が平素とは違っているのに気付く。自分の中の[何が]これを読んでいるのかが分からい状態になった。この後、眠りにつくと金縛りにあった。人生で初めての体験であった。

  座禅は続けてはいたが、先にも書いた通り、不完全極まりないものにしかならなかった。ただ、これもプロセスの一環と思い、続けていた。助けになるかと、音楽を聴きながら行ってみると、音像が立体的に感じることができた。これが「音がみえる」のことなのかと驚いた。*昔、オーディオのコピーでこんなのがあったのだ。大阪に移ってからは断食をすることも、鞍馬へも、教会へも行くことはなくなった。だが、毎日の祈りは欠かさない。

  

付録:

社会人としての生活において、よく思い起こし、意識する規範をあげさせて頂きます。ほとんどは、あの金眼の[おばば様]の語ったものです。少しコメントも添えましたが、これはあくまで独り言です。お気には、なされないで下さい。

*できるだけ自分を人の後ろにおく(自らへりくだる)。
「前へ、前へ」が人の性なのだ。よって、これは簡単。自分のプライドを捨てればよいだけ。捨てたとて別段、問題は自分以外にはありません。なぜか自分が弱まるのが難儀なだけ。また、道で進むにおいて人と鉢合わせになったなら、「では、どちらへ」を問えばいいだけ。相手が右なら、こちらは左へ。

*自分のことをなるべく語らない。
人は、本心としては、他人の優れていることなどに関心はありません。逆に、自分が、なにがしか褒めてもらいたいだけ。むしろ人への思いやりとして、聞いてあげるのは大事かも。

*つまらない好奇心をもたない。
「下司の勘ぐり」、「どうでもいい」、「知るに値せず」。陸(ろく)なことがないので話としても巻き込まれないほうがいい。もし自分の心が動くようならば、これを切る。

*他人の問題に手をださない。
これは重要で、以外と難しい。英語の定型句 [Non of your business] が、なぜあるのかだ。「関係ない」が客観的な事実なのだ。なのに、これが分からずに参与してしまう。結果、訳の分からない地平に行ってしまう。回りは正すのもバカらしいので、当人は放っておかれる。何故わからない?。まるで、自分が偽善者であることの自覚がないかの如し..。

*他人の過ちを大目にみる。
人の落ち度や失点を突くのがみんな大好き。でも自分は同調しないで、欄外に逃れましょう。裁定者としてあるときは、自分が[同じ立場に落ちるいる]ことの可能性を考えましょう。自分には厳しくしても問題はない。

*身に覚えのない非難も甘受する。
別に、いいじゃないですか。失点の一つや二つ、ただでくれてやっても。甘受するは、以外と難しい。自分を捨てなけりゃならない。すぐにケロリと忘れられます。

*他人の求めに譲歩する。
これも、とても難しい。大体、受益者でもない者が、独善的に我意を通して物事を行ってしまっていることが多い。また向こうも、優しくすると際限もなく付け上がり求めてくる。客観的に、どの辺がバランスかを毎度、見切れなければなければならない。少しずつ、ブレーキを踏み踏み、キャパを広げていくしかない。我意を捨てるに尽きる。当然、最終は全てだ...。

*侮辱されたり、悪口を言われてもおこらない。
*無視されたり、忘れられたり、軽蔑されても怒らない。
こういったことは、さんざある。感情が反射的に反応するので、これに介入をする。怒りを止める、捨てる、殺す。がっかりしない。練習する機会は山のようにある。

*まわりからの賞賛を求めない。
これへの飢えは、根深く、強い。ボクは天の神様がいなかったら、とうに折れている。彼だけが知っていれば十分。また自分は、当然知っている。その奮闘を、努力を。

*議論において自分が正しくても言い張らない。
別に拘(こだわ)る必要はない。バカらしいから、無用な議論は避ける。長くみれば、正解に間違いなく収斂する。その時にも沈黙する。

*奪いとろうとするものに抵抗しない。
これは、本当に難しい。また、とても悲しい。できない。せめて、手を打つことは怠らないが、それでも駄目なら、そうなることが天意として諦め、受入れるぐらい。

*盗まない。嘘をつかない、人を傷つけない。
とてつもなく根深い。ストレスに晒されて初めて、自分の性が、いかに酷いものでかが分かる。自分が、盗む者、嘘をつく者、傷つけることに無頓着であったり、楽しんでいる者であるかが。そして、これらは根本的に消しがたいものだ。超長期を覚悟せねばならない。

*いつも最も困難な道を選ぶ。
勇気がいります。これは「狭き門より入れ」のことなのだと思う。意外と実りは多く、思う程、大変ではない場合もある。安楽を捨てる。

*あなたを害するものの為に祈りなさい。
怨まない。呪わない。「改まりますように」と祈ってあげる。小さな苦しみ、大きな見返り。彼方での営為にて。

*◯◯に「◯○だ」と言ってはいけない。
絶対にダメ。堪えて、ただそうなのだだけでいい。

以上。

そんな大層な話ではありません。日常の、人との関わり合いでは、出番がとても多い。長く続けていくと、やがては慣れていく。旧来のパターン(癖)は、ただの反射運動にすぎない。これに新たなプログラムを持込んでいく。これしかない。孤独で、当てのない営為にしかならないが...。ご参考までにあげました。ありがとうございます。

〈了〉







◆作者をワンクリックで応援!

0人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ