オーバー・ザ・フェンス~十字架と罪過は誰が為

第八章 エレミヤ書十五章十七節

エピソードの総文字数=5,165文字

『わたしは笑い戯れる者と共に座って楽しむことなく御手に捕えられ、一人で座っていました。あなたはわたしを憤りで満たされました。』エレミヤ書一五章一七節


 昼の一時を過ぎたころ、昨日の雨模様は薄れ去り、空はうっすらと薄い雲が絹のように漂っては流れていく。春崎一家の住む家はかつての日本の名残とも言える一軒家だった。正面から見れば長方形のような具合で、やや黄ばんだレンガを組んで作られているように見える、あるいはコンクリート打ちっぱなしでは見栄えが悪いからレンガを割って貼り付けたのかもしれない。なんにせよ、俺らの世代がこの手の家を持つことはほとんど無いだろう、頭金も無ければ土地も無い、あるのは神経と腹を磨り削るサンドペーパーと身に覚えのない債務だ。
 チャイムを鳴らししばらく待つと扉が開き、夢奈が俺を出迎えてくれた。しかし彼女は俺を見て口を開けて足から頭まで見渡した。
「えっと、琥珀さん、ですよね?」困惑したように尋ねる彼女に俺は苦笑した。
「同姓同名じゃないなら、俺ですよ。中に入っても?」
「え、えぇ。どうぞ」彼女は一歩退き、俺は軽く会釈をして玄関に入った。
 どうにも気分が乗らないというときは最悪の事態を想定しておいた方が良い。その中の一つは点数稼ぎやダウジングマシンより低能の勘に従ったポリ公に任意と言う建前の職務質問をされることだ。今の俺は糊の効いたYシャツに灰色の袖なしカーディガン、深緑色のズボンと革靴を身に着け、肩から小さいカバンを掛けている。念には念を入れて伊達メガネもチョイスした。見た目だけは金を掛ければいくらでも良くすることができる。腕のいい詐欺師はその上に身振り手振りも偽ることができる。それを理解しているならばそれを真似する奴もいる。俺の人生は嘘でもつかなければやってられない具合だった。
「えっと、話をするだけなのにどうして家の中を見る必要があるのですか?少し気になったんですけど」夢奈がフローリングの床の上を歩きながら振り返って聞いてきた。
「家出人の素性を掴むため、でなければ彼女がどこに行こうとしたのかがつかめない」
 夢奈はなるほどとだけ言った。彼女は無地の白Tシャツにジーンズというラフな出で立ちだった。長い黒髪は後頭部で御団子結びをしてまとめられている。
 ふと俺の視界に気になるものが写った。目を向けると玄関わきの靴箱の上にマリア像が置かれている。その手の店に置かれている赤子のイエスを抱いた胸像だ。
 俺の視線に気づいたのか夢奈は困ったような笑みを浮かべた。
「それ、母の趣味なんですよ」
「趣味?」俺が訪ねると彼女は頷いた。
「ええ、趣味ですよ。家の中にあっちこっちに置いているのですよ。マリア像とかイエス像とか聖人像とか」その声にはいかにも呆れているとばかりの響きがあった。
 彼女が居間に案内し、俺は手短な木製の椅子に座った。キッチンと居間をカウンターが仕切り、そのカウンターにつなげる形で四人用のテーブルと椅子がある。確かにカウンターにもマリア像が置かれていた。こちらは全身を写した像だ。居間の向こうには二人掛けのソファーとL字ソファー、そして太い毛糸で編んだようなカーペットにデカい薄型TVを置いたローボードが目に入った。TV脇にザビエルかよくわからない修道士の小さい像が置かれている。部屋の隅にはノートパソコンの置かれたデスクとオフィスチェアーがあった。
「今、お茶を切らしてて、コーヒーなら用意できますけど」
「じゃあそれで、何もいれずに黒いままで頼むよ」
 俺はそう言ってもう一度辺りを見渡した。今度は置かれている家具を見るよりも印象を捕えようとした。
 思わず首筋をさすった。どうにも無機質、というよりも人が住んでいるという感じがしなかった。その中で転々とキリスト教に由来する像が置かれている。少なくともカトリックに限らず偶像崇拝はご法度だが、それについては大昔の公会議で決着がついている。それはともかくとしてどうにもちぐはぐのような気がしてならなかった。
 珈コーヒーは何の絵柄も書かれていないマグカップで出された。夢奈は向かいに座ってミルクと砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜはじめた。
 俺はほんの少し啜った。苦いというよりもとかく熱かった。何度か唇を舌を冷ます必要があった。
「それで、姉の何を聞きたいのです?」夢奈が口を開いた。
「というよりもまず家庭環境を教えてほしいというところかな、後彼女の部屋があれば見せてほしい。もしかしたら日記か何かあるかもしれない」夢奈が家庭環境と聞いた時にほんの少し眉を動かしたのを俺は見た。彼女は口元に手を当てて考え込み、顔をあげた。
「実を言うと今回の依頼については親に何も話していなくて、あの、もし親に話すことになっても私のことは話さないでもらえますか?」
「守秘義務ということにしておけば問題ない。姉さんの安否が気がかりな善意の第三者からとしておこう」この場合の善意は文字通りの意味だ。ポリ公が使う法律用語の意味は無知だが。夢奈はマグカップを両手でつつみ口を開いた。視線はコーヒーに映し出された自分の顔でも見ているのではないかと思えた。
「この家を見てどう思いますか?」
「まだ見たものは少ないがどうにも無機質な感じがしてならない。人が住んでいるというよりも何かのカタログの光景をそっくりそのまま写したような感じだ。あっちこっちに置かれている像は、なんというか浮いているな」
「でしょうね、実を言うと姉さんも私もそこまで真面目に信者をしているわけじゃないんです、母が私たちを勉強会につれて行ってそのまま。正直聖書だってろくに読みませんし」彼女はそこで言葉を切った。
「全部母ですよ、この家のレイアウトなんて全部風水にはまっていたころの名残でそれまでの家具を全部捨てて買い換えたんです」
「そして今は教会に行って色々なイベントに?」
「のめり込んでいる、と言ったほうが正しいかもしれないですね。少なくとも掃除と家事だけしてイベントとか集会につきっきりですよ。高校の頃は私も姉さんも付き添ってましたが」俺は一口コーヒーを飲んで彼女をじっと見つめた。その様子はこれから大学に進学する未来ある若者というよりもずっと幼く見えた。
「親御さんとの関係は?」
「良くも無く悪くも無く、ですよ。といっても母は私たちを放っていましたけどもね、家事とか掃除は私たちの仕事でしたよ。父は仕事づくめであまり話した記憶がありません」
「どの大学を受験するかで話し合わなかったのか?」俺の言葉に彼女はちらっと顔をあげた。
「そう、ですね。その時はちょっと揉めたかな。でもそれが関係あるのですか?」
「失礼、それもそうだったな」俺は手のひらをみせて謝った。彼女はコーヒーと俺から視線をずらしてあらぬ方向を見た。
「あの、姉さんの部屋を見たいのですよね、案内しますのでそこで」
「ああ、そうしよう」俺は何も言わずに頷いて彼女に従った。まだコーヒーは半分以上残っていた。彼女の足取りはやや早く、まるで早く出ていきたいと語っていた。それがこの家なのか、ついさっきの話題だったのか、俺自身なのか、あるいは全部か。

 玄関入ってすぐの階段を上がって行くとフローリングの通路と四つのドアがあった。夢奈は右手前のドアを開けて俺を中に居れた。
 フローリングの床はむき出しだった。扉向かいの窓はカーテンで閉め切られている。入って右手に学習机と本棚、左手にはクローゼットとベッドが置かれている。クローゼットは姿見の鏡が付けられている白いものだった。机の上にはまたもマリア像が置かれている。さすがの俺も眉をひそめるしかなかった。
 本棚に近づいて何が置かれているのか調べてみた。といっても使われていた参考書や教科書が無造作に置かれているだけでそのほかにあるものと言えば埃くらいだ。机の上を見てもプラスチックカバーがただ仄かに外の光を反射して歪に光っているくらいだ。俺は入り口で待っている夢奈に振り向いた。彼女は扉のノブを握ったまま俺をじっと見ていた。
「なあ、彼女は漫画や小説を読んでなかったのか?」
「図書館から借りて読むくらいでしたね。でも自分たちで買うことはあまり」
「理由を聞いても?」
 夢奈は胸元に手を置いて困ったように眉をひそめた。
「その、勉強に差し障るからってことです。きちんと勉強するにはそういう、趣味は無い方が、都合がいいって、だからパソコンが授業で必要になった時も共用ってことで居間に置いてありますし、テレビも私が大学受験を終えてからようやく買ったんですよ?」
「ずいぶんと熱心だったというわけだ」
「ええ、そうですね」俺は視線を戻して辺りを見渡した。俺は首を振って立ち上がり、ベッドに近づいて座ってまた見渡した。
小さくつぶやいて立ち上がり、今度はクローゼットに手を掛けた。
 開けてみるとむっとするような防虫剤の匂いが漂ってきた。中のハンガーに掛けられているのは学校指定の制服だと思われる服が四着、それらは薄手の物と厚手の物で半々だった。それ以外は私服だったがどれを見ても地味な色合いの無難な衣服がそろっているだけだった。視線を下ろすとプラスチックの衣装ケースがあった。腰を下ろして引き出しを引くと中は女物の下着が入っていた。一つ手に取って広げてみるとやはりこれも無地だ。フリルの一つもついていない。何かが下に敷かれているのが見えたがひとまず置いておいた。俺はそれをケースに戻してまた振り返った。
「服は自分で買ったのか?」俺の言葉に夢奈は目を瞬かせた。
「ああ、いえ。親と一緒に選んで買っています。あまり派手な物は危ないからってことでこういう服ばかりですけど」
「危ないって何がだ?」
「派手な格好をしていると遊んでいると思われるからって」彼女はそこで言葉を切った。彼女自身も自分の言葉に自信がなさそうだった。下着の事を聞こうとしたがセクハラまがいだと思い直して首を振った。
 下に敷かれている物をよくみようといくつか下着を取り出して脇に置き、手に取ってみた。しかし触れた瞬間に違和感を覚えた。明らかに肌触りが違った、今までのはいかにも下着用のコットンやプラスチック繊維のものだが、これは滑らかすぎる。そして指先にいくつかの襞のよう何かが纏わりついた。
 思わず掴んで引っ張り出した、畳まれていた下着がぼろぼろとケースから零れ落ちていく、しかしそれよりも俺は目の前のこれをどう理解するべきか困惑した。
「な、なんですか、それ……?」背後で夢奈が近づいてきて覗き込み同じように眉をひそめた。
「……ネグリジェだな」俺は広げて表裏をよく見てからようやく言葉にした。
 しかしそれはあまりにもこれまでの下着とはそぐわなかった。ラメ入りの紫色が基調のネグリジェで縁取りは黒だった。なによりも飾り用のフリルが幾重にも巻きつけられている。かなり薄手のようで手の平の皺が透けて見えるほどだった。
「これは説明のつかないものだ」俺は床にそれを広げてスマホで写真を撮った。違う角度で三枚撮り、また折りたたんでケースの下に戻した。零れ落ちた下着なんかも傍に居た夢奈が畳みなおして一緒に戻した。俺たちはその間何も言わなかった。
 クローゼットを閉じた後、俺は夢奈を見た。彼女は口元に手を置いて考え込んでいるようだった。
「あのネグリジェに見覚えは……ないよな」
「ないですよ、あんな物は私たち買ってもらえませんでしたもの。でも姉さんが内緒で買ったにしてもあれはちょっと趣味が……」彼女はそこで言いよどんだ。
「確かに趣味が悪い。まあ趣味の話は置いておこう。彼女があれを身に着けた姿に見覚えはないんだな?」
「ええ、ありません」
「だとすると、別の誰かのためか?知恵さんに彼氏とか彼女は居たのかい?」俺の言葉に夢奈は小さく頷いた。
「姉さんがおかしくなる前にお付き合いしていた人はいます。高校の同級生で私の先輩の利人さんです。確か同じ学級委員つながりで仲良くしてたと」
「彼女と彼は進んだ関係だったなら、あの下着の説明はつく。気を引きたいからかあるいは贈り物だったのか。なんにせよ、話を聞く奴が増えたな。彼とは連絡はつけるかな?」
「たぶんできると思います。高校卒業してすぐに就職しましたけど、確か連絡網のプリントがあるはずです」
「ならそいつを見つけるとしよう」俺は指を一本立てた。夢奈は頷いて自分の部屋であろう向かいの部屋に駆け込んでいった。
 俺は部屋を見渡した、そしてまた同じ感想を呟いた。
「まるで独房だな。年頃の娘の部屋とはとても思えない」

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