ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

2-0. 1623年のおはよう全裸

エピソードの総文字数=2,482文字

 ――遠き日ノ本の父よ。母よ。
 僕は、今。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「えっ……はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 全裸の女に、誘拐されようとしています。


     * * *


 目が覚めると、そこは奇怪な部屋だった。

 薄暗闇を、凝ったデザインの洋灯(ランタン)が仄かに照らす。気味の悪い爬虫類のミイラ。人間を丸呑みにしそうな魚類の顎骨。見たこともない獣の首。キリスト教の聖書。イスラム教の聖典。ラテン語の魔術書。さらに清の陶磁器や日本産の絹織物、スペイン銀の塊。まるで統一性の無い怪しげな品物が散らばっている。

 伊織介(いおりのすけ)は、しかし周囲の混沌を正確に認識する暇すら無かった。
 
 何故なら。
 ベッドに横たわる伊織介の身体を、全裸の女が巨大な麻袋に詰めようとしていたからである。
「え?」
「は?」
 伊織介と女の目が合う。

 しばしの沈黙。先に静寂を破ったのは、伊織介の方だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 後ずさりして、ベッドから転がり落ちる。
 それを見て、女もまた驚愕に声を上げる。
「えっ……はぁぁぁぁぁぁぁ!? う、動いてる!?」
 髪の色は烏の濡羽色。瞳の色は深いブルー。身につけているのは、サイズのあわないほどに大きな羅紗帽(キャスケット)だけ。
 大人の女性と呼ぶにはまだあどけなさの残る顔立ちに、伊織介よりも頭半分は高い長身。日本人で無いことは明らかだ。
「ああ、予定外だ、まさかこんな形で起動を迎えるなんて!」
 女は頭を抱えて、その場に蹲ってしまう。

「あ、あの……?」
 伊織介には状況がさっぱり解らない。ここはどこだ? 何故自分がここに? そして、この痴女は何者なのか?
「えーい、仕方がない!」
 意を決したように、女が勢い良く立ち上がる。雪のように白い肌に、形の良い双丘が揺れている。
 呆然と目を白黒させる伊織介に、女は人差し指を突き立てて宣言した。
「聞け! 日本人! お前はわたしの奴隷なのだ!」

 奴隷、という言葉に伊織介は反応する。記憶の糸を手繰り寄せる。
 ――そうだ、僕は奴隷になったんだ。オランダ人に売られて……
 では、この女はオランダ人だろうか? それにしては、使っている言葉は英国語のよう。

「日本人! 名前は!」
「伊織介……」
 勢いに負けて、思わず名乗ってしまう。
「イオリノスケ! 不思議な響きのなまえだ。イオリノスケ……わたしのイオリノスケ。ううむ、長いな……」
 腰まで伸びる長い髪をくるくると持て遊んで、考え込む女。

 さっぱり状況が解らない。解らないが、しかし。
「あの……服を着た方が良いのでは……?」
 心からの忠言だった。目のやり場には流石に困る。

「あ……あああああっ!?」
 言われて初めて、女は自分の格好を思い出したらしい。
 耳を赤くしながら、その場に慌てて蹲って身体を隠す。
 しかし、
「いや、今はそんな場合じゃなかった!」
 即座に立ち上がる。
「マント、マント……」
 女はその辺に転がっていた黒布を手に取って羽織る。帽子に全裸マントという、怪しさの増した格好になったが、本人は満足のようだ。
「よし!」
 あまり良くはないと伊織介は思ったが、全裸よりはマシなので黙っていることにした。

「よく考えれば、目覚めてくれたならば今は好都合だ。歩けるな?」
 全裸マント女は、もともと伊織介を入れようとしていたと思しき巨大な麻袋に、部屋中に散らかる怪しげな品を熱心に詰め込んだ。やけに急いでいるように見える。

 伊織介は、自分の足でベッド脇に立ち上がった。彼女が用意してくれたものだろうか、衣服は清潔な麻のシャツ(ダブレット)、下衣はゆったりとしたブリーチ。着慣れぬ洋装だが、彼女のような裸マントよりはマシだと思う。

「よし、さっさと逃げるぞ。こんなところで……」

 ――瞬間。女の言葉を遮るように、部屋が爆ぜた。

 石造りの壁が崩れる。天井が落ちる。
 轟音と白煙が充満して、ぱらぱらと建材の欠片が舞う。
 
「……ああ、来てしまったか……」
 女は、伊織介を庇うようにベッドに押し倒していた。
 幸い、ベッド側の壁は無事だ。伊織介も怪我は無かったが、あまりのことに頭が追いつかない。
 半分吹き飛んだ天井から、空が見えた。満月の浮かぶ夜だった。

「まずいぞ。アイツは、吸血種……の、混ぜものだ」

 白煙の向こう側に、〝なにか〟いる。
 まるまるとした、巨大な影――ひどく腥い、血の匂いがする。

「こわぅるるるるるるるるル……」
 
 奇妙な唸り声を上げながら、ゆっくりと身体を引きずって、そいつは姿を表した。
 床から3メートルほどの高さの位置に頭がある。血走った目をした女の頭だ。
 
 しかし首から下は――何と表現して良いものか。
 女の首から下に、剥き出しの内臓がぶら下がっている。心臓。肺。胃袋。腸。それら、人間であれば一人につき一つしか無い器官を、数十も数百もぶら下げている。
 
 一言でいえば、内臓の集合体の上に女の首が乗っかっている、という形容になるだろうか。
 無数の腸を引きずって、胃袋を蠕動させて――巨大な肉塊が、ゆっくりとこちらに迫ってくる。

「るるるル……こわり」
 そいつの目が、赤く染まった女の目玉が、伊織介を、女を、認めた。
「へるけとままもりまきむまきむももめとらるぱらううまはらううまらはももるじくつるもこわりこわりつるも」
 甲高い声で奏でられる、意味をなさない言葉の呪詛。薄暗闇に反響して、それは本能的な夜の恐怖を思い出させる。
 同時に、有り余った腸を結い上げて、うねうねと自在に動く触手が形成された。
 身体から飛び出した三本の触手が、鎌首をもたげる。

「――こぉ・わ・りァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 ……いよいよ死ぬのかもしれない。
 伊織介は、見たこともない化物を前にして、そんな当たり前の感想を抱いていた。

 

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