リリーの微笑み

正しき者ー4

エピソードの総文字数=1,663文字

 風鈴は思う存分に明るい音色を響かせると赤面し、また謝罪してから、
「申し遅れました。わたし『リリー・ミィシェーレ』と申します」 
「俺は、桜野優也。よろしくね」 
 リリーは元気良く「はい!」と答え、はにかむ。
 めでたく誤解はとけたが、夕日は殆ど沈んでしまった。年端もいかぬ少女を一人で帰すには遅い。リリーは遠慮したけど、やっぱり家まで送ることにした。
 自転車を押しながら広めの歩道を女の子と歩きだす。十年前の俺ならば歓喜していただろう。たとえ自分の家と逆方向だったとしても……。
 まばらに色付き始めた並木道を真っすぐ進み、十字路で左折する。そこからまた直進して信号を二つ越える。
 二人とも無言だった。それもそのはず。蟠りは無くなったとはいえ、俺達は家族でなければ友達でもない。ましてや恋人でもないのだから、互いに何を話せば良いのか分からないのだ。
 薄汚れた自転車のライトが暗くなった歩道を照らし、世にも奇妙なカップルは黙って目的地を目指す。すると、左前方に立派な門を構えた屋敷が現れる。まさか……。
「あれです」リリーがその豪邸を指さす。
 やはりな。
「へぇぇ……立派なお家だね」
 俺が感心していると、リリーはとことこ俺の前に出てきて、
「ありがとうございました。優也さんっ」ぺこりと頭を下げる。
「気にしないで、俺の家もこの近くだし――」
 あ、しまった。
「ふふっ。優しいですね、あなたは……そうだ! ハンカチのお礼を兼ねて、ぜひ夕食をご一緒に!」
 うそでしょッ!?
「うそじゃありません。さぁさぁ、わたしの両親も紹介しますから」
 やめてッ!!
 リリーは門を開いてから、問答無用! といった感じで俺の腕を引っ張り、自転車ごと敷地内へ連行する。腕を振り払おうかとも思ったが結局できず、治外法権区域に連れ込まれた俺は覚悟を決めて、外交官の指示に従いブヨブヨのタイヤを停め、恐る恐る大使館の中へ足を踏み入れる――。
 広い。俺の家が物置小屋に思えてしまう。
 ホテルを彷彿とさせるエントランスは天井が高く、吹き抜けになっている。正面には高そうな絵画。右手には緩いアーチを描く、お洒落な手すり付きの階段がある。色彩はダークブラウンとホワイトを基調としており、気取り過ぎないエレガントな雰囲気だ。意外にも靴を脱ぐスペースが設けられていた。
 目の前に広がる様式美を愛でたい所だったが、俺にそんな余裕など無い。そうとも、これより待ち受けるは地獄の試練――リリーのご両親との対面だ。
「ただいまぁ。遅くなってごめんなさーい」リリーが靴を脱ぎながら挨拶する。
 俺はもちろん直立不動だ。今更ながら、帰ろうかと思ったがそれは許されない。結婚の許しを貰いにきた恋人の面持ちで、パタパタと歩く音が近付いてくるのを左耳で聞いている。
「おかえりなさい。遅かったから心配し……て……」
 リリーと同じ色の髪。同じ色の瞳。まさに生き写し。違うのは髪の長さと、その性質だ。指通りの良さそうな髪が、腰まで一直線に流れている。
「ママッ。この人は優也さん、お友達よ!」
 リリーは開いた指先を俺の方へ向け、いまだ碧い瞳を見開いて俺を凝視している母親に告げた。
「は、初めまして、桜野優也と申します!」最敬礼する。
「はぁ……どうも……」リリーの母親は明らかに訝しげな視線をよこす。
「ママッ。優也さんを夕食に招待したの! 勝手を言って申し訳ないけど、すぐに用意して差し上げて!」
「何ですって!!」驚愕を露わにして、再び俺を凝視する。
 そしてリリーのもとへ歩み寄ってしゃがみ、彼女と目線を合わせて、
「急にどうしたの? 学校のお友達さえ連れてこないのに……」
 口の横に手を立てて、俺を一瞥しながらヒソヒソ声で続ける。
「知らない男の人なんか連れてきて……パパが帰ってきたら――」
――ガチャ。扉の開く音。
 振り向くとそこには、穏やかに波打つ金髪を整髪料で後ろに撫でつけた、長身の男性が立っていた。緑色の瞳を僅かに細めて――。

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