リリーの微笑み

正しき者ー5

エピソードの総文字数=3,194文字

「ハハッ。奇妙な晩餐だね」
 楕円テーブルの左端に座っている男性が話しかけてくる。同感です。
「はい……すみません、急にお邪魔してしまって……」
 俺は片手を頭の後ろにやりながら返事をする。
「さっきは、ごめんなさいね。私、とても驚いてしまったから……」
 今度は金髪碧眼の美人が、テーブルの上に料理を置きながら俺を気遣う。
「いえいえ! そんな、気にしないでください」
 俺は身振り手振りで気持ちを表現する。一方、金髪碧眼の美少女は殊勝にも母親の手伝いをして、料理の盛られた皿をテーブルへ運んでいた。
 リリーの父親が帰ってきた時は、それはもう修羅場だった。どこの馬の骨だか知れない奴が我が家に侵入しているのだ。排除したくなるのが当然である。ところが、自分たちの愛する娘は精一杯、黒髪の青年を擁護する。必死に娘を説得するが、聞かない。あげく、青年の腕にしがみついて離れようとはしなかった。
 リリーの両親は最後まで俺を訝しんでいたが、最後の最後で娘を信じたのである。
「まさか初めて連れてくるお友達が、年上の男とはね」
 緑色の瞳を細めて男性が苦笑する。
「パパ。お友達に年齢も性別も関係ありません」
 リリーは食卓に着きながら父親に言い放つ。すでにテーブルには、華やかな料理が並べられている。俺にしてみればご馳走に他ならない。
「さぁ、召し上がれ」リリーの母が俺に勧める。
「はい。いただきます」
 俺は合掌してフォークに手を伸ばした……けれど親子は食器にさえ触れず、手の平を合わせて目を瞑っている。
 勧めてもらったが、流石に俺だけムシャムシャする訳にはいかず、涎を抑えて忠犬のように待つことにした。
「――父よ、あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきます」
 リリーの父が発す。
「ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と体を支える糧としてください。私たちの主、イエス・キリストによって」
「アーメン」親子で祈りを捧げ、食事を開始する。
 俺もそれを確認すると、フォークでサラダを食べ始める。――この家族はキリスト教徒なのか、そういえばエントランスにはそれっぽい絵画が飾ってあったな――。
 辺りを見渡す……。温かみのある楕円の木製テーブル。他の家具も一様に、趣に溢れる木製品だ。リビングではゆとりと艶のあるレザーソファが存在感を放っている。
 けれども、俺の目当てである十字架や偶像などは思ったほど発見できない。やはり映画と現実は違うのだろうか。
「あんがい、さっぷうけいでしょう――」
 ギクッ。こんな的確に図星を突ける人物は……。
「リリーにはお見通しです!」
 ですよね。
「い、いや。そんなことは……う、家に比べたら天国だよ。あ、ははっ……」
 リリーさん。食事中は目を隠してください。
「私と妻の一族は代々、キリスト教のカトリック信徒でね。実家には立派な祭壇もあるし、聖母マリア像もあるよ。今度一緒に行くかい?」
「えッ!!」
 リリーの父にからかわれる。その様子を見て微笑んだ美人が、
「私たちが崇拝しているのは十字架や偶像ではなく、主『イエス・キリスト』なの。もちろんカトリックでは、聖母マリアも敬っているけどね――」
――昔々、中学の授業でのこと。
 キリスト教は『ルター』による『宗教改革』で、二つに分かれた。
 旧来の伝統的な教派が『カトリック』、新しく出来た教派が『プロテスタント』。さらに、そこから分離した教派も『プロテスタント』に含まれる――。
「プロテスタントはマリア様を崇拝してないんですか?」俺は問う。
「う~ん。そうねぇ。何と言ったらいいか……」
 リリーの母は、だいぶ言葉を選んでいるようだった。
「――離れていても、心はひとつなのですよ――」
 リリーが胸の前で手を組み合わせて語る。両親はそれを聞き、微笑んで頷く。
「教派の間で多少、考え方に違いはありますが、根底にある信仰心はみな同じ。わたしたちは兄弟なんですから――」
 うおっ、眩しい……。彼女の頭頂部に天使の輪が浮き出ているのは、清廉潔白の証なのだと俺は確信する。高価なトリートメントのおかげではない。断じて。
「なるほど」
 路線を変更され、特急で終点に到着してしまったが、納得する。わざわざ食い下がる理由もないし――それに比べ俺は……。
 悪魔は嘲笑う。
 煩い……せめて今だけでもほっといてくれ。俺はそいつを振り払うために、自分から会話を持ちかける。
「あのっ……ちょっと、質問があるのですが……」
 言い出したはいいが、親子の視線を受けて委縮してしまう。しかし、賽を投げたからには続ける。
「リリーの力は……」とりあえず聞いておこう。「本当なんですか?」
「そうだよ」「そうよ」「はい」即答。
 やはりな。
「そうですよね! ははっ……しかしまぁ、す、凄いですよね!」
 俺は大げさな反応をしてみせるが、親子は平然としている。
「驚くのも無理ないよ。私たちも初めは信じられなかった。でも、この子が嘘を吐いているようには見えなかったんだ」
 それは分かる気がする。
「愛する子に嘘を吐かなくて済むから、幸運だと思っているわ」
 両親は娘に慈しみの眼差しを向け、娘は満面の笑みを浮かべる。のんきな親子……だからこそ困難を乗り越えられるのだろうか……。
 眼前の和やかな食卓と、記憶にある冷めた食卓が重なる。笑顔の絶えない家庭と、怒鳴り声ばかりの家庭。素直な笑みを浮かべる少女と、下手な愛想笑いしか出来ない男。
 俺と君とは根本的に違う。だが決して、妬むことも、憎むこともできない……。
 ポリ袋に詰めた物をいまだ捨てられず、袋の中で色々な物が混ざり合い、もはや異臭を放つほどになっても、捨てられない。
 いったい俺は――。
 正面に座っているリリーは、スープを些細な音も立てずに飲んでいる。彼女の両親も上品な手付きで、サラダやステーキを食べ進めていた。――もし……。もし、俺も裕福な家庭に生まれ、尊敬できる両親に愛されて……温かで、笑いの絶えない食卓を家族で囲めていたのなら。
――こんな半端な怪物になんて、ならずにすんだのかな――。
 視界が滲む。
「なん、で……っ」
 信じられない。どうして俺は泣いている。どうして……こんなにも悲しい。
 突然の出来事に、リリーの両親は戸惑っている。
 俺は乱暴に服の袖で涙を拭い「すみません……っ。すみません……」と謝罪するが、拭いても拭いても涙はとまらない。
 目元を腫らした青年を夫婦は心配してくれた。
「……な、なにか気に障ることを言ってしまったのかな……」
「……どうされたんですか……?」
 それが余計に俺を惨めな気持ちにさせる。
 怪物は憐れみなど求めてはいけない。俺が怪物を憎んでいるからだ。ゆえに、俺もまた優しさの対象になってはならない。こんな半妖だけど、それぐらいは覚悟している。この親子から怪物を遠ざける。それが唯一、俺に出来ること……でも……叶うなら。
 溢れだした物は一向にとまらず、安物の衣服を濡らす。
 諦めも、何もかも、流し去ってしまいたい……けど……未練は残響となって、半妖の心に本音を響かせる。
 俺はもっともっと笑いたい。太陽の下でもう一度、心の底から……君のように。素直に笑いたい――頬になにかが触れた――。
 
 俺は、それを覚えている。
 小さな手が持つ安物のハンカチと、白い頬につたう一筋の雫。

「……あなたは、だれより……優しい人です……。わたし、は……しってます……っ」
 
『リリーの微笑み』を俺は覚えている。






 正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。
                         (旧約聖書。詩篇34:19)

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