【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

1-02 炎の獣

エピソードの総文字数=2,560文字

 誕生日にわざわざ飲み会の予定をでっち上げて家を明けたのには理由があった。
 だが、出掛けにしつこく食い下がる母親に捨て台詞とばかりに投げつけた――これで天下晴れて酒も煙草も解禁だから……という言葉は表向きの理由に過ぎない。
 本当の理由は、
「お誕生日ね、ケーキ焼いて待ってるわ」
 ……なんてな台詞を、可愛いカノジョならともかく、40過ぎてなお可愛い母親に言われていそいそ家に帰るような神経は持ち合わせていないからだ。
いや、ちょっとは後ろ髪引かれる思いだってないわけじゃないけどね。母さんに泣かれるとあとあと面倒だし……。
 が、とりあえず「そんな神経持ち合わせちゃあいねえぜ」とぐらいイキがってはおきたい。
 福島茂、本日をもって20歳。そろそろ甘ったれの母に子離れして欲しいお年頃なのだ。
親父が海外赴任して早3年。相変わらずのワーカホリックで帰国の気配はまるでナシってあたりが、そもそも問題の始まりだよな……。
 家は母と妹に占拠されたも同然。リビング、ダイニングはもちろん、今では風呂もトイレまでがすっかり女くさくなり、やれカントリーだ、ピンクだ、フリルだ、お花にキティちゃんだととどまるところを知らぬ勢い。茂の居場所はなくなる一方で、今や6畳の自室だけが最後の砦という孤立無援の状況である。
 母は母で、
『だぁって外国なんてこわぁーい』
 ……と夫をひとり送り出して以来、亭主を単身赴任させることにカケラほどの罪悪感を感じる様子もない。
『せっかく子供二人も手のかからない年齢になって、横槍を入れる亭主だっていないんだよ、母さん。さっさと子離れしようよ。家のことなんかほっぽり出して趣味でも仕事でも不倫でも何でも好きなことをすればいいじゃないか』

……とか勧めてみるべきかな。
……いや、不倫はマズイか。
 まあどうせ世間知らずで現実感ってもののない母に……そんなことを言っても無駄だろうけど。
 そして家の悩みは両親だけにとどまらなかった。中学に入ったばかりの妹が、日に日に母に似てくるのも頭痛の種だ。マセているのか、それとも単に遺伝か、最近の口調はまるで女房きどりである。
もしかして親父が帰ってこない理由って……これなのか。
 そりゃあ年に1回か2回帰ってくるだけならば、女房がいつまでも乙女チックで初々しいのも楽しみの内だろう。鬱陶しいと感じる日常は、気楽なひとり身で好きな仕事に邁進していればいいのだから。
はぁ~。何だか俺、愚痴ったれの中年サラリーマンみたいだ……。
 長いため息がもれる。俺もようやくこれでハタチと浮かれていた気持ちもすっかりしぼんでしまっていた。
 腕時計代わりのスマートフォンで時間を確認する。午前12時38分。
 かなり酔いが回っている。カラオケルームのラスト10分、ここが正念場とばかりに煽ったビールがかなり効いているようだった。
この分なら息もばっちり酒臭いだろうな。計画通りだ。
 ここまでぐでんぐでんになっていれば、母の手作りで生クリームたっぷり、多分バラのお花かなんかで可愛く飾られたケーキを鼻先に突きつけられても、「ごめん、吐きそう……」の一言で誤魔化してベッドまで直行できそうな気がする。
『まあきっと先輩に無理やり飲まされたのね』とかなんとか母ちゃんが思ってくれればめっけもんだ。とりあえずそう思ってくれれば、どんより落ちこんだり、めそめそ泣き出したりはしないだろ。
 ――そう、つまり親父を見習えばいいってことだ。家で母さんが乙女チックしようが、妹が色気づこうが、気が向かない時には外に居場所を求めればいい。カンタンなことだ。
 ともかく自宅まであと200メートル弱。綿密に練った計画も、無事に家にたどり着きさえすれば成功だ。
なんか、家がいつもより遠い……?
 あと200メートル、と当てにならない距離感で100メートルほども歩いたとき、突然頭の上で、断末魔の……とも思えるほどの絶叫とガラスの割れる音がした。
え?
 酔って満足に動いちゃいない頭では、何が起こったのかを瞬時に見極めることなどできなかった。ただその音に反射的に顔を上げたとき、マンションの3階の窓を破って炎の塊が飛び出してくるのが見えただけだ。
………………。
 驚きのあまり茂はその場に立ちすくんだ。
 茂の目の前、ほんの数メートル先に地面に叩きつけられるように落ちてきた塊が、まだ激しく炎を上げて燃え盛っている。
 いや、驚いたのは火の塊が降ってきたから、というだけではなかった。
 燃え上がる炎は、明らかにそれと分かる四足の獣を形作っているのだ。炎の揺らめきが獣の体表をまだらに彩り、顔に当たる部分には、意志を持っているとしか思えない2つの眼球が鋭く光って茂を見つめている。
 一歩、獣が重量感溢れるその足を前に踏み出す。そして次の瞬間、茂を恫喝するように吠えかかってきた。
 下あごに納まり切らない巨大な牙が茂に迫ってくる。
 茂は咄嗟に腕で頭を抱え込むようにしてその場にへたり込んだ。
く、食われる……っ!
 本気の危機感を抱いた。
 炎であぶられる熱を確かに感じた。ジャケットの袖が焦げてイヤな臭いを発してもいる。だがそれでも炎の獣との距離はまだ2、3歩離れていた。
 そろそろと顔を上げた茂の目前に、獣の顔があった。その凶暴な口からもれる息が、顔に当たるほど近い場所に、だ。
 獣はもう一度、もがくように身体をよじりながら唸り声を上げた。鋭い牙の並ぶ口が茂の視界を覆い尽くすほど大きく広げられ、そのまま顎を引き千切れて裏返るようにもとの炎の姿に戻っていった。
 そして勢いを失って行く炎の中からゆっくりと……今度はスローモーションでも見ているようにゆっくりと、人間の手が現れた。
 炎に焼かれ、真っ黒に焦げたその手が、助けを求めるように茂に差し出される。
 まだ……子供のものと言ってもいい小さな手だ。
だめ……だよ。
 肉の焦げる臭い。炎にまとわりつかれた少年が、苦しげにその言葉を漏らした。
ジャングルに……虎が・い・る……から……。
 そう言って、手はだらりと下に落ちた。
 さっきこの炎の塊が飛び出してきたマンションの窓から顔を出した女が甲高い悲鳴を上げたのはそのときだった。
 これまで必死に耐えていたむかつきが一気にこみ上げてきて、茂はその場に激しく嘔吐した。

◆作者をワンクリックで応援!

4人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ