ブラの名前

エピソードの総文字数=4,050文字

 さて、次のターゲットであるショートカットの冬馬真智は、さすがにめる子の愛弟子だけあって、師匠によく似た快活な女性であった。
 業務の合間に廊下の端っこに呼び出させてもらい、話を聞く。
「ほんと、キタコレ直前にこんなことになるなんて、絶対犯人許せません!」
 正義感に溢れる、きりっとした顔で彼女は立腹している。
「一応、念のために聞いているんだけど、安土さんに対する恨みを持っている人物って、いそうかな」
 お約束のように気楽がそんな質問をすると、真智は突然、あはははと爆笑した。
「恨みねえ、持ってるとしたら、一番はあたしですね!」
 そりゃあ、聞き捨てならないと思う気楽に、早口でまくしたてるように真智はしゃべり倒す。
「刑事さんもここ数日一緒にいてわかったと思いますが、先輩はある意味人間じゃないですからね。本能で動く野生の生き物みたいなもんで、その尻拭いをしているのは全部あたしです!でも、悔しいことに、あんな采配でも結果的に全部的確で当たってるもんだから、絶対に許さん!いつか乗り越えてやる!いつか今度はあたしがアゴであいつを使ってやる!と思ってますよ」
と、にかっと笑うのだ。
 けなしているようで誉めていることぐらい気楽にもわかる。ああ、しかし、める子の人となりについて、彼女とは大いに理解しあえそうなところだが、今肩を抱き合って
『そうだろう!俺もそう思うんだよ!』
とやってしまえば、刑事という設定やら何もかもがふっとんでしまうではないか。
「でもね、刑事さん。先輩の恨みを晴らすには、ブラを盗むより一発ぶん殴るほうが早いっすよ。そう思いません?」
 ああ、同感だね。それについても全く同感だ。
「せっかくみんなで一生懸命作り上げてきたのに、それを盗むなんて卑怯です!あたし、犯人がうちのメンバーにいないことを祈ってるけど、もし内部の人間であれ、外部の人間であれ、そいつがとっつかまったら絶対一発殴ります。止めないでくださいね!」
 ああ、彼女はとてもいい奴なんだろうな、と気楽は内心思う。だが、いい奴なんだけれど、める子師匠にそっくりになっていくのはどうかと思うぞ。
 彼女が純粋にサバサバ女子でいられるように、一刻も早く部署異動を社長に進言して悪い影響を及ぼしている元凶から引き離したいところだ。

「ところで、昨日書いてもらった回答の件なんだけれど、どうして天使の欄を空欄にしてたのか、教えてもらえるかな」
 本題に入った気楽の質問に、一本気な真智らしい返事が返ってくる。
「いやあ、あの問。悩んだんですよね。ミカエルが天使だってのは知ってるし、社長が次に出そうとしてたガブリなんとかも天使から来ているのは知ってるんですけど、なんかこう、違うかなって」
 何が違うというのか、気楽にはさっぱりわからないが、真智はこんなことを言い始める。
「天使って、胸あるんですかね」
「はい?」
「ほら、あたしの中では天使って、ちっちゃい赤ちゃんなんですよ。」
「ああ、エンゼルってことか」
 なるほど、と気楽もうなずく。たしかに西洋の絵画のモチーフでは、赤ちゃんバージョンの天使がメジャーでもあるし、何より、日本でもおもちゃの入った缶詰を手に入れるには、赤ちゃんエンゼルが必要なのだ。
「だから、なんか気に入らなくて。社長はそういう見立てなのかもしれないけど、あたしはもっとこう、可愛い天使ちゃんのイメージなんで。そんなことを考えてたら、ええいもうどうでもいいや!って」
 そして、回答を放り出したというのか!その思考パターンは、誰かさんにそっくりだぞ、と思いながら、苦笑するしかない気楽である。
 しかし、そんな話を聞くとつい、神学者としての気楽の知性がうずうずとどうでもいいことを喋りたくなるというものである。
「……ちなみに、冬馬さんの天使像はとてもおもしろいのだけれど、実際には天使は屈強なおっさんだと思った方がいい」
 気楽がついそんなことを言うと、
「屈強なおっさん?!」
と真智は目を丸くした。
「天使が実際にブラをつけていたら、まあ変態以外の何者でもないだろうね。最初の人類であるアダムとイブがエデンの園から追い出された時も、回る剣とともに二人が戻ってこないように見張っていた天使もおっさんだし、天から地上の女性を見初めて、降りてきて襲いかかったのもおっさんの天使なので、基本的には赤ちゃんでもなく、ムキムキのおっさんだと思ったほうが正しい。少なくとも、わたしが知っている天使は全員がおっさんであることは間違いない!」
「あはははは!そうなんですか!刑事さんって変なこと知ってるんですね!いやー、もう社長にブラの名前変えましょうって言いたいくらい!」
 屈託なくはしゃぐ真智を見ていると、彼女もまた犯人ではなさそうに思えてくる。
 何より、自分で言っている通り、この子が犯人ならブラを盗んで隠したりせず、その場で引きちぎるか、める子そのものををぶっ飛ばすに違いない。彼女を容疑者から外すことは、問題がなさそうだ。

 しかし、と気楽はここではたと困ってしまった。
 残るは一名だが、果たして丸子瑠花が犯人で正解なのだろうか。
 テストの結果はただ「エホバ」という神の名を書いた、というだけである。
 気にはなるしひっかかるが、それだけでこの一連の大事件の真犯人であると断定などできるのか。
 そもそも原点に戻って、なぜ犯人は聖書を置いたのか。
 聖書やキリスト教に詳しいことと、聖書をそこに置かねばならなかった理由との間には、どうしても飛躍がある。そこにはもっと何か、重いメッセージが隠れていそうなものだが、それでも今は手がかりがこれしかないのだ。
 もし、丸子瑠花が犯人でなかったとすれば、自分には次の一手があるだろうか。
 そう思うと、急に気楽は重たい気持ちになってきた。
 このプロジェクトの女の子たちが、それぞれにいろんな性格や傾向はあろうが、一生懸命仕事に取り組んでいるのは理解できる。
 その期待に応えて、事件を解決したいという気持ちはもちろんあるが、調べれば調べるほど、手がかりがどんどん遠のいていくような気がして、心苦しくなっていくのも事実なのだった。

 メガネっこの丸子瑠花は、おとなしい女性だった。める子は「オタク」だと彼女のことを評したが、全く持って失礼な物言いをする奴だ。たしかに騒々しい場所よりも一人で落ち着いて過ごしたいタイプの雰囲気を醸し出しているが、今や真のオタクならコミケにも出かけるし、なんならペンライトを持って激しいダンスでも踊るというのに、瑠花はただたんに物静かなだけではないか、と思う。
 なにやら一人でコンピュータのサーバールームで作業をしていた頃合いを見計らって、気楽は瑠花の話を聞いた。
「忙しいところ申し訳ない。少し話を聞きたいと思って」
「……はい。私に答えられることであれば、なんでも大丈夫です」
「事件のことだけど、あなたはどう思ってる?」
 そんな話の振り方に、瑠花は
「……あたしは商品に直接関わらないから、よくわかりません」
とうつむく。
「あたしは型紙制作までのモデリングが担当なので、型ができちゃったら実物は担当が変わるんです」
「なるほど」
 話しながらコンピュータの画面を横から見ていると、そもそも彼女には事件を起こす必要がなさそうに思えてくる。
 もし、スパイを彼女にやらせるなら、データをそのまま送信させればいいだけだ、と気楽は思ったのである。
 あるいは、制作の妨害をしたいなら、型紙の元になるデータを実際のモデルと異なる状態にしておけばいいし、それで十分試作品は使いものにならなくなるだろう。
 わざわざきちんと正しい完成品を作り上げ、それを今度は盗み出して聖書を置く必要なんて全くないわけで、だとすれば、犯人の意図は、聖書のほうにこそあるというわけなのだろうか。
「あの、小さなことなんだけど、あなたは回答に『エホバ』って書いていただろ?どうしてキリスト教の神様の名前を知っていたのか、それがちょっと気になって」
「……ご、ごめんなさい。叔母が、その、よく日曜日とかにおうちを回っている宗教に入っていたもんだから……」
 ああ、それで神の名前を知っていたのか。と気楽は事情を理解した。
 この物語はフィクションであり、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありませんな感じのこの物語としては、もはや『皆まで言うな、あとは汲んでくれ』と言いたい領域に差し掛かっているのだが、キリスト教系の一部の宗教では、神の名前を秘匿せずに用いている者もいる。そのあたりは解釈の問題なので、全キリスト教で統一されているものではないのだ。
「丸子さんの家は、クリスチャンではないの?」
 念のためそう尋ねると
「たぶん、仏教です。母は、毎日仏壇にお供えをしているから」
とのことである。
 彼女もやはり、犯人ではないのか……。残念なようで、ほっと安堵するところもある。内部に犯人がいないのであれば、それはめる子にとっても、あるいはひょんな形でここの女子たちに関わった気楽にとっても、胸をなで下ろすような気持ちにもなるというものだ。
 しかし、そうなるとやはり、事件は迷宮入りの側面が強くなってくる。
「ますますもって不可解。アリバイはなし、キリスト教テストもダメ。これじゃあ、後は打つ手なしだぜ、まったく」
 はあ、とため息をついて、気楽は、これをどうめる子に報告しようか悩み始めた。
 いや、一発や二発どやされるぐらいなら大丈夫だが、せっかく自分を頼って京都まで来てくれた彼女の期待に応えられないことが、正直悔しかったのである。捜査を進めれば進めるほど、事態は闇へと近づいてゆく。
 いつも元気なめる子が、さすがにがっかりするだろうと思うと、気楽もどんよりとした気持ちになるのだった。

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