神と大統領と弾道ミサイル(仮)

神の国益

エピソードの総文字数=2,851文字

フフフ、君がそんな愚か者だとは思わなかったぞ。

 モニタを通して向かい合うプーチンは不敵に微笑んだ。

 エリカは切々と頼み込む。

プーチン大統領、どうかお願いいたします。この命に代えましても、オーレスの覇権をコントロールして見せます。ロシアの影響圏として機能する国に仕立て上げられるよう――
 エリカの言葉をすかさずプーチンが制する。
オーレスごときの覇権などいらぬ。そもそもあの地域の安定など、誰にも成し遂げられるものではないのだよ。最大の問題は、アメリカの国力をいかにそぎ落とすかだ。
しかし繰り返しになるようですが、少なくともアメリカ現政権は我々の敵ではないと想定します。ロシアを敵視しているのは軍産複合体に代表されるアメリカ主流派であって、大統領トランプは隠然とそのような流れに抗う方針には間違いなく――
それは違う。現政権はそうかもしれないが、アメリカは衆愚の国だ。メディアや世論の流れによって、とたんに政権など変わってしまう。現政権のスタンスなど、なんの保証もない話だ。
ですが――
ましてや、アメリカ主流派は決して死んではいない。アメリカは深層心理において、ロシアを敵視しているのだと想定しておくのが賢明な政治判断というものだ。君も情報機関員として出世したいなら、物事は歴史的に思考せよ。目先の展開に一喜一憂してはならない。
 押しても引いてもプーチンの意向を変えるのは難しい。そして、その政治判断が間違っているわけでもない。目先の弱い味方に加担して大局を見失うなと、プーチンは言っているのだ。しかし一方で、劣勢な味方を切り捨てていけば、いつまでたっても逆転の目は訪れないはずだ。どだいアメリカとロシアではその国力に圧倒的な差があるのだから、反撃のチャンスを無駄にしないことも大切だとエリカは思う。
プーチン大統領のご意向、そしてロシアとしての国家戦略は理解しています。それでも今回の物事は、どのような方針を取れば中長期的にロシアの国益が最大化されるかを見極める必要があると考えております。現行の方針通りアメリカをオーレスにつなぎ止め、その内戦を激化させることでアメリカの国力を落としていくこともチャレンジです。一方、アメリカ現政権と結託してアメリカ主流派を追い落とそうとする試みもチャレンジです。この2つのチャレンジがいま私たちの手のなかにあります。より大きな視点で考えれば、アメリカの歴史的流れをここで覆してしまうことこそが、我がロシアにとっての長期的利益を約束してくれるものと考えます。

 エリカは切々と訴えた。懸命だった。プーチンの意向に強く抗うことは、時と場合によってはほとんど命がけの行為でさえある。

 未だかつて、プーチン大統領どころか、上司や戦略担当官に対してさえ、これほど物事を主張したことはない。そもそも、FSBはそういう組織ではなく、軍隊構造の上意下達型諜報機関である。トップの方針がすぐさま整然と反映されるからこその強力な組織であり、それがまたFSBの力の根源の一つでもあった。

 さらに説得を難しくしているのは、プーチンの意向が間違っているわけでもないためだ。どういった方針を選び取るかはあくまで戦略の問題であって、それはエリカが決めることではない。エリカの主張とて間違っているわけではないものの、戦略担当官でもないエリカが国家方針を大統領に向かって選択させようとするのは、とんでもない越権行為でもあり、我がままのようなものでもあった。

 そんなことはエリカとて百も承知している。だがもしプーチン大統領が「アメリカの国力低下」に固執すれば、それはとりもなおさずアメリカとの裏側での結託を模索し始めた天馬が、ロシアにとっての癌でしかなくなってしまう。その場合、自分がどのような役目を担わなくてはならないのかを、エリカはよくわかっていた。だからこそエリカはFSB要員としての役割を担って以来、初めて、命がけで主命に抗っていたのである。

 CIAやアメリカなど、エリカにとってどうでもよかった。それだけなら国家が決めた方針に淡々と従うのみだ。しかし事が天馬の帰趨ともなれば、どうあっても抵抗しなくてはならなかった。

 なおもエリカは繰り返す。

不動天馬も、ロシアとアメリカはここで結託しておくべきだと強く主張しています。むしろロシアは、不動天馬を利用して臨むべきではないかと考えます。不動天馬を踏台にしてアメリカ現政権との接近を図り――
フッ、あの自称神を名乗る引きこもり風情が、小生意気にもロシアに対してアドバイスとは片腹痛い。
ですがプーチン大統領。たしかにアメリカ現政権は――
いい加減にしろ。

この私が怒りを抑え込んでいるのが君には伝わらないのかね?

 プーチンの事務的な口調が、逆に空恐ろしくさえあった。エリカが次の言葉を探していると、プーチンが続ける。
まさか君がCIAに取り込まれたとは思わない。だが君がここまで主張するということは、不動天馬になにがしかの共鳴をしたということかね?
…………。
およそ工作員というものは、しばしば工作対象者に心を動かされることがある。その事情は千差万別だが、互いに人間なのだから当然あり得ることだ。この私とて工作員出身だから、その事情はわからないでもない。
 プーチンのその言葉は、まさにライザから指摘された話と合致したものだった。工作員同士だからこそ、理解し合える共通の土台というのはあるのだろう。
それでも工作員は、国家の命令には忠実でなくてはならないものだ。国家を取るか、工作対象者を取るか――答えを考えるまでもない。

違うかね?

…………違い……ません……。
もう一度言おう。

国家か、工作対象者か――いちいち私がこのような問いかけをしなくてはならないほど、君は愚か者ではあるまい。

……はい……。
ロシアの方針は決まった。不動天馬を亡き者にせよ。方法は問わない。
……。

 エリカは強く唇をかんだ。恐れていた言葉が、ついにプーチンから発せられてしまった。

 エリカのなかに激しい絶望感と自己嫌悪の思いが渦巻いた。もしかしたら自分がここまで強くプーチンに意向を変えるよう促さなければ、大統領はもう少し様子をみようと判断したのではないか。あるいはもしかしたら自分の報告文章に何らかの細工を施しておいたならば、クレムリンの方針に影響を与えることもできたのではないか。そんな可能性が極めて低い、すっかり過ぎ去ってしまった仮定に縋り付きたくなるほど、エリカはうなだれて自分を責め立てた。

返事は?

 プーチンが淡々と促してきた。

 エリカは小さくうなずく。

……畏まり、ました……。
よろしい。これからも工作活動を担っていくつもりがあるのなら、ここで迷いは断ち切るがいい。それが今後の君の人生にとっての、重要な踏み絵にもなってくれるだろう。
 エリカはしばし茫然とし、モニタを見つめる目は焦点が合っていなかった。通信を切ってからもエリカはそこを動かず、独り目を閉じて、激しい後悔の念に駆られていたのだった。

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