【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

1-06 果歩

エピソードの総文字数=2,180文字

 昼休みの音楽室は由宇のお気に入りの場所のひとつだった。
 音楽室は広々としているし、日当たりも良くて居心地がいいのだ。他の教室と違って床がフローリングではなくカーペット敷きになっているため弁当を広げるのは禁止となっていて、それが唯一の欠点だ。
 由宇と数人のクラスメイトは音楽室の外にある狭いベランダで弁当を食べ、そのあとカーペットの上にごろごろして日向ぼっこがてらおしゃべりに花を咲かせるのが日課となっていた。
果歩ー、まだ食べてるの?
 由宇は床に行儀悪く寝転がっているクラスメイトの佐和子と手帳に貼りつけたプリクラや、こっそり挟み込んでいる雑誌の切り抜きを見せ合っていた。
 いくら待ってもベランダからもどってこない果歩に、さすがにそう声をかけずにはいられなかった。

もうちょっとー。
 口をもごもご言わせながら果歩がそう返事をして、サッシの向こうからちょこんっと顔を覗かせる。
 手には、まだ半分くらい残っているカレーパンが握られていた。
 クラスの女の子のほとんどは弁当持参なのに、果歩はいつも惣菜パンと牛乳だけで昼を済ませている。そしてカレーパンと牛乳を片付けるのに、どうやったらこんな時間がかかるんだろうと思うほど食べるのが遅かった。
お弁当だと、5時間目が始まるまでに食べ終わらないもん。
 以前、果歩はそう言っていた。
 谷口果歩には両親がいない。現在は母方の叔母(独身OL)と学校のすぐそばのマンションにふたり暮しだった。
 小学校の頃は神奈川に父方の祖母と暮らしていたのだということだったが、中学に上がってすぐに転校してきたのだ。
 転校するならするで、中学に上がるタイミングで移ればいいようなものだが、叔母と暮らすことになったのはかなり急な話だったらしい。
果歩がお弁当を持ってこないのは、そういうお家の事情があるからかもしれない……。
 ……と最初のうちは由宇も心配していた。
 だが、果歩は『カレーパンが好き~』とケロリと言っただけで、弁当のことなんかまるっきり気にしていない様子だった。
 百合ちゃん(叔母のことを果歩はそう呼んでいる)はお料理上手なのだと常々自慢しているから、弁当を作ってもらえないというわけでもないらしい。
 すぐに由宇は、『複雑な家庭に育ったシリアスな女の子』の刷り込みイメージと、実際のトロくて能天気な果歩との間に、埋めようのないギャップを感じるようになった。
 そして今は……。
もうそのパン、口にねじ込んで牛乳で流し込んじゃえば?
 と素直に思うようになり、ずけずけと口に出せるようになっている。
 放っておくと、果歩は冗談じゃなくホントにカレーパンをもごもご言わせたまま5時間目の授業に出ることになりかねなかった。
ねえねえ、それでお兄さん、スマホ買ってくれるって?
 由宇のとなりに寝転んでいた佐和子がそう口を挟んだ。
えー、分からないよ、そんなこと。お兄ちゃん、お金ないもん。ママは『スマホなんてまだ早いでしょう』とか言ってるし。
誕生日はバニーちゃんのぬいぐるみぐらいの期待にしとく……。
うちのママと同じ台詞だぁ――。
 佐和子はそう絶望的に言うとばったりとカーペットに突っ伏した。そしてむっくりと顔を上げ、まだベランダにいる果歩の方へ目をやった。
 果歩はちょうど牛乳の最後の一口を煽ってる最中らしい。未練がましく上を向いてる影がサッシの下半分――曇りガラスになってるところへ映っている。
果歩はいいなぁ~。
 仲間内でスマホを持っているのは果歩だけだった。
 それが今、羨望の的なのだ。
 時々、『百合ちゃん』からSNSメッセージなんかが入ることもある。いや、正確には百合ちゃんから以外のメッセージなんて、由宇が兄のアドレスから送った1通以外に来たことはないのだが、それでも由宇や佐和子には羨ましくてたまらないのだ。
由宇も羨ましい~。お兄さんのパソコンでメッセ送れるし、バニーちゃんの占いだってできるし……。
いつでも使わせてくれるわけじゃないよ。お兄ちゃん、インターネットに夢中だもん。チャットとかしてると絶対使わせてくれないし……。
昨日も拝み倒してやっと使わせてもらったんだよ。お兄ちゃん、ご飯食べたらずーっとパソコンにかじりついてて……。何か調べてたみたい。

――あ、そうそう。佐和ちゃん『ジャングルに虎がいる』ってお伽話知ってる?
知らない。何それ?
さあ? 私も分からない。
昨日お兄ちゃんが見てたブログに書いてあったの。ちょこっとしか見なかったし……。
でもさ、なんだかカッコ良くない? スパイの合言葉って感じ。
そのブログを書いた人がね、そういうお伽話を知ってる人を探してるんだって。
『ジャングルに虎がいる』?
 突然、果歩が話しに割り込んできた。
 由宇と佐和子は顔を見合わせ、それから果歩に目をやった。ちなみにその手にはまだひとかけら食べ残しているカレーパンがある。
果歩、知ってるの?
 果歩は答えず、残りのカレーパンを口に放りこみ、ろくに噛みもしないで息苦しそうに飲みこんだ。
果歩?
……。
 もう一度声をかけたが、果歩は黙ったままだった。
 牛乳のパックを口へ運び、喉に詰まったカレーパンを流し込みたかったが、もうパックの中は空っぽになっていた。
 胸を3度拳で叩いてようやく飲みこむと、由宇のそばにぺったりと腰を下ろす。
……それって、王様が虎と賭けをする話?

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