いかに主は導きたまうか。

2.1 Here I am 天に存在、眼前に仏。

エピソードの総文字数=3,511文字

 その後のことはあまり憶えていない。どのように過ごしたのか等の細々した推移は思い出せない。ただボクは只ならぬ状態に在り続けていたのは間違いない。記憶の記憶でしかないが印象的な出来事を表してみよう。時系列になっているかは自信はない。

  日常は変わらず、Butte College(短大)にバスで通い授業を受けて家に帰る。ホームワークを仕上げたり予習復習のために近くの大学のカフェテリアやダウンタウンのカフェで過ごした。

  ボクは楽になっていた。捕われから逃れ、あるがままのボクでいられたからだ。あえて言葉を探して表すとするならば、【存在】自体のレベルが変化してしまったになる。馴染まない高いエネルギーが体の中に保持されていた。おかしな堪え難い違和感も同時にあり、これではもたないなという予見もあった。

  多くの劣等感が消え失せていた。たとえばボクは背が低く、163センチ、子供の頃からの劣等感の源だった。ここでは萎縮する場面が更に多かったのだが、もうそんなことはどうでも良くなっていた(劣等感は自分への自信のなさの現れだ)。今の自分が駄目ならそう思う人たちは気にしない、相手にしない。今の自分(如何に酷いできあがりであるとしてもだ)を受入れてくれる人たちだけでいい、といった開き直りの感慨やおかしな自信から来る楽観、世界は広く深いとの認識が備わっていた。ましてやここは異国、それも自由の国アメリカなのだから。関わる、ここアメリカの人々に対してフランクかつ親愛の思いから言葉をかけることができた。他人の存在を自己のものと同等のリアルさで感じることができた。道ですれ違う見知らぬ人であってさえだ。ボクは、ここの人よりもここの人になっていたような気がする。

  Chico Stateのキャンパスでの思い出がある。よくうろうろしていたので、当然目に映る可愛い女の子達の幾人かは遠目に覚えてしまう。それだけの魅力の持ち主がわんさかいたのだった。ボクは、とてもではないが交流を持ち得る余地なんかはなかった。それがだ、その内の1人と会話を持ってしまっていた。えらく軽口で危ないことを言っていた。
   『A lot of jail-bait is around here.』 
   訳:ここは18歳未満の可愛娘ちゃん達で一杯だね。(18歳から成人)

始まりは、なにか切っ掛けや他の会話もあったであろうが、そこは憶えていない。彼女は意味は理解は出来ていたが、思いもしれない言葉だったので、返しは宙に浮いてしまったようだった。決して不快には受けとめられた感じはなかったのでホットしたのを憶えている。数日後、この娘ともう一人とびっきりの女の子が2人してボクと会話をしていた。彼女らは何を思ったのか「教会関係のかたですか?」とボクに訊いていた。とても意外な思いがした。先の言葉を言う教会関係者はいないであろうに。ボクは、だから思うのだ、ボクが社会化されたのはここアメリカだと(だいぶ先の話になるのだが会社の同僚に言われる。英語のほうが流暢に話せるねと)。空気には大気には、そこの情報や文化が刻まれており、それを裸身で一瞬にして吸収(ダウンロード)してしまったのではないだろうかと推測している。

  頭脳は静かで明晰だった。メルロ=ポンティの【知覚の現象学】を少し改めて読んでみた時、ボクは”美味”と感じたのだ。脳にも味覚があるとは知らなかった。

  選択科目にロジック(論理学)があったが、何故か馴染んだ。本来ならば早めにドロップしてしまいそうな科目ではあったのだが。”術式”だとのおかしな認識があった。あるポップクイズではボクのクラスの中で正解はボクを含め三人だけのものがあった。先生はボクにこれをわざわざ伝えてくれた。

  勉強で分からない所があると分かろうとして苦しむと最後には理解ができた。カウンター席で嘆きの声をつい漏らしてしまい、それに気付いたウエイトレスが応援の言葉をかけてくれたのを思い出す。カフェのカウンターといえば、隣にすわっていた黒人の人がオレンジジュースとコーヒーとをつないで飲むの気づき、胃に良くないので止めたほうが良いよと声をかけていた。黒人の人は「へーそうかな」と言う感じだったが、回りの人々の驚き動揺が伝わってきたのを憶えている。なにかやってはいけないことだったのかもしれない。 

  金曜日の午後はビリヤード場で過ごした。町外れの小さな一軒家。台は三台程。ハルオさんという少し年配の人とやっていた。9ボール。感覚が鋭くなっていたのでどんな玉の配置であってもコーナーに玉を落とすことが出来た。声かけで「He gets Hot !」などとハルオさんは言ってはやし立ててくれたくれたが違った。確信的なだけだった。『落とす』との意志だけで十分だった。静かな安定した集中力が備わっていた。激しく攻撃的に玉を弾き落とすことも、ほんのささやかな力加減で玉をゆるゆるコーナーに落とすことも自在に出来た。ジョッキの生ビールは美味しかった。バックでルーテインで流れるヘンドリックスの"Purple Haze"が思いだされる。

  ある午後、なにかに干渉される。目に見えない存在に。自分の部屋に入る。ボクの部屋の床は日本からもってきた本が散乱している。静かに一冊を取り上げる。ドストエフスキーの【悪霊】。ベージを繰り開けたページの一行に目が止まる。『鍛えられていない』とある。チホン僧正がスタヴローギンに語る場面だ。またもう一冊をとる。コリンウイルソンの【覚醒への戦い】と言う本だった。これは未だ読んではいないものだ。内容はグルジェフと言う人についてのものだった。干渉はいつしか消えていた。

補記:振り返れば、これまでの人生でこのような干渉は二度ほどあるにはあった。何故かほとんど気には留めてはいなかったのだが...。一回は小6の時か...。家の階段でしこたま向こう脛を打った。「耐えよ」との求めが頭の中にあった。声も上げずに七転八倒して堪えていた。恐ろしく時間を長く感じたがやがては痛みは収まっていった。もう一回は高1の時、悪い遊びを一人でしていて頭をぶん殴られた。その遊びは二度とすることはなかった。

  アメリカンハウスには玄関前には深い庇の下、ウッドデッキのテラスがあった。ここにはカウチがあり、ここで日を避けて時を過ごすのがボクは好きだった。以前にはなかった解放感も手伝って、ボクは寛ぎの中、完全な眠りともいうべきものを体験する。おそらくは、とうに失っていたものなのだろう。ルームメイトのアンドレは、その在り様を見て、あとで”Crush”してたとの表現をした。また、ボクはここで生まれて初めての瞑想を体験する。それは自然と始まっていたのだ。何も思っていない、考えてもいない。ただ違う精神状態にあることは知れた。これまでに、こうなろうなどと思ったことはないし、試したこともない。*子供の頃のアルバムに、座禅をするヒロスケとの題で、裏庭のコンクリートに本当に座禅をしている風のボクの写真はあるが。

  ある日、誰かの家にパーティーかなにかで招待されたのだと思うが、何故かボクは一人で庭にいて解放感を楽しんでいた。あの体験からそう日は経っていないと思う。ボクは幸福感に満ち空間を景色を日の光を時を味わっていた。目が空にいく。そこに存在を伝えるものがあった。圧倒的な存在感。映像はない。言葉もない。がっ「我在り」というメッセージ以外にはとりようがない強烈な存在の訴えがあった。また目線を地上に戻すと、薄らとぼやけた感じではあったが仏のようなものが見えた。あっと言う間の出来事だった。これには決定的に驚いた。世界観が変わってしまう。なんと神は本当(リアル)に存在するのだと思った。駄目だった。他の可能性も、例えば宇宙人でもありえるのかと後で考えたりもしたが感覚の味わいが印象のメッセージが明らかすぎた。そこに居られご自身を表されたとしか受取り様がなかった。ボクごときの為に。。。。そら恐ろしくも感じた。。。ボクは生涯これを忘れはしないだろう。また、無しにすることはできない。

後述:その後、ボクは日本に帰ってからもう一度だけ”存在”が、ご自身を表されることに恵まれる。

追記:ボクの中に居るナニカが主導権を奪還しようと昇りあがろうとすることがあった。なにをどうしたのか分からないが意志においてそれを封じることができた。彼のほうが、アレ等より強いとだけ記しておく。
  

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