パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

エピソードの総文字数=4,172文字

 精霊商会での土曜日の昼食を終え、本日はこのまま姐と共に、自転車で楽園町に向う予定、であったが、なかなか姐が台所から離れようとしない。人に会うことを意識したのか、姐にしては珍しく今日は〝履き心地〟よりも〝見た目重視〟の長いスカートをはいているものの、何かとバタバタして一向に終わる気配がない。約束の時間も迫っているし、俺は忙しそうな姐さんに仕方なく声をかけた。

「姐さん、やっぱり突然予定を入れても、間に合わないんでしょ?」
「意外と、夕食の仕込み時間短縮ってできないもんだね~。ジョーキ、あと少しかかりそうだから。瓶白さんとこでやることあるんでしょ?いいよ、先に始めてて。一時間ぐらい後にアタシもここを出るから」
 通信文(メッセ)にある、〝マドレーヌの代金〟が指す物は、〝瓶白の名前を推測して当てた事の説明〟である等は、昨夜の証人喚問で伝えている。
「姐さん、ル・ジャルダン三十三の場所知ってたっけ?」
「楽園大学のすぐ西、十字大学の南西でしょ?行ったことはないけど、地理的には把握してるから大丈夫」
「了解。それじゃ姐さん、お先に~」

***

 その後、俺は淹れられたばかりの熱いコーヒーを、少しずつ(すす)っては暖を取っていた。この雨後の花冷えの時期、温かい飲み物は実に有り難い。手に持ったカップと目の前の菓子皿は、先週に引き続いての少女趣味――花と優雅な曲線美――オールド・ノリタケである。狭い茶室はコーヒーの芳醇な薫りと、事前に焚かれた香が混じり、甘美な空間を呈していた。俺は自らの名の通り、常に悦んでいる状態だった。

「……というわけで、先刻、瓶白への通信文(メッセ)でも伝えた通り、姐さんは遅れるってさ、一時間ほど。先に始めてろという、有り難~いお言葉付きで」
 話の途中で啜るコーヒーは、酸味が強くも苦みが無い、水のようにスルスルと飲める、不思議な物だった。なんでもこのコーヒー豆は、三〇四号室に先日入居したダニエルさんからの、お近づきの品だそうで。
「それは残念です……ですが、偶然にも二人だけの時間と場所ができました」
 色留袖をまとった瓶白は、茶請けのリリコイ・クッキーを口に入れた。ご一緒に、ご相伴に預かりたいそうで。言うまでもなく、このクッキーは彼女の自作。彼女は続けて俺に話した。

「さて、金剛寺兄弟、今日は『お濃茶(こいちゃ)』を、牛王姉妹とご一緒に、一服楽しんでいただこうかと思っていたのです。ですが、まだ牛王姉妹がこられないのでしたら、今からどうしましょうか?」
「そうだな、茶室の中に机とプロジェクター、スクリーンまで用意されていることだし、まずは瓶白のお婆さんのメッセージ解読から、でいいかな?」
 俺はケッタマシン三号でここまで移動する道中、時間を有効に活用するために、瓶白に机とプロジェクターの準備を事前に依頼しておいた。
「はい、すべては金剛寺兄弟にお任せします」

 許可を得た俺は、昨日までかかってノートPC内にまとめた資料を、スクリーンに映し出した。俺の背後と、俺の左手にある二面のスクリーンには、テキストに起こされた、例の瓶白祖母からのメッセージ文、それと併せて途中の計算用スプレッドシート、いくつかの地図や写真が取り混ぜられて表示されている。
 瓶白は今、元のメッセージ文を手に持っており、一字一句、俺の記憶から再構成された文章や数値に、間違いがないことを調べていたようだが、問題はなさそうだ。

 この、実に高くついたマグダラのマリア(マドレーヌ)の身代金、ではなくて代金を払うべく、以降の俺は、しばらく一方的に話す、独演会状態となった。やはり、茶菓子は無料がいい。

***

 まずはこの暗号文、とういうか、暗号プラス謎かけ文章だが、数値のところは確実に暗号だ。
 
 暗号というは、そもそも平文を、一定の規則やアルゴリズムを使って暗号文にし、また一定の規則やアルゴリズムを使って、暗号文を元の平文に復号することができることが前提となっている……ああ、すまない、わかった。この手の話は止めておく。安心しろ、金輪際しない。

  くぉう゛ぁでぃす,ねぷてぃす?

  1
  [-00/00/20, 00/00/21]
  薔薇冠と 蟹は うたた寝 赤壺の下
  [-00/26/19,-01/44/54]
  パナギアの 孫は海星 坂の上

  2
  [01/25/28, 107/52/07]
  金もなく 銀もなく
  キリストの名で歩けば強くなる
  二人を結ぶ ユカリキリセ
  ないは あるなり その円環

  3
  [02/45/40, 109/37/33]
  ブルブルと 結ぶ心は 涼しかるらん
  義の太陽 翼を詰めるは エホヤダの箱
  満たされし奇しき薔薇壺 赤壺の蟹へ

  ぜはっだばぁるあしぇるたぁす

 数値以外部分は、暗号というよりも、知っている人・解っている人だけに通じる言葉遊び・メッセージのような物で、おそらくは一定の法則に従っておらず、何かをほのめかす程度の内容になっているのだろう。ということは、俺よりも瓶白に有利なものと思われる。いわゆる一定の、正攻法的な解き方というのが存在しない。類似性の点で言うと、おそらくは箴言30もその類なのではないか?例えば「わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである」とか。なので、ここは深入りしない。深入りするのは数値の部分だ。

 そして、数値は簡単だった。まず、一段目から見てほしい。瓶白の話の中にも、それなりにヒントがあった。一段目の日本語部分には、『赤壺』の、壷の字の中に含まれるギリシャ十字の形等も含め、お婆さんが入院している第八日赤病院、それと、坂の上の海星(ステラマリア)は、瓶白が三月まで通っていた中学校、と仮定する。この茶室、病院、中学校の緯度・経度――ここだと北緯・東経になるが――を調べてみたが、以下の通りとなる。便宜上、1a,1b,1cとする。Nの左側の数値が北緯の度・分・秒であり、同様にEの左側の数値が東経の度・分・秒、をそれぞれ表している。

 茶室 ( 35° 09′02″N 136°57′35″E) ……(1a)
 病院 ( 35° 08′42″N 136°57′57″E) ……(1b)
 中学 ( 34° 42′43″N 135°12′49″E) ……(1c)

 また、この茶室を基点として、緯度・経度の差分を求めると、次のようになる。差分だから、茶室は全てゼロ表記となる。

 茶室 ( 00° 00′00″N 000°00′00″E) ……(1a')
 病院 (-00° 00′20″N 000°00′21″E) ……(1b')
 中学 (-00° 26′19″N -001°44′54″E) ……(1c')

 細かい数値は苦手?おいおい、どこの大魔王だよ。もう少し辛抱して訊いてくれ。注目して欲しいのは、この1b'と1c'の数値部分のみ、メッセージに書かれた小さな数値、[-00/00/20, 00/00/21] [-00/26/19,-01/44/54]と一致しているだろ?そこだけ解ってもらえたら、後は気にしなくていい。

 なぜこれに気づいたのか?それはこの茶室に近い病院を改めて地図で測ってみたが、この茶室から南に620m、東に550mぐらいに位置する。瓶白が言っていた、南東に800mはそこそこ正しかった。ここでは面倒だから、緯度だけ考えてみよう。緯度の一秒は、約31m。緯度での二十秒とは即ち、南北に31mを二十倍した、620mを指す。ここと病院は、南北に620m離れていることから、ピッタリと合っているだろ?俺は偶然にも、緯度の一秒は約31mと知っていたからこそ、簡単に解けた。

 同様の手法を用いて、二段目・三段面に残された、互いに似通った二組の数値[01/25/28, 107/52/07] と[02/45/40, 109/37/33] であるが、それぞれ茶室からの緯度・経度差分だと仮定し、元となる緯度・経度を求めると、以下の通り。ここでは二段目で出てくる数値の元の緯度・経度を(2)、同様に三段目を(3)とする。

 二段目 ( 36°34′30″N 29°05′28″E) ……(2)
 三段目 ( 37°54′42″N 27°20′02″E) ……(3)

 ここまで、いいか?細かい質問は後で受け付けるので、このまま進める。この(2)と(3)の地点を調べると面白いこととなった。

 ここでの(2)の緯度・経度は、トルコ共和国の地中海沿岸にある、小さな村、カヤキョイと呼ばれる村を指している。
 もう1つの(3)の緯度・経度は、同じくトルコ共和国のエーゲ海沿岸にある、山中の、本当に小さな施設を指していた。その山中の施設を調べると、ハウス・オブ・ザ・ヴァージン・マリーと呼ばれる観光地、いや瓶白視点で言うと巡礼地とでも呼べばいいのだろうか、日本語では、聖母マリアの家となる。

 時間があったので、カヤキョイと、聖母マリアの家について調べてみたのが、この様々な写真だ。これは、個人の旅行ブログなどから集めてみた。

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★箴言 30:18 「わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない」
★箴言 30:19 「すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである」

作者コメント
執筆と言うより、数値の確認に時間がかかってました。

昔から読んでくださっている人によっては、「薔薇冠と 蟹は うたた寝 赤壺の下」の部分、初見かも知れません。この暗号文はもう少し後で出すつもりだったのですが、前倒ししました。「脂滴る獣肉もいいが、レモン香る貝――マグダラのマリアも捨てがたい」のセクションで提示されます。

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