オーバー・ザ・フェンス~十字架と罪過は誰が為

第十四章 マタイ七章四~五節

エピソードの総文字数=4,696文字

『兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まずは自分の目から丸太を取り除け。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる』マタイ七章四~五節

 俺は調査の目的を、知恵を見つけることから春崎一家の背景を知ることに変えるべきスマホを通してコナーに伝えた。彼女は俺の報告と意見を聞いてしばし黙り込んだ。
「それって本末転倒じゃない?背景を知ってどうするつもりかしら」
「いや違う、まずはあの家庭を調べるべきだ。俺たちは今あるモザイク画を見て、その中から至近距離で一つの色を見つけようとしているんだ、一度顔を離して画家の個性やそれまでの作品を見たうえで色を探したほうが見当もつける、そうだろ?急がば回れという奴だ」
「って言ってもなあ……でも、そうかもしれない。正直行先のわからない相手を探すなんて無茶もいいところだし、でもそれだけじゃない気がするわね、そこはどうなの?」
「どういうことだ?」
「琥珀、何かあるんじゃないの?疑問というか納得できないものでも」彼女は声を低くして言った。隠し立ては許さないと暗に示しているようにも聞こえた。
「……一つある。だが正直おかしいことなのか例外と捉えるのかで保留はしていたが」
「それはなに?」彼女の問いに俺は唇を湿らせた。野草の香りを含んだ風が吹くと唇が冷えた。
「引きこもりが家出をするかってことだ、俺の記憶が正しければそう言う事例を聞き知った覚えはないし、これまでの依頼でその手のことは無かったはずだ」
「……言われてみればそうね、半年間も部屋にこもっていていきなり出ていく。今までのだと引きこもった末に感情が爆発して……」
「そう、暴力沙汰を起すとかな。そこが判断しきれない点なんだ」
「いいわ、とにかく方針転換はすべきでしょうね。都内の歓楽街の店にまわるのはいつでもできるし」
「そうだな」彼女の声音に複雑な響きがあった、そして俺も同じものを感じている。まるで肉屋の軒先に並ぶ肉のように立たされ写真を張られる女たちを見ると複雑な思いを感じた。それは彼女たち自身にではない、それをしても見てもなんとも思わない他の連中を見て吐き気がするのだ。プロで体を売る連中は確かに存在する、だがそれはあくまでもプロと言う一部であってほとんどは何らかの形で搾取されているのだ。
 物思いに浸った俺の鼓膜をコナーの声が叩いた。
「もしもし、聞いているの?」
「ああ、なんだって?」意識を戻して耳を傾けた、コナーのため息が聞こえると心に刃物が突き立てられたように感じた。
「だからね、今どこにるのって聞いているの」
「D羽公園だ。そこの池を眺めているところだよ」
「D羽……ああ、なるほど。そこで待ってて。合流して一緒に春崎久子に話を聞きに行くわよ」
「居場所は実の娘でさえわからないんじゃ?」
「そうかもしれないわね、でも彼女と懇意にしている長塚誠は知っている、彼は教会の集会やイベントである種の責任者に当たるんだけど今日はホームレスへの配給についての会議があるのよ、おそらく久子も顔を出すはずよ」
「そこを当たるってわけだ、で、場所は?」
「彼の自宅よ。もう住所は掴んでいるし下見もしたわ」コナーは平然と言ってのけた、彼女のペースには時々ついていけなくなる。
「じゃあ、もう少し池を眺めて黙想でもしておくよ、目を閉じて池の柵によりかかっているイケメンを見つけたら俺だと思ってくれ」
「そんなのいやしないわよ」通話はそこで切れた。俺はスマホの画面をじっと見てからポケットに収めた。別に俺も反対はしなかった。
 
 時間を潰すというのは何とも難しい、忍耐は苦痛を伴うことが多い。だがそれは必要な代償なのだ。記憶のフィルムを巻き戻し疲れ、煙草に火をつけてゆっくりと吸い込んだ。口と肺の中が苦く熱い煙で満たされ、吐き出すたびに一筋の煙は宙に伸びてはかき消されて流れていく。それを見るたびにどこか物哀しかった、自らの人生をどこかで重ねているからだろう。だがそれがなんなのか考えるのは避けた。また昔のように死を望んでしまいそうだから。
 煙草を三本吸い終える頃にようやくコナーと合流できた。あいかわらずトレードマークの白ジャケットと白パンツで自負と存在感を醸し出していた。ジャケットの下で紫のYシャツがめについた。
「OK,それじゃあ行きましょうか?」彼女は俺を見て言った。俺は頷いて煙草の火を消し、隣に立って一緒に歩き始めた。すでに三時を回って日が若干傾いていた。
「会議自体は今さっき終わったわ。でも彼女はよく居残っては雑談をするそうなのよ」
「それでいなかったら?」
「それはその時になってからよ、しゃべるのは私がするわ。でも何か聞きたいことがあったら様子を見て口にしてくれると助かるわ」
「りょうかい」
 コンクリート塀や金網が両脇にそびえる住宅街を歩き続けているとある家が目に付いた。壁は白で瓦を敷き詰めた二階建ての一軒家だ。そこから老人たちがぞろぞろと談笑しながら出て行っている、俺はコナーに目くばせすると彼女は一度だけ頷き、歩を進めた。
「ここよ」彼女はそう言ってインターホンを鳴らした。しばらくすると年相応の低い声が応じた。
「はい、長塚ですか?」
「私立探偵の天ノ河といいます、ここに春崎久子さんがいらっしゃると伺いましたが、今いらっしゃいますか?」コナーは流れるように自らの苗字を名乗った。名前を名乗るよりも効果的だ、実際にそれは効した。
「ああ、春崎に?」しばらくして黒の扉が開くと誠が出てきた。禿げ上がって残っている神は後頭部に残る白髪だけで、しみは浮いている、しかし頬に出来た笑い皺と細い目はほがらかだった。彼は俺とコナーを見て目を見開いたがすぐに笑みを浮かべた。
「私立探偵の……」
「天ノ河コナー、こちらは助手の琥珀です」
「突然伺って申し訳ありません、ですが重要なことなので」営業用の笑みを被ってにこりとした。
 彼は俺とコナーを見比べたが害はなさとう判断したのか中に入るように手で促した。俺たちは礼を言って彼の家に上がった。あがってすぐはキッチンでその右の部屋はおそらく居間、そして左手には二階への階段が見えた。
「春崎久子は私ですが、一体どういう用件でしょうか?」畳のひかれた居間にいたのは彼女だった。縁なしメガネで寸胴のような体つき、厚化粧で皺はないが黒々とした眉と赤い口紅が浮いてみえた。髪を後ろで引っ張るように縛り上げ、黒地にいくつもの花が咲き乱れた服を着ていた。
「行方不明の春崎知恵さんについて、お話を伺おうかと」俺が視線を走らせている間にコナーが一歩前に出て口を開いた。
「あの子について?一体誰が……」
「それは守秘義務です。しかし依頼人は彼女に何があったのか、そしてどこに行ったのか気がかりで私たちを」コナーの言葉に久子の眉が震えたのが見えた。しかし久子はにこやかにほほ笑んで手招きした。
「私はこれから別の会議に出席しなければなりません、それにここは長塚さんのお家ですし長く話せませんが、そうですね、話せることなら話しましょう」
「構いません、今は情報が欲しいので」俺たちはせんべいよりも薄っぺらい座布団に腰を下ろした。俺とコナーは隣り合って座り、その向かいに久子、そしてその隣に長塚が座った。
「彼女が家出をした時の状況を教えてくれませんか?」
「それがはっきりとはわかりません、あの子はどういうわけか学校も教会も放り出して引きこもったのです。もちろん、どうにか行かせようと説得しましたがうんともすんともいきません、それで結局あの子の部屋の前に作り置きの料理を置いていました」彼女はそこで震える言葉を切った。
「確かそう、クリスマスの前だったでしょうか。部屋の前に朝ご飯を置いてミサに出かけました。それで昼ごろ帰ってきて見たらそのまま廊下に残っていたのです。部屋を開けたら、その時にはあの子は居ませんでした」
「つまりほとんど真冬のころに?何かなくなっていたりしませんでしたか?」
「いえ、あの子はほとんど荷物らしい荷物は……でも主人のトランクが無くなったのでたぶん、それを持って……」
「トランクと言うと?」と、コナーは言った。
「主人は元もと会社の関係で海外に出張することが多かったのです、その時によく大きなトランクを持っていってました。それが無くなってました」
「引きこもっている時の彼女の様子はいかがでしたか?」俺は組んでいた腕を解いて言った。久子は俺を見た。
「どうと言われても……私は日ごろあまり家に居ないので……」
「あまり娘さん方と交流が無かったと?」しどろもどろに答える彼女に俺は畳みかけた。
「私は自分の信仰に従っていました。今思えばもっと話をしてあげたらとは思いますが、その時はちょうどクリスマスパーティーの準備にかぶってて」コナーを横目で見ると何か言いたげに眉をひそめて顎に手を当てていたが、その手を下ろし、言った。
「久子さん、なにか引きこもるような、あるいは家出するような心当たりはありませんか?」
「ありません、だから今でもなぜ出て行ったのか心配になるのです」彼女はすぐに答えた。しかし一瞬だったが動きが止まったのは見逃さなかった。
「知恵さんを説得しようとしたとおっしゃってましたが、具体的にどういうことを?」
「部屋の前に立ってあの子に話しかけてましたわ。本当なら扉は閉めない約束をしていたのですがあの子はずっと扉を閉めていましたから」
「扉を閉めない約束?」俺は言った。
「ええそうです、テレビで知ったのですが引きこもる子供はほとんど部屋を持っているでしょう?私は子供の為に扉を閉めないようにと言ったのです、そうすればすぐにあの子たちが何をしているかわかるでしょう?」彼女はどこか褒められたそうな表情を浮かべたが俺は無視した。
「こんなことを言うのもなんですけど、あの子たちの考えていることがさっぱりわからないのですよ、あまり私たちに話をしませんし、教会にも来ない。人手が居る時に手伝おうともしないのですよ。私たちの世代とは考えが違うのでしょうかね」
「あまり家に居ないのなら言いたいことも言えないのでは?」コナーは言った。
「そんなことはありませんよ、いつも朝と夜に顔を合わせるのでその時に話せばいいでしょう?なのにあの子たちはいっつも黙っててばかりで相談もしないで……」そう言って久子はハンカチを取りだして目元をぬぐった。ちらりと長塚を盗み見るとあらぬ方向に視線を向けて腕を組んでいた、われ関せずと言わんばかりだった。
「ところでどうして教会の行事に熱心なのです?」俺は口を開いた。
「それはそうするのが正しいと信じているからですよ、イエス様が人の為に生きられたのだからあの方を信じる私たちがそうしない道理がありますか、ないでしょう?だから私は活動を続けているのです。前は家族全員で向き合ってきましたが、主人も娘たちもしなくなりました。だからその分打ち込み続けたいのです。それが私にとっての信仰なのです。神様が私たちに愛を注いでくださったのですから今度は私たちの番です。それに社会は不寛容ですから」
 コナーは居心地悪そうに座りなおした。俺は頷きつつも話の内容を聞く気にはなれなかった。
 人のためと言いながら、一番身近な人のためにこの女は何をしたのだろうか?

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