オーバー・ザ・フェンス~十字架と罪過は誰が為

第四章 ヨハネ五章八節

エピソードの総文字数=1,793文字

『イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」』ヨハネ五章八節

「それで知恵さんは見つけられると思う?」
「無理だな」言葉を返すとコナーは端正な眉を露骨にひそめた。
「もう少しくらい悩んだりしてからそう言ってほしかったわね」
 俺は肩をすくめただけで何も言わなかった。依頼を正式に受けた後、日を改めて調査を始めるということで俺たちは夢奈と別れた。その理由は事前情報として春崎家について調べる必要があったこと、それから当時の事を聞き出そうにも夢奈本人は感情が高ぶりすぎて話をするには適さないと判断したからだ。俺たちは路地裏なのか一般道路なのか定かではないほどに狭い道を渡っていた。両側を長年の煤と埃で汚れたコンクリート塀が囲っている。
「つまらない嘘をつく気にはなれないな。一年前に出て行った人間なんてどこにでもいけるぞ、それこそあの世にだってね」単純に死ねたのならまだましだろう、魂の抜けた残骸になるよりはまだましだ。
「でも調べるには調べるんでしょ。私としては、その、見つけてあげたいわ」
「何だってそう思い入れる?」俺は首を振って言った。コナーは目を瞬かせて口を開いた。
「困っている人がいる。私たちはそれを解決できる力がある。だから助ける、それだけよ」
「わかったよ、とにかく一週間だ。それからあの娘っこに諦めるように説得しよう」俺は両手を挙げた。コナーを説得しようとするのはモアイ像で純愛ドラマを作るようなものだ。やり方なんて知らないし、想像もつかない。とはいえ彼女は俺の提案には頷いた。
「まあ、当面はそれでいいわ。私はこれからこの辺りで聞き込みでもするつもり。そっちはどうする?」
「さてね、一度戻って考えを整理するつもりだよ。それに明日の準備もしたいしな」
「じゃあ、後でね」コナーが手を差し出し、俺は握手に応じた。細く白い指でありながら握り返す力は強かった。彼女は踵を返すと住宅街の迷路に消えていき、俺はそのまま歩き続け大通りに出てから最寄りの駅に足を向けた。
 
 家出、色々なパターンはともかくその動機はほぼ共通している。つまるところは脱走なのだ。それがその家そのものなのか、あるいはその環境なのかはともかくとしてとにかく家出する人間はその場に居たくないのだ。裏を返せば真っ当な家庭で起きることはまずありえない。仕事づくめの夫に愛想を尽かした妻が不倫相手のビジネスマンと共に高跳びしたり、あるいは家独自のルールにげんなりした子供たちが一時の感情に任せて家を飛び出したケースはそう難しいものではない。極端な話、この手合いがほとんどだ。
 何を探せばいいかわかっていれば自ずからその探し物が飛び込んでくる。例えばパソコンの検索履歴や私室に飾っている写真、本棚に詰め込まれている書物、日常の会話や身振り手振りから手がかりを読み取れれば選択肢は狭まってくる。
 だが家出できるというのもある意味では羨ましい。その先が地獄の一町目であっても行けるところがあるという事実は変わらない。あるいはそうするだけの行動力と言おうか。
 家に居場所が無く、学校や会社にもなく、未来への展望も無い。頼れる他者もおらず、指針となる支えが無ければ人間はどうするか。仮にそこから抜け出せる手段があってもそれを知らなければ無いも同然だ。
 そして彼らは現実そのものから脱走する。首つり、飛び降り、練炭、都心だったら電車の下敷きになってバラバラになるのは流行の死に方だ。ディーラーがカードを切るように自らを切る。絶望の末に、苦しみの末の場合もある。だが俺の経験からすると灯りのスイッチを押す感覚に似ていた。指先一つでぱちんと消える。人間はいつでも死ねる、条件さえそろえば『その程度の些事』にすぎないのだ。
 だがその事実を理解できない連中は多い。そしてそいつらがどれだけ人命が重要なのか言葉を振りかざしても行動で示さない限り、俺たちは納得しない。俺たちは教えられたことよりも教えた人間がどうなのかを見る。その末に零地点に落ちていくのだ。
 俺はそれを知っている。何より零地点に足を踏み入れかけた。半歩進んでいれば俺は壺に入れられて石の壁に囲まれていたはずだ。あるいはモルグで放置されるか。
 だが歩き続けている。そして会ったことも無い女を探し出そうとし、考えを巡らせているのだ。

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