頭狂ファナティックス

瀧川紅月VS清美一暁②

エピソードの総文字数=4,720文字

 清美は自慢の髪を焼かれ、頭を口惜しそうに撫でまわしていたが、なおも慇懃な口調を崩さなかった。その態度は虚勢ではなく、剛胆な性格に基づくものだった。このような気質の人間は落ち着いた精神を持ち、スペクトルの変動が少なく、それに伴いコンプレックスの性能も安定している。何よりも不意打ちの攻撃を食らっても取り乱さない強かさがあった。そのコンプレックスを考慮すると、滅多なことでは傷を負うこともないはずであり、さらには後輩の女生徒に一杯食わされた形だったが、清美は動揺すらしていなかった。
 鎖は二人の距離が十歩も離れると、軋むほどに張った。紅月は手錠を観察したが、鍵穴もダイヤルもなく、一度施錠すると破壊することでしか外せない使い捨てのものだった。急激に鎖を引き、清美の体勢を崩そうとしたが筋力の差は歴然で、びくとも動かすことができなかった。むしろ紅月の方が振り回されかねず、常に鎖に余裕を作っておくため、相手の拳が届かない範囲で接近する必要があった。
 紅月の戦術は内臓を破壊される覚悟でひたすらにその場で相手の攻撃を受け止めることだった。そのために両腕を高めに上げるボクシングのフォームを取った。これは胸部や腹部、下半身を犠牲にしてでも頭部を守るためである。脳や顎に衝撃を転移させられると、一撃で気絶させられる危険があるからだ。清美が弛んだ鎖に足を取られないように、器用に接近してくると、紅月は空いている方の手でハンドベルを鳴らした。清美の右足を対象にとった爆破は移動して、キャビネットから転げ落ちていた目覚まし時計が粉々に爆ぜた。二人の距離が詰まると、清美は拳を繰り出し、紅月は防御のみに専念した。
 相手が清美の場合に限らず、互いが至近距離にいるときに『太陽の塔』を発動することはできない。爆発に自身が巻き込まれる可能性があるからだ。しかも『私の名が赤』が相手の場合、そもそも爆発を自身の身体に移動させられてしまう。そのために紅月は鎖の許す範囲で距離をとっては、清美が接近を試みると同時にハンドベルを鳴らした。黒塗りのソファが爆破して綿を吐き出し、再び清美の拳が猛威を振るう。二人の距離が離れると、ハンドベルの音が鳴り、部屋にあるものが爆発する。この攻防が続く。
 清美は戦闘が始まってから決して床に衝撃を移すことはしなかった。仮に床に損傷を与えて抜けてしまうと、そこに突き落とされた場合(あるいは紅月が穴から飛び降りて、鎖に引きずられてともに階下に落ちた場合)、落下の途中は身体の外に衝撃を逃がすことができなくなるからだ。紅月はハンドベルを鳴らし続け、部屋にあるものを片っ端から爆破して、清美が床に衝撃を転移させざるを得ない状況に持ち込もうとする。清美のコンプレックスの範囲内に床以外には転移するものがない場面を作る、それが紅月の戦術だった。

 しかし部屋は無数にものに溢れている。清美のコレクションである手錠だけでも、百はあった。手錠は今では戦闘の騒ぎの中で床に落ちて、格好の転移対象となっていた。清美が徒手空拳の達人ではないとはいえ、紅月の身体には確実にダメージが蓄積していた。ハンドベルを持つ紅月の手が震え始めたとき、清美はその場に立ち止まった。
瀧川後輩。確かにあなたは私の攻撃をすべて防いでいる。一見すると私は一撃も相手に入れておらず、戦闘技術がひどく劣っているように見えるだろう。しかし実は攻撃の威力は身体の内部に潜り込み、着実に内臓を破壊している。口の端から唾液が零れている。拭きなさい。特別科クラスの人間が唾液を垂らしたままでいるなど、沽券に関わる(しかし紅月は唾液を拭かなかった)。よく見ると、血が混じっているではないですか。すでに内臓がぼろぼろになり、吐血しているのでしょう。
桑折同級生からは一度でも特別科クラスの義務を放棄した人間は、例え命乞いをされたとしても抹殺しろと言いつかっております。しかしこの清美一暁は紳士を自負している。あなたにもう一度チャンスを与えましょう。瀧川後輩、あなたがこれから心を入れ替えて生徒会の義務を果たすというのならば、特例としてその声明を認めましょう。
 清美は姿勢を低くして、断った場合、即座にとどめを刺せるようにしながら相手の返事を待った。しかし紅月は慈悲深いと言えなくもない提案に賛成も拒否もせず、相手を睨みつけながらひたすらに口を閉じていた。二人のあいだで紅月の震えに合わせて鎖が微かに鳴っている。紅月の性格を考えると、明確に拒絶の意思を見せないことに清美は不自然なものを感じたが、だんまりの態度を提案の拒否と受け取って、さらに打撃を加えるために素早く間合いに踏み込んだ。
 同時にそれまで両腕を高く構えて頭部を庇っていた紅月は両腕を低くする構えに改めて、顔を露わにした。そして口内に溜まっていたものを相手の顔面に吹きかけた。それは血だった。紅月は内臓の損傷により気管支から溢れだした血をすべて口内に溜めていた。目潰しを食らい、数秒間、清美は視界を失った。

血の毒霧だ! こいつを別のものに転移することはできまい! 口の中にずっと血を溜めておくのは、喋ることもできないし、呼吸もうまくできなくて苦しかったぜ。何よりも気持ち悪いしな!
 紅月はようやく口が自由になり、叫んだ。しかし視界を制限された程度では、清美のコンプレック、『私の名は赤』を封じることはできない。清美は突撃する前に相手の足元にコレクションの手錠が一つ落ちていることを確認していた。そのために両目から涙を流しながらもまったく焦ることなく、紅月がどのような攻撃を仕掛けてきても手錠に衝撃を移すつもりでいた。
 だが清美を襲ったのは、何かの爆破に巻き込まれる衝撃ではなく、首元に感じる軽い重みと冷たい感触だった。その正体に気がつき、清美の相手の攻撃を待つ大胆が危機感に変わったとき、手錠を嵌められた手が勢いよく首に引きつけられ、呼吸ができなくなった。首に鎖が巻き付き、絞めつけられていた。

清美先輩。あんたを剣や銃で殺すことは不可能だ。すべての衝撃は『私の名は赤』によって無効にされちまう。だが予想通り、「絞める」攻撃は通用するようだな!
 紅月は自分の身体に鎖を巻き付けながら床に腹ばいになり、鎖の締め付けを強固にした。鎖を引っ張られるにつれて、清美も身を伏せざるを得なかった。そして二人は並んで床に寝転ぶ形になった。身体に鎖が巻き付いた分、二人の距離は近くなり、紅月は手錠のついている手を身体と床に挟んで固定して、空いている手で清美の顔を押して、さらに鎖を引っ張った。清美は水面に顔を出した魚のように口をぱくぱくと動かしたが声が出せず、すぐに泡を吹き始めた。
このまま意識を絞め落とさせてもらう! 降参する権利を貰った恩義を仇で返すことになるが、俺はあいにく恥知らずでね! 命乞いをされたとしても、あんたみたいに耳を貸すほどの度量は持ってねえんだ!
 清美は鬱血した目を飛び出しそうなほどに見開き、紅月から視線を逸らすまいとしていた。その目からは、この絶体絶命の事態においてもなお、闘志が去っていなかった。清美は酸欠で痙攣する手をブレザーに突っ込んだ。紅月はその行動を気絶する寸前の、無意識に行われる意味のないものだと取った。しかしそこから取り出されたものは、奇襲のさいに使ったものと同じ型の拳銃だった。慎重を期する清美は拳銃を二丁、用意していた。そして拳銃を自分の心臓が位置する胸の上に突き立てると、間髪を入れず引き金を引いた。
 紅月は素早く変転する状況の中で、再び自分が窮地に追い詰められたことにすら気がつかなかった。しかし清美の決死の策略に気がついていたとしても、銃口を身体に当てた状態で発砲されては、銃弾を爆破する時間もなかった。銃弾の衝撃は床を伝わり、紅月の身体に到達した。僥倖だったのは、清美の意識が混濁していたために狙いが定まらず、衝撃は膵臓に移動したことだ。もしも脳に衝撃が伝わっていたら、紅月は即死だっただろう。
 それでも衝撃は激痛で数秒間気絶させるに十分であり、紅月の身体から力が抜けて、鎖が弛緩すると、すぐに清美は立ち上がり鎖を引っ張り上げて、敵の身体に巻き付いた分を解いた。鎖が解けるにともなって、紅月はその場でごろごろと転がった。鎖が解けて長さに余裕ができると、清美は首に巻き付いている分を外した。そして相手を蹴飛ばして、距離を開けた。蹴り飛ばされて床を転がった衝撃で紅月は意識を取り戻した。

 二人は何度目になるかも数えられないが、再び立ち上がり向かい合った。二人の距離が開いたために鎖は張るほどではないが、床につかない程度には引っ張られていた。しかし二人ともすでに満身創痍で、紅月は血の混じった唾を何度も吐いていたが、それでも口内に血が溜まった。清美は酸欠の影響で視線が揺れ動いており、両足も顫動して今にも崩れ落ちそうだった。大きく呼吸を繰り返し、声を出せるようにまでなると、清美は相手に語りかけ始めた。その声は強く首を絞められたせいで、先ほどまでより低く、震えていた。
まったく驚きです、瀧川後輩。あなたがここまで戦える淑女だとは思っていませんでした。これでも私は生徒会遊撃の役職を承っており、戦闘には自信があります。それが今ほどに追い詰められるとは。しかしこの勝負も終わりにしましょう。それができるほどに期は熟しました。この拳銃であなたにとどめを刺しましょう。
ちっぽけな銃じゃ俺を殺せないのは承知済みでしょう。『私の名は赤』が「絞める」攻撃には無力であることは証明したっす。互いの手首に手錠を嵌めたことで、却ってあんたは無敵でなくなったんすよ。
確かにあなたに向けて撃ったのでは、再び銃弾が爆破されるだけでしょう。しかしこのように撃った場合、どうなるでしょうか?
 再び清美は自分の胸に銃口を押しつけた。その光景を見た瞬間、紅月は悟った。相手が首を絞められ死の瀬戸際まで追い詰められたことによって、精神が高揚し、スペクトルが上昇していることに。今の清美は能力の範囲が広がり、銃弾の衝撃を五歩以上離れている紅月の脳にまで転移させることができた。
 引き金が引かれて銃弾が発射されると、清美の胸に生じた衝撃は鎖を伝っていった。
 同時に紅月はハンドベルを鳴らしていた。
 『太陽の塔』で爆破されたものは、ハンドベルを鳴らすとともに思い切り振り上げていた、手錠を嵌められた紅月の右手だった。
 爆発によって紅月は右の手首から先を失い、手錠は腕から抜けた。行き先を無くした銃弾の衝撃は空中に浮きあがった手錠を破壊した。音を立てて鎖の一方は床に落ちた。紅月は右腕を垂らし、その先から血が溢れて赤い絨毯をさらに赤く染めていたが、敵と正面から向き合い、戦意喪失していない姿を見せつけた。それどころか雲一つない夜の北極星よりも激しく輝く両目を見るに戦意は増しているようにさえ感じられた。清美は戦闘の邪魔にならないように、手錠と鎖の接合部分を拳銃で打ち抜いて破壊した。鎖は床で死んだ蛇のように伸び、手錠は清美の手首に残ったままだった。
自分の手を爆破して、手錠を外しましたか。あなたの機転と決断力、驚嘆に値します。称賛を送りましょう。天晴れです。
ずいぶんと上からものを言ってくれますね。まさか俺が右手を失ったから、勝敗が決まったと思っているんすか? 自分の勝利という結果でね。そいつは高慢というものっすよ。けれども勝敗は確かに決まりました。この俺の勝利でね。さあ、第三ラウンドを始めましょうか。俺があんたを一方的に葬るだけの第三ラウンドをね。

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