【共幻社公式作品】それでも彼女は本を読む。

縷々屋 01

エピソードの総文字数=2,419文字

言葉は重い

 暗い店内に少女の気だるい声が響いた。

 俺は開いた戸を後ろ手に閉じ、声の主へ視線を走らせる。


 カウンターの向こう側、高校の制服を身にまとった少女が、本に囲まれて文庫本を開いていた。

 暗がりの中、彼女は細い指でページをめくる。



その本は重量にして僅か四〇〇グラム。
しかし、読んでみれば四〇〇グラム以上の重みを感じさせてくれる。
言葉には確かな質量があるのだ

 彼女の言う「その本」が「どの本」を指すのか、この本の山の中では分からない。

 数千、いや、数万冊はあるだろう天井まで積み上げられた本は、壮観というよりは狂気じみていて、見上げるだけで目が回りそうだ。


 カウンターの先に座る少女が本を閉じ、ゆっくりと顔を上げる。



ほう、これはこれは。
見たこともないほどに間抜けな面構えだな。

その外見からすると、君の脳内にされた情報は、毒にも薬にもならない退屈な本一二〇〇グラム程度のものだろう

 本三冊分かよ。それも、つまらない。




 心の中で突っ込みつつも、顔と顔が向かい合った瞬間――。



 つまり、彼女の真っ直ぐな視線が、俺の瞳を射抜いた瞬間――。



 まるで猛獣と対峙しているような錯覚に陥り、心臓が止まりそうになった。




 その威圧感の原因は、暗がりに浮かぶ白い肌だろうか。それとも長い{睫毛}(まつげ)で縁取られた黒い瞳だろうか。

 いや、一つ一つのパーツの何れかに原因を求めるのは間違っている。

 彼女の身なりや姿勢、絹のように滑らかな髪、陶磁のように白い肌、半分閉じられた黒い瞳の全てが合わさり、異様な威圧感となっているのだ。

 読んでいる本を取り上げれば、頭からカプリと食べられそうである。




 冷静になれ。相手は俺と同じ人間だ。

 飢えた獣ではないのだから、取って食われることはないのだ。どうってことはない。


 俺は自らの胸に言い聞かせながら拳を握りしめる。



その本はね、希少な物なのだよ。
私でも見つけるのに一年と二ヶ月の歳月を費やした。

宮崎の小さな町営図書館で、その命が尽きかけているのを見た時は興奮したよ。場合によっては、もう二度とその姿を見ることができなかったのだからね。

しかし、本の真価は当然ながら読んだ時にこそ発揮される。
その本に詰まった言葉の重さは、単純な数値では計れないのだ。

仮に一二〇〇グラムの価値しかない君が、その本を踏みにじり、破いてしまえば、それは死によって償おうとも許されるものではない


 彼女が顔を上げると同時に、耳に掛かっていた髪が頬に滑り落ちた。


 気だるそうな半眼が、更に細められる。



つまり、だ。

その汚い足を直ぐにどけたまえ

 視線を落とすと、学校指定の革靴と床の間に一冊の本が挟まっていた。

 そんなに大切な本を床に置くなと内心で悪態を吐きながらも、俺は本を拾って表紙を払う。


 というか、それだけのことを言うのに、どれだけの時間を費やしているんだ。



その……本、すみませんでした


 彼女の半眼が何故か少し見開かれる。 

 謝ったのがそんなに意外なのだろうか。

 さすがの俺にもそれくらいの常識はある。



いや、分かればいい。
それより、私に何か用があるのか?
バイトの件で電話した谷村です
あぁ、時給二〇〇〇円という怪しさ極まりない広告に釣られて電話をくれた谷村か。

私は山田縷々だ。縷々(るる)と呼んでくれ。
本探し専門の探偵事務所、縷々屋の店主を務めている。

早速だが、面接を始めようか


 口の悪い女子高生が店主の時給二〇〇〇円のバイト――。



 俺はその瞬間にでも、突っ込みどころ満載のこの場所から逃げ出すべきだった。そうすれば、この後に起こるあらゆる厄介ごとから逃げられたはずなのだ。

 しかし、俺にはそれができない事情があった。




 ここ数カ月、ファミレス、コンビニ、ガソリンスタンドと、様々なバイトに応募してきたのだが、何故だか不採用が続いていた。

 遊びたい盛りの男子高校生にも関わらず、財布を逆さにして出てくるのは埃だけ。小遣いという恵まれた制度が存在しない我が家にとって、最早バイトの採用・不採用は死活問題だった。

 多少、怪しい求人でも、同年代の女子高生にこき使われることになったとしても、選り好みできる立場ではない。




 俺は白い封筒を差し出し、神妙な顔で一歩下がった。

 しかし、そんな俺の緊張など知る由もなく、縷々は履歴書を開いた瞬間に噴き出した。

ぷッ! この顔は……いや、何でもない


 写真はタイミングが悪くて半眼になっていたが、金銭的余裕がなく、撮り直すことができなかった。

 許容の範囲だと思っていたが、もしかしたらこれが連敗の原因かもしれない。


 こほんと咳払いした縷々が、履歴書を読み上げる。



谷村蒼太郎(たにむらそうたろう)、十七歳。弐山高校の生徒か。
制服が似合っていないので、新一年生かと思ったが、私と同じ二年生なのだな
すみません


 反射的に謝ってしまった。同級生かよ。



 座右の銘は下剋上。
 この店を乗っ取るつもりなのか?
 何となくニュアンスは伝わるが、履歴書には書かない方が無難だぞ。
 次から気をつけたまえ
き、気をつけます


 次からって――何気に不採用の宣告に聞こえてしまう。



特技は模型作り。趣味は古本屋めぐりか。
本は本でもどうせ漫画が主だろう
いやぁ、あはは……


 むしろ漫画しか読んでいないとは言えない。



ふむ、汚い字ではあるが、綺麗に書こうとはしている
す、すみません


 何故だか謝ってばかりだ。



さて、履歴書を読ませてもらった上で、君に問いたいことがある

 縷々は履歴書を折りたたむと、室内で唯一本が置かれていない接客用のテーブルを指さし、椅子に座るよう促した。


 俺が椅子に座るのを見届けると、縷々もカウンターから出て向かいの席につく。


 テーブルはサーモンピンクの脚に支えられたアンティークで、その上に白い小皿、ティーカップが置かれていた。



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