【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

1-15 喫茶『てけてけ』

エピソードの総文字数=2,668文字

怪しい……怪しすぎる……。
 その店の前に、百合は呆然と立ちすくんでいた。

 JR新宿駅、徒歩約5分。
 『てけてけ』は本屋の地下にある小さな喫茶店だった。
 もはや〈昔〉の話だが、ここは以前ネットで知り合った同好の士がオフ会のたびに利用する大型喫茶店だったのだそうだ。だがコーヒー1杯で長っ尻の連中ばかりを相手にして儲かるわけもなく、現在では地下街に面した店舗の3分の2ほどがマンガ喫茶に変わってしまっている。
 喫茶店部分は奥にひっそりと残っているだけで、もはや知る人ぞ知る存在となっていた。入り口だって知らない者が見ればただの通用口にしか見えない。いや実際、以前は紛れもなく通用口だったドアだ。
 店内は、おしゃれとかゴージャスとかキレイとか……そういう形容詞からは5000キロくらい隔たった場所だった。灰皿を取り替えてくれるウェイトレスもいないし、コーヒーはマズい上にその値段は店舗面積が3分の1になったのに反して倍になっている。
  まっとうな神経の持ち主なら……こんな場所で一服しようなんて思いつきもしないだろう。
  だがそれでも、ネットの一部マニアの間でこの店はまるで伝説のように語られ、高くてマズいコーヒーを飲まずには一人前とは認められない――とでもいうような風潮があった。

 茂がメールで連絡を取り、実際に会うことになった『ジャングルに虎がいる』のブログ主・EIJIが、待ち合わせの場所として指定してきたのは――そういう店だった。
『こんな店に呼び出すってことは……EIJIは〈その筋〉のヤツなんだと思うよ』
……とは、駅から店までの几帳面な地図を〈何も見ずに〉〈馴れた手つきで〉書きながら茂がもらした言葉だった。
(その筋って……一体???)
 地図を受け取ったときも、百合の脳内は疑問符でいっぱいだったが、詳細を確認するのは躊躇われた。
 確認したら……後悔しそうな気がする。
(結局確認しなかったけど、めっちゃ後悔してるわ、私……)
 そして今、百合はただの通用口にしか見えないドアの前に立って、お化け屋敷に入るような心地だった。
 汚れたモップの立てかけられたドアには、一応『喫茶・てけてけ 入口』とか書かれた紙が申し訳程度に貼ってあって、もはや逃げ場のない崖っぷちに百合を追いこんでいく。
 いっそこんな貼り紙がなければ『お店見つかりませんでした』と言えるのに……。
(出掛けに見たニュース、SNSで知り合った男と不倫しようとした主婦が惨殺とか言ってたよね。そういえばこの間の深夜サスペンスの誘拐から始まる猟奇殺人の犯人も、インターネットの変態サイトにハマってるマニアだったっけ……)
 考えれば考えるほど……想像はコワイ方向へと突っ走って行く。
(もしここで人を殺したら、死体ってどこに捨てるんだろ。川? 海? 地下掘って埋めるとか、バラしてゴミ回収に出すとか…………?)
 東京都指定、半透明のゴミ袋の映像が、鮮やかにまぶたの裏に蘇る。
(燃えるゴミになるなんてイヤすぎ……っ!)
おねーさん、トイレ向こうだよ。
 突然、背後からそう声をかけられて百合はぐるぐるとコワイ想像の渦巻く世界から我に返った。
 いつのまにか、大学生くらいの男が背後に立っている。
は? と、といれ?
違うの? ……俺、その店に入りたいだけど。
 あんた邪魔なんだよね。
 口にこそ出さなかったが、英司はそう言いたくて堪らない表情だ。
あ、あの……『てけてけ』って、本当にここが入り口なんですか?
ホントにそうだよ。
 そう言って男はドアを開けた。
 百合を押しのけるようにして店に入って行き、それからふと思い当たったように百合の方を振り返った。

もしかしてあんたが〈果歩ちゃん〉? フクスケさんのメールの……。
(つ……つまりコイツがEIJIなわけね)
 百合はそう気づいてまじまじと英司を見上げた。
 ほぼ金髪。ピアスもしている。背は……茂と篤志の中間くらいってところか。顔は、多分三人並べれば一番デキがいい(百合の好みとは多少ズレているけれど)。ミュージシャン志望とでも言うのが一番ぴったりくる外見の大学生だった。
あの……もしもし?
 自分の顔をじろじろと見ながら絶句している百合に、英司はそう声をかけた。
 百合はちょうど、英司のかけているメガネは伊達なのか、それとも近眼なのかと考え込んでいたところだった。
あ、いえ。そのあのええと……。
フクスケさんと一緒にくるかと思ったよ。女ひとりで来るような店じゃないし。
――俺、山野英司。英司でいいよ、みんなそう呼んでるから。
とりあえず座ろうか。コーヒーと紅茶、どっちにする? ……ああ、コーラとかオレンジジュースも一応あるよ。全部まずいけど。コーヒーが一番マシかな? ジュース類はあたりハズレがでかくて……。
 さっさと店の奥に進んで行き、奥の席に座ると、英司は百合に席を勧めるよりも早く腰を下ろした。小さなテーブルにはメニューもなければナプキン立てもなかった。安っぽいガラスの灰皿と、使い捨ての紙製お手拭が4つ、投げ出すように置かれている。
 百合はまだ座らなかった。
 潔癖症というわけではないが、とても座りたくなるような椅子ではない。
あの……ええと、あのですね。
ケーキはぜったいやめたほうがいい。
いえ、ケーキの話じゃなくて……。
最悪なのはパフェだね。確実に腹壊す。
まあ、それは残念な……。
果歩さんって呼べばいい? それとも、果歩ちゃん?
私、飯野百合って言うんですけど。
………………は?
 紙製お手拭のビニールをぺりぺりと破いていた英司の手が止まった。百合を見上げて絶句する。
ええと、つまり果歩は姪で……姪っていうのは……つまりあの子の母親が私の姉で……。いえまあともかく、茂くんが……いえ、その……フクスケさん? ……の、妹の由宇ちゃんとは果歩が中学のクラスメイトで、ただその今日ここにあの子を来させるのはちょっとどうかと思って……あ、いえ、あの子ってのは果歩のことね。それっていうのもええとそもそもは……フクスケさん……と、篤志くんがブログを見ていたときに……あ、篤志くんはフクスケさんのお友達。確か高校だったか中学だったかの同級生だとかで……今は工事現場だかダムだかで働いているんだとか……静岡出身だとか……あら、ええとそういう話じゃなくって……ともかくそのときに果歩と由宇ちゃんがいたんだけど……いろいろ問題があって……。
………………。
 お手拭を手にしたまま、英司はまだ絶句していた。
 早口にまくし立てる百合の話を、英司はまったく理解できていなかった。

◆作者をワンクリックで応援!

2人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ