【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-07 犬を拾った夜のこと

エピソードの総文字数=3,579文字

(結局、手に入る武器はこれだけか……)
 30分ほど辺りを調べて回ったが、武器になりそうなものといえば篤志が持っていたような鉄パイプの切れっ端だけだ。もとは診察室だったはずの部屋は天井がすっかり崩れ落ちていて入ることができない。

 無事だったのは今いる広いホールだけ――もともとここは待合室だった――のようだ。茂が言っていた通り廊下の突き当たりは水没していたが、突き当たりのドアは無傷で残っている。

(あのドアの向こうが無事なら……上手くすれば脱出できるんじゃないのか?)
 突き当たりのドアの向こうには、受付と、もうひとつの小さなホールがあった。

 小さなホールはインフルエンザなどの伝染性の病気にかかった患者が診察を待つためのもので、確か病院の裏口から直接出入りできるドアがあったはずだ。

 とりあえず足もとの鉄パイプを2、3本拾って、英司は篤志たちのいるホールの奥へと戻った。

あ……。
 その途中で英司はふと足を止めた。

 ホールの中央あたり……篤志が見たと言っていた虎の絵がある。

今見ても、気味の悪い絵だな……。
 子供のころ……英司もこの絵が怖かった。

 ちょうどこの絵がホールの中心で、ホールのどこからでも絵が見えていた。そしてホールのどこにいてもこの虎に睨まれていると思えたものだ。

 だから英司は名前が呼ばれるのを待つあいだ、虎の視線から逃れるようにソファの背に顔を押し付けたり、ソファの下に隠れたりするのが常だった。

寝るか、フツー? この状況で……。
 元いた場所に戻ってきて最初に、英司はそう言葉をもらした。

 果歩はソファの上に転がって、またしてもすかすかと寝息を立てている。ここまで来ると、もはや『疲れているのだろう』と心配するより『図太いな、ヲイ』とツッコミを入れたい気持ちがこみ上げてくる。

起きてたって別に役に立つわけじゃないし、うるせえだけだろ。寝かせとけよ。


……まあ、どっちでもいいけど。

今、何時?
2時過ぎだ。俺たちも交替で眠った方がいいな。
 篤志は腕時計に目をやって言った。

 英司のスマートフォンその他は新宿の地下から移動するときに失っていたし、果歩も手ぶらだった。時刻を確認できるものはその腕時計ひとつきりだ。

真夜中か。

――2時ってさ、幽霊が出る時間じゃなかったっけ?

この辺り、心霊スポットとしても有名なんだぜ。インターネットで見た事あるんだ。団地へ続く道路は全部10年前の土砂崩れで埋まってるけど、モトクロスバイクとかで走破したヤツが何人かいてさ。

おまえ相手に怪談なんか聞く気分じゃねぇぞ。
怪談やるつもりなら果歩を起こすさ。あんた相手じゃ俺だって気分出ないからな。
 英司は持ってきた鉄パイプを床に投げてソファに腰を下ろした。

 果歩の顔を見つめ、それからその顔に青白く線を描いている光を追って、天井に目を向ける。

なあ、あの光――何だと思う?
さあな。
こんな真夜中だし、あの色から考えても外の灯りってことはないだろ?

この天井の上に誰かいるのかな。無人の廃墟のはずだろ、ここ。

妖怪だろ、いるとしたら。
妖怪だったとしてもさ、誰かいられるような場所があるんなら、天井崩せば外に出られるんじゃないか? それにフクスケさんの言ってた水没してる廊下の先にも……。
おまえ、英司……だったよな。
 突然、英司の言葉をさえぎって篤志が顔を上げた。
え? ああ……そうだけど。
おまえは人間と妖怪の見分けがつくのか?

ここで目が覚めたとき……フクが妖怪になったとすぐに気づいたんだろう?

まあ……一応、そういうことになるかな。
 多少、言葉を濁した。

 この手の話しは相手を選ばないと痛い目にあう。

 オカルトマニアにワケの分からない仲間意識を抱かれた挙句怪しい集会に誘われるなどとい展開は真っ平だったし、逆に完全にノンケ気取りの相手に『おまえ、馬鹿じゃねえの?』……と、鼻で笑われることになるのも、それはそれで腹が立つ。

 英司はどちらももう懲り懲りだった。

俺は……マトモに人間か?
 多少口篭もりながら、篤志はそう言って英司の顔を見つめる。

 だが英司は、その質問の意味がよく分からないという様に小首を傾げた。

あんた、妖怪なの?
分からねぇから聞いてんだろうが。
 篤志は声を荒げた。

 そもそも篤志はその手の話にはまるっきり興味も理解も知識もない。どちらかといえば少し前までは、例えば英司の話を聞かされても鼻で笑っていたほうなのだ。

 こんな話をしている自分がちゃんと正気を保っているのかどうかも自信が持てずにいる。

とりあえず……ぜんぜん妖怪っぽい感じはしないけどな。
そうか。
そうかってなんだよ。
違うならいいんだよ。
違うとは言ってない。『妖怪っぽい感じがしない』って言っただけだ。
なんだそれ。全然答えになってないじゃねえか。
あ・の・なー。

俺、別に妖怪鑑定の専門家とかじゃないから!

それならグダグダ回りくどいこと言ってねえで、最初から『分からない』って言え。

……あーはいはい。


で、あんたさ、どこで知ったんだ、あのお伽話。本当に大間に住んでたことないのか?

 英司はそう切り返した。

 このまま説教を喰らい続けるなんて事態は是が非でも遠慮したい。

……覚えてないんだ。
あ、そうなの?

まあ仕方ないよな、今はオッサンぽく見えても10年前はあんただってガキだったろうし。俺も……。

そうじゃない。記憶がないんだよ。
 迷いながらも篤志はそのことを英司に話した。

 10歳のある朝、目覚めると見知らぬ夫婦が両親と入れ替わっていたこと。

 引っ越してきたばかりで、以前は静岡に住んでいたのだと聞かされたこと。


 そしてそれ以前の記憶が……ほとんどないのだということも。

犬を拾った夜のことだけは覚えてる。

お袋に見つからないように布団の中に隠していたんだ。俺は犬を相手に、あのお伽話を聞かせていた。結局、朝になる前に犬が鳴いてバレたけどな。

お袋にすげえ怒られてヘコんだよ。


でも、あの時のお袋は……どう思い出しても今のお袋とは別人なんだ。

 ずいぶん長い間、篤志はそのたったひとつ残された記憶にしがみついていた。それだけは、決して忘れてはいけないことなのだと子供ながらに悟っていた。
俺にとってあのお伽話は……なくした記憶に結びつく数少ない手がかりだったんだ。
 あの犬がどうなったのかは……覚えていない。高校生の時に母親にその話をしたことがあった。

 だが母親は、そんなことはなかったとあっさりと答えて終わった。

『夢でも見たのね』

 それは予期していた、お決まりのセリフだった。

 篤志の記憶が何か食い違いを見せたとき、母親はいつもそう答えていたのだ。そう言い聞かせることで、篤志の中に残っていたわずかな記憶を消し去ろうとしているのではないかと思えるほどの執拗さだった。

 だが篤志の確信もまた、揺らぐことがなかった。夢じゃない。あのとき布団の中で抱きしめていた犬の感触は絶対に現実のものだったはずだ。

ああ、それ百合さんからも聞いた。

その犬の名前が〈果歩

ああ。

――俺がつけた名前なのかもな。何でそんな名前つけたのかは、覚えてないけど。

……。
 英司は少しの間、篤志の言葉を待っていた。

 だがもう話は終わりのようだ。

篤志さん、煙草持ってる?
ん? ……ああ。
 篤志はそう言って、ズボンのポケットから煙草の箱を引っ張り出した。まず1本咥えて、箱ごと英司に渡す。

 続いてライターを探ったが、ポケットというポケットを全部あさっても見つけ出すことができなかった。

あ、火なら俺が持ってる。
 英司がそう言ってライターを取り出した。

 渡されたタバコを咥えて火をつけると、ライターを篤志に渡す。

おまえのブログ、どうしてあの話を途中までしか書いてなかったんだ。

 タバコのおかげか、気分が少し落ち着いていた。

 ブログ記事に書かれていたお伽話のことは、英司に会ったら何より先に尋ねるつもりでいた。『お伽話の詳細』と言いながら、あの記事で語られていたのはほんのさわりの部分だけだったからだ。

本当にお伽話を知っているかどうか、確かめるためさ。

ネットで不特定多数を相手に情報提供を呼びかけるときは用心しないとね。あいう場所の人間関係じゃ知ったかぶりして首を突っ込みたがるヤツも多いから。


実際――あのブログ記事見て連絡してきたヤツらはそんなのばっかだったし。

〈このことを決して誰かに語ってはならない。語れば火の虎はおまえのその身をも焼き尽くすだろう
それがあんたの知ってる結末?
 煙がその言葉と一緒に篤志に吐きかけられた。
ああ。

……違うのか?

多分果歩はその先を知ってるよ

果歩が……本当に俺の探していた子供ならね。

 英司はそう言ってもう一度煙を細く吐いた。

 煙草を足元に捨てて靴の底で踏み潰す。いつも吸っている1mgの煙草と違って、喉の奥にいがらっぽい味がしつこく残っていた。

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