もしも敬虔な女子高生が〈神は死んだ〉のニーチェ作『ツァラトゥストラ』を読んだなら

『この人を見よ』①

エピソードの総文字数=3,072文字

その夜。


菅原(すがわら)ひとみたち三人は申し合わせた通り、図書館のバックヤードへ入り込む。

非常灯の明かりの中、小早川栞理(こばやかわ・しおり)先輩の表情は読めないけれど、自信家特有のしっかりとした足取り。あれはもう名探偵(ホームズ)モードなのだろうか。

もし暗闇ではなかったらスキップでもしかねないウキウキモードなのは早乙女(さおとめ)れいか先輩。大きなバスケットを抱えて、とても楽しそうだ。


案内する図書委員のひとみが一番ビクビクしている。


「ほほう、ここか」
「いいじゃない! 秘密の会合にぴったり!」
「そうだな、地下で窓もなく、灯りも外に漏れないようだ。これなら問題ないだろう」
「わたくし、窓から光を漏らさないよう厚手のベルベットのカーテンを用意しようと思ってましたのよ」
「そ、そんな、勝手に備品増やさないでくださいよう」
「あらそう? でも、このくらいなら良いでしょう?」

と言ってバスケットから黄金(きん)の燭台を持ち出す早乙女先輩。

三本のローソクを灯せる枝つきのジランドール。豪華絢爛この上ない。

「そんなものどこから持ってきたんですか!?」
「ああ重かった。じいに言って用意してもらったのよ、栞理と夜のお勉強会を開くって言ってね。間違っていないでしょう?」
(そっか、早乙女先輩はお金持ちなんだったわ……)
「そうだな、とはいえ、勉強の対象は秘密で頼むよ」
「はあい、もちろん」

なんてやりとりの後、三人にはすこし大きめの丸テーブルを囲んだ。

テーブルの中央に置いた燭台と、人数分用意した、こちらは図書室の備品の読書灯が彼女たちの顔を怪しく照らしだす。

「なんだか黒ミサみたい」
楽しげに不穏な冗談をいう早乙女先輩に無言で微笑み返す栞理先輩。
(お二人って、お似合いというか、なんだか通じ合ってるみたいでいいなあ)
「では、始めるとしようか」
栞理先輩はそう言って、先ほど閉架から持ち出しておいた二冊、今回の課題図書。ニーチェの『この人を見よ』と、マイケル・ムアコックの同名の『この人を見よ』を取り出した。
「知っての通り、『この人を見よ』はラテン語の”Ecce homo”(エッケ・ホモー)の訳だ。新約聖書ヨハネによる福音書』の19章5節が出典だな。フリードリヒ・ニーチェの『この人を見よ』はそのままラテン語の”Ecce homo”から取られているが、マイケル・ムアコックのほうは欽定訳聖書の英語訳”Behold the man!”からの引用と思われる」
「すごっ! 知っての通りって……そんなこと普通知りませんよ!」
「うふふ、今度はWikipediaの生まれ変わりって噂撒こうかしら?」
「おいおい、君たち、一応こんな学校にいるのだから聖書にぐらいは親しんでおいてくれたまえよ。それとれいか、まるでしょっちゅう寄付を募る誰でも書き換え自由な転生キャラみたいに言うのはやめてくれ」
「はあい♪」
「まあ、何者かの物差しで書かれた二次情報として眺める分にはWikipediaも便利ではあるがね」
「何者かの、ってどういうことなんですか?」
「先ほども言ったろう、誰でも自由に書けるメディアなのだから、嘘でも勘違いでも書けてしまう。間違いもだんだんと正しい情報に書き換わるだろうという性善説で構築されているメディアだ。運営している団体も『概ね正しいと思われる』と言っているだけで決して内容を保証しているわけじゃない。もっと言えば、何が正しく、何が間違いかは人それぞれ、書き手ごとの正義感で大きく違う。そういったことを勘案して、100%信用しないようにして参考程度に見るのが良いということだろうな」
「ひとみちゃん、Wikipediaを学校のレポートの参考資料にしてはいけませんって言われなかった?」
「あ、神学のですか? まだレポート課題はでてないので……」
「そんなものの生まれ変わりにされてはたまったものじゃない。ある意味であのメディアも、ここでは禁書あつかいということだな。これらの本とおなじく」
そう言って栞理先輩は改めて二冊の本を手に取る。


学校では正しい事を教わる。聖書にも正しい事が書かれている。それだけ学んでいれば本来ならば問題ないはずなのに、私たちはなぜ正しくないことも知りたがるのだろう。そんなことをひとみはぼんやり考えていた。

「僕が先日読んだムアコックの方は菅原君、ニーチェの方はれいか。まずはこの二冊をざっと読んでほしい。それからお互い交換して読むといいだろう」
「栞理先輩は読まなくて良いんですか? ニーチェの方はまだ……」
(読んでないでしょう?)と言いかけたひとみをさえぎり、ニーチェ版の『この人を見よ』をパラパラとめくって、いくつかの「しおり」を挟み込む栞理先輩。
「すでに僕はこの本は原書で読んでいるのでね。いまざっと要点の紙を挟んでおいた。それ以外の場所は現段階では読まなくて良いだろう。まあ、まずは前半と、最後の章だけで良いはずだ」
(原書でって……まさかドイツ語!? 栞理先輩って本当に何者なの?)
「君たちが読書している間、僕は知識の地下迷宮の探検としゃれ込むとしよう」
「あっ! 閉架の鍵! いつの間に!?」
「ふふふ、大切なものはもっとちゃんと取り扱うことだ。情報や知識もね」
楽しげに鍵束をくるくると回す栞理先輩。
「だめですよぉ」
と力なく制止するひとみのおでこを優しげにぽんと叩き
「もっと先輩を信用してくれたまえ。君も僕も一蓮托生、この秘密の読書会のメンバーなのだからね」
(君も僕も……一蓮托生)
そう言われ微笑まれると、意味も無くドキドキして、ひとみはなにもできなくなってしまう。
「では僕が戻るまでしっかり読んでおいてくれたまえよ。戻ったら感想戦をおこなうからな」
と言いながら後ろ手に扉を閉め、栞理先輩は地下室の探検に赴かれてしまった。
「ひゃあ~。

 感想戦……。なんだか学校のお勉強より真剣にしないといけなさそう」

「もちろん、居眠りなんて許されないスパルタ授業になるわよきっと」
「なんで早乙女先輩はそんなに楽しそうなんですか!?」
「あら、ひとみちゃんは楽しくないの? 新しい知識を得るのよ? それも大人達から禁じられた、ね。 わたくしはわくわくドキドキですわ」
「楽しい……。たしかに、ドキドキはするかんじです……」
「でしょ? 栞理はわたくしに決して意味の無い頭ごなしな規制や強制はしないの。興味をもったらとことん追求させてくれる。そんなところも大好きだったりするのよね。それに、ことこういう分野なら彼女はきっと最高の先生になるわ、ちょっと厳しいかもだけど、ね。わたくしは頑張って勉強して、栞理と同じレベルで物事を考えて、栞理と対等に会話ができる人間になりたいのよ」
(うわあ……。早乙女先輩ってすごい。

最初はのろけかと思ったけれど、早乙女先輩もしっかりと目的があってここにいる人なんだ)

「じゃ、栞理が戻ってくるまで、わたくしたちはお勉強しましょう。さっきからここにどんな秘密が隠されているのか、知りたくてたまらないの」
と言ってニーチェ版『この人を見よ』に手を伸ばす早乙女先輩。
「秘密のとびら、ですね。あけるのドキドキします」
ひとみもムアコック版の『この人を見よ』を手に取る。
「でしょう? うふふ、じゃあ、一緒に冒険をいたしましょう!」
「はい!」
大人から禁じられた知識も正しい知識といえるのだろうか。

でもそれはその大人にとって正しくないというだけのことなのだろうか。

正しい知識って何なのだろう。

そんな疑問と好奇心を胸に、深く椅子に座り直すひとみだった。


〈つづく〉

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